芸予要塞探索ガイド【しまなみ海道・小島】

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芸予要塞・南部砲台跡

芸予要塞南部砲台跡

発電所跡から民家の軒先を通るように続く道を歩く事1分。次に訪れた戦跡は「南部砲台跡」だ。当時の姿のまましっかりと残る南部砲台跡。この高台から来島海峡を通り抜けようとする敵艦向けて砲撃する軍事施設だ。砲門という重量のある物を設置する事もあるが、当然、敵艦からの反撃の砲撃を受ける事も想定しているのだろう。砲撃を受けても耐えられるようにした、素人目にも相当に堅牢な建造物だ。その堅牢さと、ここが過疎の島ということ、そして昭和初期に保存の為、旧波止浜町が要塞施設を買い取った事もあり、明治時代の貴重な戦跡が今もそのまま残っている。

芸予要塞南部砲台跡

芸予要塞の砲台跡には必ず地下室が残っている。おそらく敵艦からの砲撃から身を守ったり、駐屯する部隊の詰所になっていたのだろう。もしくは、危険な砲弾を保管した場所かもしれない。それだけに相当に堅牢で、保存状態もとても良い。地下室の中には何もないが、ただ無機質なコンクリートの壁が包み込むよに今もヒビひとつなくここに残っている天井には喚起か暖房時の排煙、もしくは弾薬の暴発の時の爆風を逃すために使ったのだろう、空気穴がある。当時は入口に扉がつけられていたのだろうが、今はもうない。この場所で明治時代に兵が詰めていたと思うと、不思議な気分になる。

芸予要塞南部砲台跡

地下室の奥に、砲台の台座部分がある。しっかりと石組みとコンクリートで組まれた台座は近年に造られた公園の一部のようだ。砲台を固定した部分はわからなくなっているが、おそらくここに砲台が設置されていたはず。比較的海に近く、かつ対岸が近い事もあってか、ここには12㎝の加農砲が2門のみの装備だったそうだ。小島にはあと2か所砲台跡があるが、ここの砲台はその規模はるかに小さい。

砲台前はまばらに生えた木々の向こうに海が見える、がとてもよい雰囲気の景色を作り出している。心地よい公園の風景のように見えるが、明治時代はここから砲撃できるように木はなかったのだろう。砲台の上部の丘の上には、おそらく敵艦を望む指令所があったかと思われる。砲台の両脇も石組みでしっかりと固められている。何か所も四角いくぼみがあるが、デザインではなく、ここに装弾前の砲弾を保管したそうだ。

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