戦艦三笠【横須賀・世界三大記念艦】
横須賀・三笠公園にある「戦艦三笠」は世界三大記念艦のひとつで、明治時代の戦艦そのものが保管されています。明治維新後、列強に追いつこうとした日本がついに日露戦争で無敵と言われたロシア・バルチック艦隊に勝利した旗艦です。東郷平八郎や秋山真之などの人物が搭乗し指揮をとった歴史的な戦艦で、退役後に横須賀港に記念艦として保存されています。太平洋戦争後はアメリカ軍にキャバレーに改装されたり、金属部品の盗難が横行するなど荒れていましたが、現在はかつての姿に忠実に再建されおり、内部を見学することが出来ます。
本物の戦艦が保存されている美しい三笠公園
戦艦三笠を中心に整備された三笠公園は「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」に選ばれた海沿いの美しい公園。連合艦隊司令長官として三笠で日本海海戦の指揮をとった東郷平八郎の銅像の後ろに戦艦三笠があります。
三笠は日露戦争後、爆発事故による沈没、座礁による修理などを経て満身創痍の状態でここ横須賀に入港。関東大震災により岸壁に衝突して着底したため、ここで戦艦としての役目を終えました。武装解除の上埋め立てて再出港できないようにする条件で三笠は解体されず記念艦として保存されることになりました。西洋列強を撃ち破った象徴として多くの日本人がその保存を願ったそうです。
1902年(明治35年)から1923年(大正12年)まで大日本帝国海軍の軍艦として活躍した三笠。1904年の日露戦争に旗艦として参戦し、日本海海戦で当時無敵ともいわれたロシアのバルチック艦隊を撃破する歴史的な勝利を収めた艦です。
全長131.7m、全幅23.2mで、850人の乗員が乗ることができます。18ノット(時速約33km)の速力があり、13000kmの航続が可能でした。武装は主砲の40口径30センチ砲4門、副砲の40口径15センチ砲14門、補助砲の40口径7.6センチ砲20門。4門の魚雷発射管もあり、体当たり攻撃ができる衝角も備えられていました。実際に明治時代に艦隊戦を行った軍艦が今も保存されているのはとても貴重なことです。
三笠に装備されていた巨大な艦砲
左舷と右舷に5門づつ計10門装備された40口径15cmの副砲。武装は全てレプリカですが、精巧に復元され当時のままの姿で迫力があります。
副砲の内部は厚さ20cmを超える分厚い鉄の装甲で守られ、かつ別々の区画になっています。当然敵の攻撃目標となる箇所なので、高い防御力があり、万が一直撃を喰らっても隣の副砲まで被害が及ばないように設計されています。まるで要塞に設置されるカノン砲のような巨大な副砲は毎分6発発射可能で、日本軍の砲撃手の命中精度はずば抜けて高かったそうです。
副砲の上部の甲板には、40口径7,6cmの補助砲が合計20門配備されています。副砲に比べると非常に小さな砲弾を使用したため主に接近戦で使用されました。その分連射が可能で毎分15発も発射できたそうです。
甲板に副砲が配置されており、実際に動かすことができます。弾倉がないので続けて発砲するには水兵の練度も必要なようです。レプリカとはいえ細部まで忠実に再現されており、精密で見た目は機関砲のような副砲には見入ってしまいます。
40口径30cm連装砲塔は明治時代のものとは思えないほどのとても巨大なものです。射程距離は10km以上もある強力な武装です。
真正面から見た三笠。三笠は保存時に国際条約で二度と出港できない状態にする条件がありました。そのため、武装解除とともに機関や弾薬庫があった下甲板にコンクリートを注入して海底に固定し、さらには付近を埋め立てられました。海に浮かんでいるように見えますが陸に上がっており、舳先は皇居に向けられています。船首には戦艦におなじみの菊花紋章が掲げられています。現在の菊花紋章はレプリカで、本物の三笠の菊花紋章は1987年に取り外されて艦内で公開保存されています。
三笠の最後尾は司令長官室になっており、バルコニーがついているなど戦艦としては信じられない豪華な設備。室内もレトロなホテルを思わせるような装飾で、ここだけクルーズ船のようにも見えます。
司令長官公室の窓には砲が備え付けられています。司令官の滞在場所を守るためか、砲を設置するのに都合良かったどうか知りませんが、窓のついた部屋に砲がついているのは珍しく思えます。
司令長官公室内に設置された速射砲。軍の上層部や要人が集まる公室は船の中とは思えないくらいの豪華な造り。絨毯敷きの床に設置される巨大な砲の存在感は凄まじいものです。
当時の姿を留める貴重な戦艦三笠の見学
三笠に乗船すると甲板デッキの上に出ます。時代を感じる木の床ですが、残念ながら戦後の混乱期に多くの金属部品と一緒に剥がされて盗難にあったためかなりの部分が再建されたものになっています。それでも一部に当時のままのチーク材の床が残っています。
人間よりもはるかに大きいエンジンを搭載し、鋼鉄の巨体を走らせていました。そのため艦の中央には巨大なファンネルがそびえています。どれくらい三笠のエンジンが大きかったかは艦内の展示室で見学できます。
ファンネルと並んでそびえるメインマスト。帆船として帆を張ったりはしませんが、信号旗を掲げたり、索敵用の見張り台として使われていたそうです。無線やレーダーのなかった明治時代の主要な艦船装備だったといえます。
艦橋の真下にある前部司令塔。戦闘時の艦内指揮と操鑑を行えるよう、羅針盤や操舵輪、主要な計器や艦内通信機などがコンパクトにまとめられています。35cmという分厚い鉄装甲に囲まれ、必要最低限の覗き穴だけ開けられた空間は、砲撃を受けても三笠の頭脳が失われないようにした空間です。
司令塔の分厚い鋼鉄の壁。砲弾の直撃を受けても主砲レベルの攻撃でないと破れないそうです。とはいえ日本海海戦の際には爆発の破片が隙間から飛び込んで、乗務員が負傷したそうです。
司令塔の上部には操舵室があります。平時の三笠の運航や指示を担う、船の中枢です。現在の船舶のようにレーダーなどの精密機器や無線、モニターなどは全くなく、アナログな計器や伝音管のみ。操船や航海には相当な技術が必要だったと思います。
ブリッジから望む艦首。巨大な主砲が狙いをつけている先には米軍の横須賀基地があります。今はとても友好的な関係の米軍基地ですが、三笠の退役後の太平洋戦争時には本当にこのようなシーンがあってもおかしくなかったのでしょう。
ブリッジの側面には信号探照灯 があります。沖合に浮かぶ島は「猿島」。東京湾に浮かぶ唯一の自然島で、首都防衛のために猿島要塞が造られていました。今も島に観光船で渡って、要塞跡を見学することができます。
ブリッジの操舵室に並んである海図室。今とは違いアナログな海図しかなかったため、ここで海図を確認して現在地や進路の確認をしていたと思われます。また、モールス信号程度しか通信手段がなかった当時、主な通信手段であった信号旗がここに保管されていました。
戦艦の中とは思えない豪華な士官用の部屋
艦長公室。各部門の長には個室があり、まるでレトロな洋館さながらのクラシカルで優雅なつくりになっています。窓が丸窓だったり、天井が武骨な鉄板であることでここが船の中の部屋だと感じられます。
艦長公室の奥には司令長官公室があります。要人を招いたり最高士官の重要な作戦会議が行われた場所です。天窓があったり、重厚なテーブル、暖炉までがある船の中とは思えない豪華な部屋です。ここで東郷平八郎や作戦参謀だった秋山真之が会議をしていたと思うと、歴史ファン、特に司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」が大好きな人にはたまらない場所でしょう。
司令官公室のさらに奥、艦尾の部分には司令官長室があります。東郷平八郎の私室となっており、実際に東郷平八郎が使っていた家具が残されています。ここが戦艦の中とは思えず、当時の一等客船のようにも思えます。
司令官室や艦長室には専用のバスルームがあります。当時でも高級ホテルや洋館にしかないバスタブが戦艦の中にあるというとても贅沢な造りです。明治時代の造りには大正や昭和初期にはない優雅さや余裕さを感じることが出来ます。
司令官や艦長などの高級士官や来訪した要人のための食事や飲み物を用意した給仕室と思われる部屋もありました。
艦長室は戦艦の中とは思えない豪華な設え。窓やベッドにはカーテンも備え付けられており、ベッドの下は収納として利用できます。壁や天井は船の趣を残しており、優雅ながらも機能的な部屋です。
室内にはレトロなカップボードや鏡も備え付けられています。
上級士官には個室が用意されており、いくつかの部屋が司令官公室の手前に並んでおり、まるで客船のようです。司馬遼太郎の坂の上の雲の主人公、作戦参謀だった秋山真之もこの部屋のどれかを使っていたのでしょう。
上級士官用の個室は艦長室と比べやや小さいながらも、立派な部屋になっています。
小さいながらも立派なソファーも個室には備え付けられています。
まるで食堂のような士官室。実際に士官が食事をとる場所で、その他に作戦会議などに使われていました。
甲板デッキから下ると中甲板になっています。主に士官の個室や副砲を備え付けた砲室になっており船員の居住空間でもありました。一部講堂や中央展示室に内部は改築されて展示スペースとなっています。
艦長室や司令官室の前には司令長官専用の階段があります。
日本海海戦に思いを馳せる甲板デッキ
艦首部のデッキに出ると、そこには戦艦三笠の主砲があります。もちろんレプリカですがその精工さや大きさは半端なく大迫力で、明治時代にこんなものがあったとは驚きです。さらに驚くことに砲塔部の真下にクレーンが設置されており、船内の弾薬庫から素早く砲弾を装填することができたそうで、次弾発射まで約1分で可能だったそうです。13km先の敵攻撃できる驚異の武装です。
艦首部の甲板上のから振り返る主砲と艦橋。錨を下ろす巨大で長い鎖がまさに戦艦といった雰囲気を感じます。
艦橋の横、右舷側には海に面した副砲を間近に見られます。
ブリッジの屋上、最上艦橋は指揮搭となっており、羅針盤や照準器が設置されています。日本海海戦時には東郷平八郎はこの危険な場所で砲撃戦の指揮をとっていたそうです。実際に東郷平八郎が立っていた場所には足跡のプレートがあります。日本海海戦には「皇国の荒廃この一戦にあり。各員一層奮闘努力せよ。」という意味のZ旗や、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の電文など、東郷平八郎や秋山真之にまつわる有名なエピソードがたくさんあります。
艦内の充実した展示はたっぷりの見ごたえ
当時の軍服などが展示されており、実際に東郷平八郎が着用していた制服もあります。身長は153cmだったといい、当時の日本人としても小柄なことが制服からもわかります。しかし若い頃は相当なイケメンだったそうです。
艦内には三笠の構造や日露戦争時の艦船模型、日本海海戦の様子などの当時の貴重な写真や資料が数多く展示されています。三笠自体の見学はもちろん、展示物もとても充実しており、見ごたえがあります。
歴史的な艦隊決戦、ロシア・バルチック艦隊と三笠を旗艦とした日本海軍との日本海海戦をリアルに体験できるVRが7台設置されています。バルチック艦隊を破った丁字作戦を東郷平八郎の目線でブリッジから眺められるVRは大迫力です。順番待ちをしていると、VRを装着した人が右を見たり左をみたりキョロキョロしているのがとても面白く思えます。
戦艦三笠を見学して時間があるならぜひ一緒に訪れたいのが「猿島」です。三笠が活躍した明治時代の同時期に造られた首都防衛のための猿島要塞があり、島内には地下通路や砲台跡がたくさん残っています。10分ほどで三笠公園から遊覧船で猿島に渡ることが出来ます。列強と肩をならべ国を守ろうとした明治時代の鼓動が聞こえてくる場所です。
世界三大記念艦 三笠
住所: 神奈川県横須賀市稲岡町82
電話: 046-822-5225
営業時間: 9:00~17:30 (3・10月~17:00、11~2月~16:30)
※入艦は閉艦30分前まで
休業日: 12月28~31日
料金: 600円(高校生300円、中学生以下無料)
交通: 京急横須賀中央駅より徒歩15分
横浜横須賀道路・横須賀ICより約10分
駐車場: なし(近隣の有料駐車場を利用)
【投稿時最終訪問 2018年12月】