父島要塞大村第二砲台跡【小笠原の戦跡】

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小笠原・父島の中心、大村地区の外れにある村営バスの車庫のすぐそばから「ウェザーステーション」という展望スポットに向かう道がある。この道を登ってウェザーステーションを目指す。ここからおおよそ1.1kmの上り坂が続く。
道幅は1.5車線ほどではあるが、その勾配はとても急。レンタルしている自転車はもはや乗ることはできず、降りて歩かねばならない。あまりにも急勾配なので、帰りの下りも自転車は乗れないだろうと思いながら歩く。かなり登りつめたころ、目の前に大きな弧を描いて道がほぼ180度カーブしているところがある。そのカーブの内側に、大きな戦跡が眠っている。それが「父島要塞大村第二砲台跡」である。

深いジャングルのの中に眠る要塞跡

大村第二砲台跡

うっそうと茂るジャングルの前に大村第二砲台跡と書かれた看板があり、森の中に道が続いている。ガジュマルなどの南国独特の植物に覆われたうっそうとした森は昼でもなお薄暗く、迷ったら抜け出せそうにない。
そんな深い森に突然古いコンクリートの建物が現れる。これは油庫だったと思われる倉庫。建物の中には戦時中のものかどうかはわからないが、錆びついた一斗缶が散乱していた。

大村第二砲台跡

天井が崩れ壁面のみを残す建物。ツタや木々がからみつき、永い年月をかけて建物を破壊しているのか。それとも米軍の砲撃などにより破壊されたのか。薄暗いジャングルの中には、こんな無に還りつつある建物の跡が方々に残っていた。
深い森の中に眠る重厚な石やコンクリートを使った建物は、不気味すら感じる。確かにここで戦争が行われていたという記憶は、森に埋もれていく中でもわずかに残っていた。

今も当時のまま残る旧日本軍の要塞跡

大村第二砲台跡見取り図

現地の案内板。要塞跡は思った以上に広い。ここで多くの旧日本軍の兵士が襲来する米軍と戦っていたのだろう。
海を望む崖には今も砲座跡が残っている。砲台跡からは二見港を見下ろせ、絶好の砲撃ポイントだと素人目にもわかった。大正10年より建設されたこの要塞、最終的には昭和15年にカノン砲2門を設置を以て完成したそうだ。ここからカノン砲が米軍に向かって砲火していた要塞だと思うと、なんだか少し怖くなった。
ただ、要塞は軍事機密だったので、当時の記録はほとんど残っていない。建物の用途は推測であるそうだ。記録がなくてもジャングルに埋もれつつある記憶は、いまだに何かを後世に伝えようとしている。

大村第二砲台跡

上記の案内板に乗っていない要塞の施設と思われる戦跡もたくさん道沿いには残っている。岩肌にぽっかり穴をあける施設の入口もあった。たぶん、大村第二砲台砲側弾薬庫と思われる。入口や内部には何枚も木の扉がつけられていて、奥の棚には何か置かれている。内部は真っ暗。声がこだまのようになって返ってくるくらい奥は深く、どこまで続いているのかわからない。
少し中に入ってみようかと思ったが、生ぬるく湿った空気が漂っている内部は全く違う世界。真っ暗な洞窟や夜の森に平気で入っていく僕だが、この中に入るのはできなかった。

小笠原では本当に戦闘があった。アメリカの大統領、ジョージ・ブッシュがこの父島からの対空砲火で乗っていた戦闘機を撃墜されている話が有名だ。ここは本当に戦場だったのだ。そんな戦場の跡が、今も手つかずであちらこちらに残っている。改めて小笠原の深さをひしひしと感じた。

小笠原・父島の宿泊情報

■ 父島の街の中心で便利なリゾートステイ

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父島要塞大村第二砲台跡

場所:東京都小笠原村父島
駐車場:なし
交通:二見港より車・バイクで約10分、徒歩で25分
付帯施設:特になし

【投稿時最終訪問 2008年1月】

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