芸予要塞探索ガイド【しまなみ海道・小島】

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芸予要塞・弾薬庫跡

芸予要塞弾薬庫跡

南部砲台跡より小島の集落を離れ、森の中に続く細い道を進んでいく。森の中を2分ほど進むと、戦跡を示す「弾薬庫跡」と記された道標が道端に見つけられる。そこには山の奥へと続く両脇は石でしっかりと固められてた立派な通路がある。まるで整備された公園のようにも思える、独特な雰囲気が漂う。この道を歩いていると、心地よい散策をしている気分になる。しかし、この先に待っているのは、砲台から発射する危険で恐ろしい弾薬を保管していた施設だ。

芸予要塞弾薬庫跡

通路の行き止まりは広場になっており、そこにレンガ造りの重厚な建物「弾薬庫跡」が残っていた。建物とその前の広場は山に囲まれ盆地のようになっている。正確に言えば、要塞建造時、先ほどの通路と弾薬庫付近をわざわざスコップで掘り下げて建造したそうだ。要塞が造られた明治時代は重機などもなく、ほぼ手作業だったはず。これだけの地形をスコップ1本で変革させるのは、相当な工事だったと思われる。

危険でかつ重要な物資を保管した弾薬庫。万一敵の艦船からの砲撃が直撃すれば、誘爆で要塞や兵に大被害。さらには、敵艦を攻撃する手段を失う事になる。最悪の事態を避けるため、わざわざ山を切り崩し、敵から見えず砲撃も受けない高台の山の中に造られている。

芸予要塞弾薬庫跡

建物の下は美しいアーチが組まれており、高床式になっている。このように床をあげる事で、地表からの湿気を防ぐ造りに弾薬庫はなっている。必要だったとはいえ、こんなに美しいアーチを床下にいくつも描いているあたり、かなり手が込んでいる。当時の技術が惜しみなく盛大に使われているのは、戦争という国を挙げて行った事業の悲しいともいえる。アーチ状の床下はまるで水路で、雨が降ってもこの下を水が流れ、建物内に流れ込んだり湿気となって入り込まないように工夫されている。この重厚な躯体を支えるだけあって、今もまったく老朽を感じさせない立派なレンガ組み。これだけの長さを見事なアーチを描いていて、その技術の高さを感じる。

芸予要塞弾薬庫跡

弾薬庫は扉や屋根は残っておらず、内部には容易に入る事ができる。もしもの時の備えであろう、レンガ造りの壁はとても分厚く、100年以上経った今でも、強固にこの場に残っている。弾薬庫は内部の弾薬が爆発した際、爆風を上方にのがして付近への被害を抑える工夫がされている。強固な壁の上には簡易な屋根しかのせず、爆発した際は屋根を吹き飛ばして上空へ爆風が吹き上がるようになっている。そのため、弾薬庫の壁は今もしっかり残っているが、屋根は跡形もなくなくなっている。

弾薬庫の床は所々アーチ状に床が突起しており、その上に水平を保つかのようにレンガが所々組み上げられている。おそらく、この組み上げたレンガの上に棚を作って、砲弾や弾薬を保管したのではないだろうか。ずらりと整然と砲弾が並べられていただろう。そんな近世の兵器が並んでいた場所が、今はまるで旧時代の神殿の遺跡のようにすら見える。

芸予要塞弾薬庫跡

爆風にも耐えられるように作られた重厚なレンガ壁。今も崩れもせず、ヒビすらも入っていない。相当にしっかりと作り上げられたものであることが伺える。

芸予要塞弾薬庫跡

いったん弾薬庫を離れる。広場の奥に、まださらに山の奥に続く道がある。その道を進むと、弾薬庫があった場所とは別に掘り下げられた小さな盆地があり、そこにもレンガ造りの遺構があった。

芸予要塞弾薬庫跡

先ほどの弾薬庫ほどの壁の重厚さは無く、壁も一部崩壊し、草木に飲み込まれている。とはいえ、レンガ壁はこの遺構もかなり重厚でしっかりしている。弾薬庫を管理する兵の詰所だったのか、それとも万一の時を考え、予備の弾薬をここでも保管したのだろうか。いずれにしても、弾薬庫から見えない場所に山を切り開いて設置されている。弾薬庫が爆発した時に、ダメージを被らないように作られている意図を感じられる。

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