高松城【史跡高松城跡玉藻公園】
「高松城」は日本三大水城のひとつにして、その規模は最大。かつ最初の本格的な水城として1587年に築城されました。現在に残る城跡は「玉藻公園」として整備されていおり、広大な敷地に海水を引いた濠や庭園、櫓跡などを見学することができます。立地もJR高松駅のすぐそば、地元の私鉄、琴電の高松築港液に隣接した場所にあるため、公共交通機関の観光や、瀬戸内国際芸術祭でにぎわう瀬戸内海の島しょ部の観光後の立ち寄りにももってこいのスポットです。
高松の交通の要衝に位置する見ごたえある広大な城跡
琴電(琴平電鉄)高松築港駅を降りてすぐの場所に、高松城・玉藻公園の西門があります。門の前は美しい松と石垣を背にした開放的な広場になっており、駅すぐのフェリーターミナルから向かう瀬戸内海の島々で行われる芸術祭の会場のひとつとして、街を行き交う人々を模したアート作品も飾られています。

琴電(琴平電鉄)高松築港駅を降りてすぐの場所に、高松城・玉藻公園の西門があります。門の前は美しい松と石垣を背にした開放的な広場になっており、駅すぐのフェリーターミナルから向かう瀬戸内海の島々で行われる芸術祭の会場のひとつとして、街を行き交う人々を模したアート作品も飾られています。

西門にて入園料を支払い、入城します。

西門を入ってすぐの場所は二の丸跡。気持ちよい広場になっており、ベンチで潮風と松の香りを感じながらくつろぐことが出来ます。
瀬戸内海の海水を引き入れた水濠が美しい風景

二の丸の先には水門があります。満ち潮になるとすぐ目の前にある瀬戸内海の海水が堀の中に轟音を立てて城内に流れ込んできます。常に海水が循環するので、高松城の堀の水透き通った美しさが保たれています。

高松城の目玉のひとつである「鯛のエサやり体験」。テレビ番組でも何度か紹介されている人気のスポットです。ガチャポンのカプセルの中にタイのエサが入っており、堀を泳ぐタイに上げることができます。願いをこめて掘りにエサを投げ込むことで、「大願成就」もとい「鯛願城就」できるそうです。

高松城の海水を引き入れた堀を和船で風情ある遊覧をすることもできます。

高松城の水濠は、水門から瀬戸内海の海水を引き入れています。そのため堀の水位も潮の満干期にあわせて変化します。堀の中には放流した真鯛はもちろん、フグなどの海の魚がたくさん泳いでいます。水も海とつながって循環しているため、とても綺麗です。

本丸に続く、立派な屋根付き橋である「鞘橋」。風光明媚な堀の中でも一際その存在感を感じられます。有事の際は橋を取り壊し、本丸と天守閣に敵が攻め込まれないようにできたそうです。築城当初は低い欄干を付けただけの簡易な橋でしたが、江戸の平和な時代が続くと取り壊さないことを前提で屋根をつけて豪華に改築されたそうです。

かつては天守閣と本丸が鎮座した本丸跡。たっぷり海水を湛えた濠の中に浮かぶ美しい石垣は、攻めるには難攻不落の要塞だったように感じます。

堀とは思えないほど澄んだ水を湛える高松城。目の前の多くの島々が浮かぶ瀬戸内海と同じ水質で、その中ので泳ぐクロダイの姿もハッキリと見えます。人影が見えるとタイがえさを求めて水面に集まってきます。1つ放り込むとダイナミックなえさの取り合いが展開されます。

石垣では人の間近で鯛のエサのおこぼれを狙うハトがうろついています。
さながら海に浮かぶ美しくも堅牢な本丸・天守台跡

まるで海の中に城が建っていたかのような天守台の石垣。有事の際は橋を落としてここに籠城し、いざとなったら船でそのまま海に脱出することができたそうです。後ろに並ぶビルと相まってとても不思議な景色になっています。

本丸にかかる鞘橋。屋根がつけられて欄干部分が半分壁になっている独特な造りで、それを刀の鞘に見立てて名づけられたそうです。藩主のいる本丸へ渡る唯一の通路として、風格を感じられると同時に海と同じ濠を見下ろすことができる贅沢なスポットです。

鞘橋の入口。それはまるで建物内の廊下のようで、ここが橋だとはにわかに思えません。

鞘橋の途中からは水濠と庭園を望む素晴らしい展望。ここに座して一杯やりたくなるような空間で、橋としてはこれ以上にない贅沢なものです。

鞘橋からは、高松の地方鉄道・琴電の高松築港駅が間近に見れます。日本の伝統的な美の奥に、高層ビルが立ち並び、電車が発着する現在の世が広がるという、なんとも歴史の流れを感じる眺めです。

鞘橋から少し体を乗り出すと、フグなどが泳いでいる濠の中を上から見下ろすことができます。濠の水は海と同じで、魚や貝も一緒に濠に入り込んできます。小さな海を見下ろして観察することができるのです。

鞘橋を渡ると本丸跡。そしてその奥には天守台に登る階段があります。結構段差が大きいので、気を付けて登っていきます。

天守台跡。今は土台跡しか残っていませんがかつてはここに三重四階、地下一階の天守閣が建てられていました。当時は四国の城の中でも一番の大きさだったそうです。

高松城天守台展望デッキ。天守閣はありませんが、最も高松城の中で高い場所にあるその基礎となった天守台には展望デッキが設けられていて、周辺を展望することができまます。高松市街中心部の北辺、海にほど近い場所にある高松城からは船が行き交う瀬戸内海はもちろん、高松駅の駅ビル、フェリーターミナルやその他都市機能を有するビルや建物を周囲に見渡すことができます。

高松は、四国の中でも一番の高層ビル群を持つ都市。そんな高松の中心街のど真ん中に残る海の水を湛えた広大な城跡はオアシスのようで、とても美しく感じます。見下ろす先ほど渡ってきた鞘橋もとても絵になります。

瀬戸内海へと続く高松城の濠は両側に石垣と松林が続いており、風光明媚な光景。海の水を引き入れることで幅が広くスケールの大きな濠になっています。かつては白の中まで軍船や運搬船が入ってきていたことも納得で、日本最大の水城の痕跡を今も感じることができます。
美しい日本庭園と昭和天皇も宿泊された迎賓館

高松城内に残る「披雲閣」は江戸時代のものではありませんが、大正6年に松平家の高松別邸として建造された歴史ある立派な建物。昭和天皇も宿泊された屋敷ですが、今は貸会場として利用されています。

美しい日本庭園の中に建つ披雲閣。ガラス窓になっている造りが大正や昭和に使われた迎賓館としての面影を感じます。大きな庇の下の縁側から眺める庭園はとても素敵な眺めです。

とても広い披雲閣の日本庭園。散策ができる枯山水の庭園になっています。海の近くらしく、手入れされた立派な松の木が多く配されいています。

大量の海水が湛えられた濠の中に、枯山水の庭園。その対照的な変化がこの庭園の魅力をさらに高めているかのように感じます。特に枯川にかかる地元の名産・庵治石を使った石橋は、欄干も含めてひとつの巨石を彫って造られた、現在では失われた古の技が使われているそうです。

庭園には「ど根性松」があります。岩を割ってその中から生えてきたような松の木で、力強い生命力を感じさせられます。
日本最大の水城を象徴する海の守りの櫓

庭園の北側出口から出て、月見櫓・水手御門・渡櫓で構成される北の丸に向かいます。現存する当時の建造物で、高松城が水城として存在したことがよくわかる独特な造りになっています。

北の丸(北新曲輪)は1671年に増設された現存する城郭。海に面した防衛の拠点であり、瀬戸内海を行き来する船を監視する「月見櫓」(着見櫓)があり、さらには海へと船で城から出立する際に開く水手御門(みずのてごもん)などがある、まさに海に面した水城である高松城らしい城跡です。

「水手御門」
海への出入り口として造られた門で参勤交代の際は藩主がこの門から船に乗り、瀬戸内海に乗り出したそうです。

城外から望む水手御門。現在は空堀になっていますが、かつては門を出てすぐに小船をつけることができ、ここから沖合にに停泊させた本船へと乗り込むことができたそうです。まさに水城・高松城を象徴する場所で見ごたえがあります。
史跡高松城跡玉藻公園
住所: 香川県高松市玉藻町2−1
電話: 087-851-1521
営業時間: 5:30~18:00(夏季)、7:00~17:00(冬季)、
※月によって少しずつ時間変動
休業日: 12月29日~12月31日
交通: JR高松駅より徒歩5分
琴電高松築港駅すぐ
高松自動車道・高松中央ICより約20分
料金: 大人200円、子供100円
駐車場: 57台(無料)
【投稿時最終訪問 2022年8月】