柳谷取水口 【別子銅山稼働中の発電施設】

最終更新日

Comments: 0

日本三大銅山のひとつ、別子銅山。江戸時代に開かれた銅山で、住友財閥発展の礎となったが、昭和48年の閉山後、銅山は山に戻り今はひっそりとしている。それでも銅山の発展に伴い、山麓の新居浜市には住友関連の工場が軒を連ねている。そんな工場の電力供給を今も支えるため、当時の施設が今も稼働しているものがある。それらは「東洋のマチュピチュ」として脚光を浴びる、かつての採鉱本部があった東平(とうなる)からの別子銅山の登山口途中に見ることができる。
第三通洞を過ぎて少し行くと、「柳谷取水口」の看板も立てられている。その看板に導かれるまま、登山道から川岸に降りると、それはあった。

深い山の中潜むように佇む取水設備

別子銅山柳谷取水口

別子銅山の登山道から少し離れた場所にある「柳谷取水口」。東平へ向かう途中に車で通った「鹿森ダム」上部にある「東平発電所」へ水を落とすための取水をする設備らしい。
いつつくられたのかはわからない。しかし、別子銅山が運営されていた時のメインの発電所は、これまた途中に通った「道の駅マイントピア別子」にあった端出場発電所。廃止された端出場発電所の後継とされるのが東平発電所。そして、この東平発電所のメインの水の取水先が昭和40年に完成した「別子ダム」。その為、付帯施設であるこの柳谷取水口も昭和48年に閉山した別子銅山の末期につくられた約40年前の施設だと推測される。
ダム建設後に、取水効果を上げるために追加工事されたのならもっと最近の施設になるのかもしれないが・・・
どちらにせよ、高い山の中にある緑に囲まれた森の中に現れた施設には驚かされる。この施設は産業遺産ではなく、現役で稼働中の施設のようだ。

別子銅山柳谷取水口

取水口には谷を流れる水が集められている。とにかく透明で美しい水。エメラルドグリーン色した水は宝石のようだ。
その美しい水は、水路をとおり、水門から地下に流れ込んでいく。水門の先は、水が流れていく場所が見当たらない。いったいどこに行くのだろうか?

別子銅山柳谷取水口

柳谷取水口には、施設内には立ち入らないでくださいとの看板がある。施設の老朽化もあり、もろくもなっているようだ。柵内には入らないようにしたい。
さて、今は登山中なので、そろそろ出発しよう。ちょうど上流に橋が見える。登山道もあのように橋を渡る場所があったので、あれが登山道だろうと思い、奥に進む。

別子銅山柳谷取水口

あれ?どうも様子が変だ。
残念ながらここはいつも渡っている登山道の橋ではないようだ。ここにも取水口があり、先ほどの柳谷取水口への水路にはここから水が引かれているようだ。谷を流れる川に、また違う谷から水が注ぎ込み、美しい淵を作り出している。そこから水を導水している。

地下通路で水を集める別子銅山の発電設備

別子銅山柳谷取水口

んん?なんだこれ?
淵に流れ込んでいる小さな滝は自然の流れではなく、人口のものだ。もちろん、今は人が住んでいないので排水などではない。橋の向こうに見える魅惑の構造物を見せつけられて、このまま引き返せない。橋を渡ってみる。

5号トンネル・住友共同電力株式会社

なんじゃこりゃ?
水が流れ出している先にはトンネルが。標高1000m近い、深い山の中に何でこんなものがあるの?
トンネルの横には「5号トンネル・住友共同電力株式会社」との看板がある。住友はこの別子銅山を開発し280年以上経営している。現在もこの付近は住友関係企業が管理している。
実はこの施設は地図で調べると、柳谷取水口がある柳谷川の隣にある豊かな水量がある唐谷川から水が引かれているようだ。おそらく唐谷川にもここと同じような取水口があって、この柳谷川に水が引かれているのだろう。柳谷取水口からも、寛永谷川へ水が引かれていることが地図でわかる。
「寛永谷川取水口(行き止まり)」という看板が、登山道にもあったので、そこでもここと同じような風景が見れるのだろう。寛永谷川取水口から取水された水は、別子ダムからの導水路に山の中のトンネルで合流するようだ。別子ダムからは、今登っている別子銅山の下を約4.5kmの地下水路を通して水を東平発電所に落としている。
東平発電所は「ダム水路式」と呼ばれる発電方法。ダムの落差だけで発電せず、さらに山の下にある発電所まで取水した水を一気に落として発電する方法。山の向こうから水を引っ張ってくるこの発電所は、落差が599.7m。日本第二位の落差を誇る水力発電所だ。山の中に深く長い穴を掘るのが当たり前の大鉱山があるこの山域でこそなしえた業だ。
この東平発電所の前の別子銅山のメインの発電所であった明治45年に造られた「端出場発電所」も596mの落差で、当時は東洋一の落差を誇っていた。こちらの発電所への導水は、先ほど登山道の途中にあった全長4000mの第3通洞を使って今の別子ダム付近の川の水を導いた。第3通洞からも約6kmの導水路を山の中に通して、一気に発電所に水を落としたそうだ。
こうやって水力発電の歴史や遺構を見ていると、それは銅山開発にはなくてはならないものだったと感じる。この施設は、別子ダムからの取水の補足に使われているようだ。別子ダムは、銅山川の最上流部に造られた比較的小さなダム。このように沢の水をいくつも注ぎ足さないと発電には不足がちなのかもしれない。

5号トンネル・住友共同電力株式会社

さて、いろいろとこのトンネルについて調べたことを書き綴ったが、これを初めて見た時はそんな予備知識もなし。この時持参した昭文社の「山と高原地図」にはこの施設についての記載はなかった。この施設が何で、中がどうなっていて長さがどれくらいなのか全く分からない。
普段からしょうもないことばかりしている僕は、その通り「穴があったら入りたい」人間なのだ。こんな所を見ると、探検したくて仕方がない。もちろん、ザックの中には、ヘッドランプが常備されている。
しかし、この日持ち合わせていないものが2つあった。それは本日の廃線跡探索以外に使う時間。そして何より「あとちょっとの勇気」
さすがに得体も知れない真っ暗な穴の中に一人で入って行くのは結構勇気がいる。それにここは別子銅山なのだ。このトンネルがこの先何キロメートルと続いていても不思議ではない。保守されていない施設だとしたら、崩落などの危険もある。「施設内立ち入り禁止」の立札も、先ほどの取水口にあったので、ここはおとなしく引き返そう。
ちなみに帰宅後、国土地理院の地図で確認すると、この導水路が確認できた。地図で測ると、長さとしてはおおよそ250mといったところ。しかし、狭くて真っ暗な空間の250mは、相当長い。

別子銅山柳谷取水口

トンネルから再び柳谷取水口に戻るために橋を渡る。エメラルドグリーンの透き通った沢の水が本当にきれいだ。
この柳谷川の源流部は、別子銅山稼働期は、今目指している山岳鉄道廃線跡の始発駅があった場所。いくつもの工場がたちならび、もくもくと煙を吐き出し、付近ははげ山になっていた。おそらくその当時、この川は土砂や煤煙が混じり、本当に汚い川だったのだろう。それが今やとても美しい川の流れに戻っている。昔の汚染など、微塵も感じさせない。別子銅山を運営していた住友が、銅山の閉鎖部分には必ず植林して、自然に戻す努力を怠らなかった。そのため、別子銅山は閉山後40年足らずでここまで美しい自然を取り戻している。人間と自然の共存を改めて感じさせられる場所だ。
さて、この取水口からすぐ上部に登山道があるはずだが、深い森に遮られて場所が分からない。ショートカットをして戻ろうとしたが諦めてきた道を戻った。戻った登山道からも、この美しい淵や取水口は確認することができなかった。これだけ木々が葉を落としたのにだ。
以前は大勢の人が住む町であったこの山。今は深い森がその跡をすっかり覆い隠してしまっている。この多くの木々の中には、まだ僕たちが知らない、過去の人の営みが遺跡としていっぱい眠っていることだろう。改めてそう感じた。

別子銅山登山に便利なホテル

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください