芸予要塞探索ガイド【しまなみ海道・小島】

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芸予要塞・北部砲台跡

芸予要塞北部砲台跡

小島の北東部まで進むと、「北部砲台跡」がある。24cmカノン砲4門と軽砲4門が配備されたほか、発電所、兵舎、浄化槽、探照灯などが1箇所に建造されたまさに要塞と言えるエリア。明治35年2月に竣工したとは思えないほどの規模と堅牢さだ。

芸予要塞北部砲台跡

巨大な砲台の下は他に漏れず地下室がある。ここにも砲台の台座に地下室への入口がある。その横には砲弾を一時保管した四角形のくぼみがいくつも穴をあけている。

芸予要塞北部砲台跡地下室

分厚く堅牢な石やコンクリート壁の中に残る地下室。100年以上経っている今でも内部は安心して入ることが出来る空間。敵の反撃を受けても中に入れば命を守れるようにしっかりと造られているのがわかる。

芸予要塞北部砲台跡

かつては巨大な砲台が並んでいた砲座跡。しかし明治37年の日露戦争中に、中部砲台の榴弾砲が外されて旅順に運ばれる。バルチック艦隊を撃破し敵の陣地を責めにまわったため、小島砲台の武装は移設されていく。四国と九州の間を防御する豊予要塞の完成をもってこの芸予要塞は不要となり、大正13年に廃止となった。その後昭和2年に要塞がある波止浜町に芸予要塞は払い下げられるが、その前にこの北部砲台ははじめて攻撃を受けることになる。爆撃のあと、昭和2年に波止浜町へ芸予要塞は払い下げられた。

芸予要塞北部砲台爆撃跡

小島要塞の北部砲台を攻撃したのは、他でもない旧日本軍。戦闘の主体が艦隊から航空機に移行していくにつれ、対艦隊に造られた芸予要塞は廃止され、最後の役目として陸・海・空軍合同の航空機による爆撃演習の標的となる。大正時代の航空機による爆撃の跡が堅牢な砲台跡に確かに刻まれている。

芸予要塞北部砲台爆撃跡

攻撃されながらも、破壊は被弾した一部のみて、全壊はしなかったことがわかる。いかにこの北部砲台がしっかりと造られていたかを感じる。痛々しく破壊されているが、当然無人で廃棄する要塞に行われた爆撃なので被害は無し。航空機による爆撃が要塞破壊に効果があることが実証され、役目を終えた小島要塞は、激しくなっていく戦争の中、平和を信じて眠りにつく。

芸予要塞北部砲台跡

北部砲台の山側には井戸や浄化槽など、多くの兵士が詰めるのに必要な施設も。ロシア・バルチック艦隊が進行するであろう有力ルートに面する砲台は砲撃戦を想定して多くの兵力と施設が設置されている。

芸予要塞北部砲台兵舎と発電所跡

山を切り開いたような場所に今も巨大な遺構が残っている。左が発電所跡、右が地下兵舎跡だ。

芸予要塞北部砲台発電所跡

南部砲台跡にもあった発電所跡と外観も造りも全く同じ。北部砲台の発電所の方が後年に建設されている。深い森の中にそのままの姿で残るレンガ造りの遺構は、どこか古代遺跡のようにも思える。

芸予要塞北部砲台発電所跡

発電所の室内。先ほどの発電所よりとは違い、屋根も鉄筋コンクリートになっていおり、大きな崩れもなく100年以上前の当時の姿を今もとどめている。荒れている印象もあるが、時の流れと当時の技術力を感じられる時間をさかのぼるかのような場所だ。

芸予要塞北部砲台発電所跡

先ほどの発電所にもあった謎の小部屋はがけ崩れに飲み込まれて崩壊しており、室内まで土砂があふれ出している。とはいえがけ崩れをこれだけの規模で押しとどめているので、やはり内部には燃料などを厳重に保管していたのではないかと改めて思ってしまう。

芸予要塞北部砲台兵舎跡

発電所の横には地下兵舎がある。まるで太平洋戦争時、南の島での戦いを彷彿させるような雰囲気。この時は冬で草木は少なかったが、夏場は深い緑に覆われて一層そう感じるのだろう。

芸予要塞北部砲台兵舎跡

兵舎は山の中をくり抜いた地下室で、壁と天井はコンクリートやレンガで補強されている。防空壕の役目を果たしていたのは明らかで、中部砲台と同様に内部で地下の兵舎内を行き来する通路も設けられている。土砂を含んだ水が流れ込んだ痕跡があり、中はぬかるんでいる。足元が悪く中には普通の靴では入れそうにないので、内部の探索は断念する。

芸予要塞北部砲台

爆撃演習で破壊された砲台跡。この砲台跡上部の山の上にも探照灯跡がある、現在では台座しか残っておらず、さらには下草に覆われて遺構の状態はよくわからなかった。

芸予要塞北部砲台兵舎跡

指令塔に登る階段の下にも地下兵舎跡がある。中は他の兵舎と違って複数の連結はなく、もしかしたら士官用の兵舎だったのかもしれない。

芸予要塞北部砲台指令塔跡

階段を上ると指令塔跡がある。ここからも瀬戸内海に浮かぶ島々や来島海峡大橋など手に取るように一望できる。島が船の進路を妨害し、否応なしに砲台の有効射程まで近づいてきてくれる、海の防御としては申し分ない場所だ。

小島としまなみ海道の風景

芸予要塞海岸道路

北部砲台周辺から山道を下りると、桟橋まで海沿いの港道を歩いて戻れる。アップダウンがないので、ショートカットとしてはとても便利。どこか懐かしさを感じるコンクリートの海沿いの道を歩くと、しまなみ海道が走る瀬戸内海の風光明媚な風景や音を立てる潮流をダイレクトに感じることができる。風が強い日は、場所によっては波しぶきが立つので注意は必要だ。

小島の町並み

海岸道路を進むと、桟橋のある集落まで戻ってくる。島の中を遺構をめぐって右に左に進む道よりはるかに早く戻ってこれた。

小島の町並み

桟橋前にはいくつかの民家が軒を連ねている。しまなみ海道が結ばれていくつかの島が陸続きになったが、この小島は変わらずに船でしかアクセスが出来ない離島のまま。すぐに本土まで行けるとはいえ、商店もない島の生活は不便には違いない。しかしその不便と引き換えに、穏やかな時間や美しい風景にあふれている。かつては多くの兵隊が戦争に備えていた小島だが、今は平和でゆっくりとした時間が流れていた。この島をめぐって探索してきた朽ちていく戦争の痕跡とのんびりとした瀬戸内の島は、いつまでも記憶に残る印象的な場所だった。

芸予要塞【小島】

場所: 愛媛県今治市小島
交通: 波止浜港より渡船
運行時間: 7:00~18:00(1日10便、年末年始減便あり)
船舶料金: 小島往復、大人440円
波止浜港駐車場: 35台(無料)

【投稿時最終訪問 2013年12月】

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