芸予要塞探索ガイド【しまなみ海道・小島】
芸予要塞・中部砲台跡
弾薬庫跡を後にして島民が植えたという椿のトンネルの道をゆっくりと進んでいく。この島には車が走れる道ほとんどなく、このような歩道を歩いていく。
道を進むと突然視界が広がる。うっそうとした森が切り開かれ、広々とした畑が広がっている。畑の一画では、住民の方が黙々と作業をされていた。
島の中の道は網のようにめぐらされていて、どう見ても家と家を結ぶと思われる道も御覧の通りの様相。トトロやアリエッティのように、ジブリ映画に迷い込んだような気分になりながら先に進んでいく。
島の中の道を歩き回っていると、ミカン畑の向こうにしまなみ海道が見える。瀬戸内海そのものの風景だ。柑橘の香りを潮風が運び、いくつもの島を渡っていく。このような場所も瀬戸内海の島の独特な風景。登る道の途中にベンチがあるベンチに腰かけると、しまなみの島々とそれをつなぐ吊り橋が間近に望める。
車も通れない海を見下ろす畑の中の道を登ると、突如として瀬戸内海の離島にふさわしくない重々しい場所にたどりつく。ここが芸予要塞の「中部砲台跡」だ。整備はされ、大砲や金属製のものは全て撤去されているが、敵の砲撃から耐えるために作られた重厚な造りのため、建造物はその形のまま残っている。
砲台跡の先には兵舎があり、身を隠すように司令塔に続く階段がある。付近には浄化槽や井戸など、島の上で生活するには必要なところ施設もあり、ここで多くの兵士が詰めていたことを感じられる。
ベンチが置かれ、現在は公園のように整備されているが、当時ここには巨大な28cm榴弾砲が6門立ち並んでいた。カノン砲の台座が今も残っており、その兵器がどれだけ大きかったか、台座跡からもうかがい知れる。日露戦争時には小島の砲門6門のうち2門が旅順に運ばれ、旅順要塞攻略の砲撃に使用されたそうだ。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」にも登場する日露戦争時の司令官である秋山兄弟や正岡子規の生まれ育った松山にもほど近い場所。小説を読んでから訪れると、どっぷりとその世界に浸れる。なお、砲台跡の石壁にある穴はとなりの砲台とつながっており、この穴を通じて伝達をしていたそうだ。
砲台のすぐ横には分厚いコンクリートで塗り固められた地下室がある。敵からの砲撃から身を守る地下壕だったと思われる。重厚でひんやりとした空間は物悲しくともどことなく美しさを感じる。
山の斜面を利用して造られた地下兵舎がずらりと並ぶ光景は圧巻。兵舎の奥からも緩やかな登り道を使って司令塔に行くことができる。その途中、兵舎の地下室の換気に使われたと思われる換気口を見ることができる。
兵舎も先ほどの砲台横の地下室と同様、分厚いコンクリートで出来ているが、広く内部の壁はレンガでできている。内部は漆喰で白く塗られていて、100年以上前に造られたものながらもとても美しく感じる。奥の壁には人が通れる穴が空いていて、兵舎内を外に出ることなく行き来する通路になっている。
いくつもある兵舎の部屋を地下で結ぶ通路。まるで地下神殿か、地下迷宮を思わせる異次元の光景で、幻想的。兵舎内部はまるでダンジョンのような雰囲気が漂うが、今のところ危険な場所はなく、構造も単純で深くないので安心して探索できる。
砲台は山の斜面に守るように隠され、海を行く船からはその姿は見えないように造られている。放物線を描く弾道で敵艦を狙ったそうだ。当時はたくさんの兵器が置かれ、たくさんの兵が緊張して詰めていたであろう要塞は、平和な世には無用の長物として静かに眠っている。
砲撃から身を守るように、兵舎の上に続く階段がる。兵舎の上は山のようになっており、目標が目視できない砲台へ砲撃角度などを指示したであろう司令塔に続いている。
司令塔の下には分厚いコンクリートで固められた地下室がある。壁の分厚さも普通の建造物の何倍もある驚くほどの堅牢さだ。
地下室には司令塔と連絡をとるための穴だろうか?壁に斜めに穴が空けられている。コンクリートの分厚さはかなりのもので、明治時代に造られたとは思えないほどで、今でも当時のままの姿で残っている。
頂上には司令塔跡がある。付近を航行する船を一望できる場所に作られており、来島海峡の島々と海を一望できる。船を目視出来ない砲撃手に目標の位置を伝えたり、砲撃指令を下したりしていた場所だろう。
司令塔跡から見る来島海峡の風景は絶景。今では来島海峡大橋がかかり、多くの巨大な船が行き交う。ここを敵艦隊が通過しようものならまさに狙い撃ちだ。しかし世界の流れは思ったより早く、航空機が主要戦力となったため敵艦の海峡突破はなく、芸予要塞の砲台が敵に向かって放たれることはなかった。