小笠原・母島クルージング【父島発着】

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東京から1000km離れた太平洋に浮かぶ絶海の孤島・小笠原諸島。小笠原の有人島は父島と母島。東京と直通便がない母島へ父島からの定期船で行くには相当な旅程となる。そこで、母島を1周・上陸し、ホエールウォッチングやドルフィンスイムがセットになったツアーに参加する。小笠原の魅力が詰め込まれた至れり尽くせりのクルージングだ。

父島から母島へのクルージング

父島南海岸

父島の南沿岸でのクジラとの遭遇。感動の一瞬が終わると、船は大きなエンジン音をあげ、全速力で南下を始めた。先ほどまでいた、南島と、父島との間に広がる沈水カルストの地形の島々がゆっくりと小さくなっていく。

父島ハートロック

青い海の向こうに見える赤いハートの形をした「ハートロック」。ここが父島だとわかる、目印のようなものだ。
天気は徐々に回復し、海の青さがどんどんと鮮やかで、深くなっていく。僕たちはクルーザーの後部デッキにいた。あまり水しぶきはかからないとはいえ、全速力で走る船が巻き上げる飛沫はすごい。後部デッキにも容赦なく飛び込んでくる。しかし、まだ風は幾分涼しいが、飛び込んでくる海水は不思議なくらい温く感じる。今がお正月である事を、すっかり忘れさせてくれる、初夏の様相だ。

父島ハートロック

船が進む後をずっとついてくる鳥が1匹いる。時々海面すれすれを飛び、そして急旋回。船からかなり離れたと思ったら、すごいスピードで後方から船に追い付いてくる。まるで、船という珍しいおもちゃで遊んでいるようだ。
しかし、鳥が船の後についてくるのは実は「漁」のため。船に驚いて海面に飛び出すトビウオをゲットするために、船の後でその機をうかがっているのだという。時々海面に急降下するのは、狩りの瞬間だろうか。

アホウドリ

ついてきていたのは「アホウドリ」(絶滅危惧Ⅱ類)
加速するとき以外はほとんと羽ばたかず、長い羽根で海上の風をとらえて見事に飛んでいる。陸地では飛ぶまでに時間がかかる為に簡単に捕まえられるアホウドリ。その為、一時期は乱獲で絶滅の危機にさらされたが、今は手厚い保護もあり、数を増やしているそうだ。陸地では鈍い鳥も、海の上ではとても優雅で、熟練した見事なアクロバット飛行を見せてくれた。
結局このアホウドリは母島までの約50kmのクルージング中、ずっと船についてきた。海で生活する鳥。その飛行能力は並はずれてすごいものだった。

カツオドリ

前方の「母島」の島影が大きくなってくる頃、南島から飛んでくる鳥の姿も見ることができるようになった。写真は「カツオドリ」
渡り鳥ではなく、同じ島に留まるので、この鳥が飛んでいると、陸地が近い印となるそうだ。実際、目指していた母島は、もう目と鼻の先の距離だ。

母島乾崎

ついに母島の最北端、「乾崎」が見えてきた。これから船は母島周辺でイルカを探し、シュノーケルを楽しんだのち、この島に上陸する予定だ。
が、その手前の鬼岩という巨大な岩礁の手前で船はゆっくりと停船した。母島に到着してすぐ、出迎えるように待っていてくれたのは、探していたイルカたちだった。

母島乾崎

僕たちが乗っていた「PAPAYA」の船は、青い海の上でゆっくりと停船した。間近に迫るのは、約50kmのクルージングの末にたどり着いた、「母島」の断崖絶壁。怒涛の迫力の岩壁には、何匹もの鳥が行き交っている。
天気は大分回復したが、波はまだまだ相当に高い。比較的大きめのクルーザーだが、その船体も木の葉のように青い波に翻弄される、右に左に大きく揺れる。

母島乾崎

船から振り落とされないように、掴まりながら、絶海に突然現れた大きな岩の島の風景に目を奪われる。これが母島。小笠原諸島で一般人が行ける一番南の島だ。手つかずの大自然が残る島。その絶景は、海の上にいても凄まじいほどに圧倒される。東京から1000km以上も離れた南海の孤島。遠くまで来たものだと、感慨に浸ってしまう。

母島でのドルフィンスイム

母島のイルカ

「いたっ、いたっ、居た~!」
みんなが指さす方向を見ると、波間に背びれがいくつもみえる。居た。イルカだ。このツアーの船に乗る乗客のほとんどが、このイルカに出会うために乗っているといっていいだろう。
まだイルカは遠い。とにかく、先ほどのクジラの時のように、いいポジションをとるぞと僕はカメラを構えて船の前方へ移動しようとするが、今度はみんな船の後方に移動してきた。
あれ、イルカは船の後方から眺めるものなのかと思ってその場にとどまっていたが、瞬間後方デッキは戦場と化した。今までカメラを構えていた人がみんな我先に、ウェットスーツを着て、ウエイトを腰に装着し始めている。え?まさかこんな岩礁が多くて、こんなに波の高い場所を泳ぐの?水深が深い場所を泳ぐのは僕も全然平気なのだが、こんな大荒れの海を何のためらいも無く泳ごうとする参加者に驚いた。
「泳いでもいいけど、波が高いから念のためにライフジャケットを・・・」
と、船長のGOサインが出るか出ないかのうちに、ライフジャケットも装着せず真っ先に参加者の一人が飛び込み、イルカのいる方向にすごいスピードで泳いで行った。遅れてなるものかと、他の数人の参加者も続いて荒れる海に飛び込んでいく。その次に、ライフジャケットをつけた参加者が後に続く。参加者は一列になって、すごいスピードで青い波の中を見事にイルカへと近づいて行った。
すごい。僕も泳ぎに自信が無い訳ではないが、あそこまで海に慣れていない。結局妻と僕とあとほんの数人だけ、船の上に取り残されてしまった。もちろん水着は着ているが、こんなすごい場所を泳ぐとは思ってもいなかったので、フィンもウェットスーツも持ってきていない。野生のイルカと泳ぐには、装備と泳力、そして海を怖がらない心が必要だった。お気軽シュノーケル程度の装備の僕たちは、ドルフィンスイムをあきらめ、船上からイルカの姿を狙うことにした。

母島のイルカ

しばらくは少し離れた場所を参加者が一生懸命イルカの後を泳いでいたが、イルカの方からゆっくりと船に近づいてきた。すごい、野生のイルカと初遭遇だ。イルカは船の周りをゆっくりと泳いでいる。時々顔を出し、そしてまた潜り。とても優雅だ。水族館でイルカはよく見るが、野生のイルカは初めて。こんな近くまで寄ってきてくれるのは、とてもすごい。イルカは本当に人懐っこい生き物だということをひしひしと感じた。こんなに好奇心を持って人間と遊んでくれる野生生物は、そういないだろう。

母島のイルカ

波はとても高く、船は大きく揺れている。僕も船の支柱を抱きながら、イルカの姿を撮っている。そんな大きな波の中でも、イルカは優雅に楽しく泳いでいた。僕が必死に耐える波は、イルカにとっては心地よい揺れなんだろう。青い海を自由に泳ぐイルカが、とてもうらやましく思えた。
そして、この波の中、イルカに必死について行く参加者。そして、船を波にさらわれて岩礁に乗り上げないように巧みにコントロールする船長。海を愛する人間は、ここまで海に親しくなれるんだなぁと妙に感心したりもした。

母島のイルカ

船まで最接近してきたイルカ。時々潮を吹く音まで間近に聞こえる。海の中に泳ぐイルカの姿はエメラルドグリーンのヴェールに包まれているように見える。小笠原の海の青さとその美しさが、海を泳ぐイルカの姿からとても伝わってくる。近くで見る野生のイルカの姿は、やはり水族館などで見る感動とは比べ物にならない。
小笠原で見れるイルカは「ミナミハンドウイルカ」と「ハシナガイルカ」
「ミナミハンドウイルカ」は人に慣れていてよく一緒に遊んでくれる。「ハシナガイルカ」はジャンプが得意で、すごい跳躍を見てくれたり、時には走る船を追いかけてくることもあるそうだ。さて、今日出会ったのは・・・どちらか忘れました(泣)

母島のイルカ

何とかお顔を拝見できればと思ってイルカをずっと見ていたが、このイルカの群れはあまりパフォーマンスをして遊んでくれなかった。それどころか、海の上を泳いでいたと思ったら時々潜って姿を消す。そして、また思い出したかのように、海面に全頭がそろって姿を現す。
そのつど、船にいる乗客やスタッフが「何時の方向に出た」と見つける。「何時の方向に出たぞ~」と船長が拡声器で海にいる参加者に伝えると、参加者はまたイルカの居る方に一生懸命泳いで行く。どちらかというと、人間がイルカに遊ばれている感じがした。
船長曰く、このイルカの群れの中に何頭か小さな子供が混じっていた。子供をかばっているので警戒心か強く、なかなか遊んでくれそうにないとのことだ。少し残念だったが、こうやって何頭もが一緒に生活しているイルカの群れを見ると、なんだか心温まる。
しばらくして、伴走する僚船「PAPAYA Jr.」がイルカと遊んでいた参加者を回収して母船に戻ってきた。十分に遊んでもらえなかったようだが、それでもみんなとっても楽しそうな、屈託のない笑顔をしていた。

母島の断崖絶壁

野生のイルカとの触れ合いが終わり、海に飛び込んだ参加者の回収作業が続く。ご覧のとおり、海はかなり荒れているので、母船のクルーザーまで泳いで帰ってくるのはなかなか骨が折れる。僚船の漁船タイプの小型船が海にいる参加者を引き揚げ、母船に近づいてから参加者はそこから再び海を泳いで戻ってきた。その間、海に入らなかった僕たちは、小笠原の海、母島の荒々しい岩壁の姿を眺めていた。岩壁の波打ち際には大きな穴がいっぱい開いている。

母島の青い海でシュノーケリング

母島

全員が船に戻ったら、船は母島を時計回りに走り始めた。母島の最も北の岬でイルカに遭遇したので、北から東海岸を走って行くルートだ。
その美しい母島の姿をいっぱい一眼レフで収めたかったが、飛んでくる波しぶきのためにカメラはもう使えない。慌てて、防水バックの中に収納する。しかし、この大波の中のイルカの撮影で、もう一眼レフは潮で真っ白になっている。

母島

島の東海岸を南下する。深い緑に荒々しい岩肌。そして、それらに打ちつけられる、荒々しい海。常夏の小笠原も、冬には厳しい北風が吹きつける。荒々しい海の様子だけは、日本の海と変わらない。船の中にも容赦なく波しぶきが飛び込んでくる。
さて、こんな水しぶきに濡れる過酷な環境の中で撮影は、普段はサブカメラとして使っている防水デジカメが頼りだ。3mまでの潜水が可能な防水カメラだ。しかし、参加者の持っているカメラは30~40m潜水できるプロテクターを装備させている人がほとんど。みんな気合い入っているなぁと感心していたが、この3mとそれ以上という防水性能の差が大きな壁になることをこの後実感することになる。

母島の海食洞

母島も父島と同じく海底火山の噴火によってできた島。そのため、島の岩肌は荒々しく、長年の侵食によって奇岩が形成されている。海の上を走りながら、刻々と変わっていく島の表情は見ているだけでも飽きない。それどころか、どんどんとその表情の豊かさには惹きつけられていく。

母島の断崖絶壁

大きな入り江に入ってくると、先ほどまでの波の高さが嘘のように静かになった。そして、船はゆっくりと速度を落とした。船長からここでシュノーケルを楽しんでくださいとアナウンスがある。イルカはいないが、参加者は待っていましたと次々と青い海の中に飛び込んでいく。
ここは「東港」という場所。周囲には集落はなく建物も何もないのだが、なぜだか立派な防波堤だけが作られている。戦前にはこの付近には集落があり、返還後も昭和末期までここを基地にして捕鯨がおこなわれていたそうだ。今は住む人もいない場所だが、国際避難港として整備の工事が進められていると船長から聞く。確かに、母島の中心地の港には大きな船が入れない。この大海原で荒れる海を回避できる場所は、絶海を行く船舶にとっては天国だろう。

ボニンブルー

恐ろしいほどに青い小笠原の海。まるでブルーサファイアのような海の色は、本当に宝石の色。この惑星の宝石、すべての物を産んだ母なる海。美しい海の色を見ていると、どうしても海に誘われる。
南国の海は暖かいとはいえ、強風吹くポートの上はまだ寒い。ラッシュガードを着ているので海の中は大丈夫だが、そのあとの移動はとても寒いだろう。そう思って、もう今日は海に入るのはやめようと思っていた。なので、デッキの後ろから持ってきたゴーグルでその美しい海の中をのぞいてみる。

母島の海

相当水深はあると思われるのに、はっきりと海底のサンゴ礁が見える。なんという水の透明度だ。折からの悪天候と強風で、海の中は濁っているはずなのに、それでもこの美しさ。恐らく、日本の中でも最も美しい海の色だろう。
この美しい海の中を見た瞬間、僕の中のスイッチが入った。気がつくと、後部デッキに戻り、ジャケットを脱ぎ捨てシュノーケルを装着していた。そして僕はこの小笠原の青い海に抱擁されるように、その身を海に投げ込んだ。小笠原に来て、何度も試みてきた初泳ぎを、この時にやっと達成した。

母島のサンゴ礁

1月の小笠原の海は、ラッシュガードを着ているとはいえ、びっくりするくらいに暖かかった。海に落ちて心臓麻痺する人はおそらくいないだろう。少し涼しい夏の日にプールに飛び込んだくらいの冷たさしか感じない。
船の上から見るより、サンゴ礁は近く見える。とても美しい。僕は国内でダイビングもする(していたの方がもはや正しい)が、こんなにサンゴが群生している場所は初めて見た。

母島のシュノーケリング

浅そうに見えるが海は深い。海面に浮く参加者と比べてみると良くわかるが、海底ははるか下だ。水深は推定で7~8mほど。
こんなに深いところで泳ぐとは思っていなかったので、フィンは持ってこなかった。フィンなしで海底まで潜るのは至難の業だ。しかも僕の持っているカメラの潜水可能深度は3m。海底までの潜水は不可能だ。しかし、僕以外の参加者は、この大荒れの海の中をイルカと一緒に泳げる猛者たち。おまけにウェットスーツとフィンで完全武装している。まるでイルカのようにドルフィンスイムで海底まで潜り、みんな気持ちよさそうに海中を泳いでいる。
その姿はとても美しい。中には2分近く難なく潜り続けたり、バブルリング(息で泡の輪っかをつくる)を披露する人も。まさに海人。よくテレビで熟練の素潜り漁師の技を見るが、これに近い。本当に同じ人間かと思うほど、みんな海の中を自由に泳ぎまわり、この美しい小笠原の海を楽しんでいた。なるほど、だからみんな、10m以上の潜水機能のあるデジカメを用意していたのか。今やっとはっきりと理由がわかった。
3mの潜水機能しかないデジカメと30秒の潜水がやっとの身体能力の僕。とても大きな違いをまじまじと見せつけられた瞬間だった。

小笠原の海

ジャックナイフで潜水して、美しい海底に近づきたいが、それをするとカメラを壊してしまう。船にカメラを戻そうとも思ったが、船は知らないうちに随分と遠くに離れている。フィンなしで簡単に戻れる距離ではなかったので、カメラを水から上げることはあきらめた。もちろん、カメラは水に浮かないので、手を離せば、深い海底に沈んでしまう。

小笠原のサンゴ礁

とはいえ、浮き輪もなしに、こんな深い海を平気で泳いでいられるのも小さい頃に通っていたスイミングの賜物。ここは海底への接近をあきらめて、海面からいろんな海の景色を見ることに専念しよう。
とても美しい枝サンゴの群生。まるで竜宮城に竜宮城にいるみたい。こんな美しいサンゴの森が、この海にはどこまでも続いていた。

母島のテーブルサンゴ

立派なテーブルサンゴも広がっていて、母島の海の中は多様な美しさを見せてくれる。本当に何の制限なく、この美しい海を魚のように泳いでみたい。そのために必要な装備と身体能力が僕に無いのが歯がゆく思えた。

小笠原シュノーケリング

サンゴの中には魚たちがいっぱい泳いでいる。美しくこの海と同じような宝石色をした魚から、地味な色の魚まで。悲しいかな、今日は深すぎて接近してその姿を拝めない。
しかし、ゆっくりと優雅に泳ぐ魚の姿を遠くからでも見ていると、とても不思議に心が休まる。

青い母島の海

さあ、そろそろ時間だ。船に戻らないと。他の参加者はまだ海で遊んでいるが、フィンを履かず、泳ぎも遅い僕たちは先に向かわないと・・・
下ばかり向いていてはわからないが、水平方向を見てもその透明度は抜群。小笠原の海は、とにかく青かった。

母島1周クルージング

小笠原母島大崩

「母島」の「東港」で青い南海の海のシュノーケルを楽しんだ後は再びクルージング。これから、母島を一周し、沖港から母島に上陸する。母島には公共交通機関はたったひとつしかない。それは、小笠原諸島の中心である父島・二見港と、母島の唯一の集落である沖港を結ぶ定期便の「ははじま丸」だ。定期路線のため、母島を一周することはない。母島を一周するクルージングは、船をチャーターするか、今回のようにツアーに参加するしかない。しかも、母島に上陸して日帰りできるのは、限られた小笠原での時間を有効に使えてとてもありがたい。
船はゆっくりと東港を後にした。天然の良港で、昭和の時代まで捕鯨基地であった東港を出ると、やはり波は高くなった。暖かいとはいえ、小笠原も冬。北風が大海原を容赦なく波立てている。クルーザーは青い海を切り裂き、白い波しぶきを立てながら走る。
船は「大崩」に差し掛かる。その名の通り、山が大崩壊して海に流れ落ちている。これは、海底火山でできた母島の脆い地層が崩れ落ちたそうだ。

母島乳房山

海の上にそびえる母島最高峰の「乳房山」(462.6m)
青い海から深い緑を纏った山が一気に立ち上がる、とても力強くも、どこかやさしさも感じる風景。

母島クルージング

船は青と白のコントラストを作り出しながら南下をつづける。1月の小笠原。暖かいとはいえ、海の上を渡る風は肌寒い。しかし、太陽の光は暖かく、時々デッキの中に飛び込んでくる澄んだ海水はお湯と思えるほど温い。

母島の断崖絶壁

青い海の上にそびえる100mはあろうかという荒々しい断崖絶壁と、その上に広がる深い緑に覆われた山々。絶海の孤島の火山島である母島。さすがにこのダイナミックでケタはずれのスケールは日本本土とその付近では見ることができない。まさに海上アルプス。日本国とはなっているが、この小笠原は地理的に見て、海外であると言っても過言ではない。

母島の断崖絶壁

青い清らかな海が火山大地の島を削り、断崖絶壁を作り上げていく。今まで島沿いを進んできたが、母島にはビーチというものがほとんどない。いかにも火山で突然できた島らしく、天然の要塞のように思われる。事実、母島や父島の断崖絶壁が続く海岸線には、旧日本軍の要塞跡や砲台跡が無数に残っていて、朽ち果てて自然と同化する時を過ごしている。

母島

島の南側に来ると、山の標高は下がり、海からそびえる断崖絶壁の高さも低くなってくる。絶壁の上は険しいジャングルに覆われた山から、開けた草原台地のような様相になっている。まるで、アルプスの高原の牧場がそのまま海の上に現れたかのような感じ。この崖の上は、どんなに気持ちのいい場所だろうか。ここから近づくことすらも出来ない、美しく魅力的な場所だ。

母島一周クルージング

海の上に森林限界が現れたような不思議な景色。先ほど訪れた南島もそうだったが、火山性の大地が多い小笠原では、岩石が露出して木々が生えれない箇所も多いのかもしれない。

母島摺鉢

赤土がすり鉢状に露出している場所は「摺鉢」と呼ばれている。ここまでくると、母島の南端はもうすぐだ。

海からの母島

母島の南端を通過し、島の西側を船は北上を始める。随分と島の高さは低くなった。人跡未踏の近寄りがたい島の雰囲気はなくなり、人を迎え入れてくれそうな優しい雰囲気になってきた。

母島のトーチカ

島の斜面に不自然にぽっかりと穴があいている。これはトーチカ跡。旧日本軍の戦跡で、ここから上陸しようとするアメリカの船を狙ったのだろう。
映画「硫黄島からの手紙」の舞台となった硫黄島は、この母島の南約200kmの海に浮かぶ。硫黄島の次が、この母島なのだ。硫黄島のような激しい戦いはなかったものの、母島にも爆弾を投下された跡が残り、森には今も旧日本軍の高角砲などの兵器が放置されている。豊かな自然の中に、今も消えぬ戦争の傷跡が残るのが小笠原諸島のもう一つの顔だ。

母島の灯台

人工物などまったくなかった島に、真っ白な灯台が姿を現した。波も心なし穏やかになってきた。島が人間を迎え入れてくれる数少ない場所。それはもうすぐだと感じられた。

絶海の楽園・母島へ上陸

母島沖村

島が大きく奥まった所に町が見えた。母島唯一の集落、沖村である。船はゆっくりと母島の玄関口になる沖港に入港していく。先ほどまで無人島かと思わせる原始的な風景が続いた母島だが、ここには素朴ながらも人々の生活があふれている。
港には母島のライフラインともいえる、父島との連絡船「ははじま丸」が停泊している。とても静かな沖村の集落。東京都でありながら、東京から1000km以上離れた南海の孤島での暮らしはとても魅力的にも感じた。僕たちが乗る船は休憩と昼食のため、母島に接岸した。

ははじま丸

「母島」を時計回りに北端から半周。たどり着いたのは、母島の唯一の港にして、唯一の集落のある「沖港」だ。戦時の強制疎開までは母島の北側にも集落があったそうだが、アメリカ占領からの返還後はこの港を中心に母島の生活が営まれている。
船はゆっくりと岸のために港の中に進んでいく。沖港は母島の中に深く南側から入りくんだ地形。冬の北風の影響はとにかく少なく、荒れる冬の海の気配はすっかりと消えていた。
そびえる山々の裾に民家が広がる。とても素朴で静か集落だが、ジャングルのような深い緑と断崖絶壁に覆われた絶海の孤島に、これだけの人の営みがあるのには驚かされる。港には母島の唯一の公共交通機関である「ははじま丸」が停泊していた。

ははじま丸

クルーザーはゆっくりと沖港に接岸した。ついに母島に上陸。この母島に来るには、まず東京から船で父島まで25時間半。父島から母島までさらに船で2時間。合計27時間半。それ以外の公共交通機関はこの島には通じていない。絶海の孤島である母島。おそらく日本の中で最も行くのに時間がかかる有人島だろう。まさか、初めての小笠原の訪問で、ここまでたどり着けるとは思わなかった。
ははじま丸は忙しく出港の準備をしている。もうすぐ父島に向けて、出港の時間だ。ははじま丸は小笠原の中心である父島に週約5往復している船。本土への母島からの直行便はなく、人も物もすべて父島を経由してこの船でこの母島にやってくる。そのため、本土と父島の定期船である「おがさわら丸」とのリレーになる便のははじま丸には物資や人がいっぱい。その日に合わせて島全体のスケジュールや生活リズムが刻まれる。この船は母島のすべての人にとって、無くてはならない貴重なライフラインである。

小笠原ホライズンドリーム

母島の滞在時間は1時間ほどしかない。残念ながら母島上陸は「お昼休憩」なのである。今回はツアーの参加。盛りだくさんのスケジュールで母島1周も楽しめるが、なかなかのハードスケジュールだ。しかし、時化た海の上でずっと船で揺られていた。揺れのない陸地での昼食休憩ほど、ありがたいものはない。
船客待合所兼観光協会の建物の横にある芝生広場のベンチで昼食。昼食は、ツアーの出港前に買い出しで立ち寄ってくれた「ホラインズンドリーム」のパン。朝の時間は各ツアーの参加者のために弁当も販売していたが、携帯性とそのおいしさに惹かれ、またパンを購入。あとはツアー会社が用意してくれた味噌汁と一緒に頂く。
季節は1月。冬とはいえ、母島の日差しは初夏を思わせるくらい、とても温かい。シュノーケリングで濡れたTシャツとラッシュガードを脱ぎ、柵に干して乾かす。その間は替えの長袖Tシャツ1枚で昼食を頂く。暖かな芝生に包まれた陸地での食事、こんなにおいしいとは思わなかった。

母島の海

食事をとりながら海に目をやると、港の中でもとても美しい海の色が目に飛び込んでくる。手つかずの自然が残る母島。島の緑は鮮やかに輝き、海の色はまるで宝石。太平洋のど真ん中。美しい海と清らかな風に洗われ続ける母島。島の風景は汚れなく、どこを見ても飽きることはない。

母島沖村港

ははじま丸が僕たちより一足先に父島に向けて出港する。自転車や段ボール箱、大きな荷物を抱えた人々が船に乗り込んでいく。地元の人、そして旅人・・・
ははじま丸がゆっくりと青い海に向かって出発していく。手を振り別れを惜しむ人々。日常の「いってらっしゃい」をかわす人。その風景は、母島ではほぼ毎日繰り返される日常の風景。しかし、それはまさに島独特の心温まる美しい風景。その島を訪れた旅人の心を魅了し、また訪れたいと思わせてくれる、素敵な宝物のような風景だった。

母島の山

食事が終わったら、ツアー会社のクルーザーが出港するまで、島の中を散策する。散策といっても時間はないので港の付近の散策だけだ。
人々の生活の営みの頭上には、南国ジャングルに覆われた険しい山がそびえる。日本の小さな集落が、どこか遠い南国の国に突然現れたかの様で、とても不思議な風景。実際地理的に見ても、これだけ本土から離れていて、これだけ孤独な日本の地はない。ここは日本の中の外国のようだ。

母島元地集落

元地集落の中を散策する。大自然に包まれた素朴な集落。理由なく、生活感の中に、優しさとおおらかさを感じる。1分1秒、ここに流れる時間は大都会の中と同じスピードのはず。しかし、ここに留まる時間はとても穏やかに感じられる。人の心から大切なものを奪っていかない、そよ風のように流れる時間がとても心地よかった。

母島沖港

道路沿いから望む沖港。時々島人が釣り糸を垂らし、水鳥が穏やかな波で羽を休める。南国雰囲気に包まれた、暖かな島は本当に気持ちがよかった。
今なら昔の船乗りの気持ちもわかる。荒れ狂う海の上、やっと辿り着いた島は、まさにゆっくりと休める安住の地なのだ。

母島の港

しかし、ゆっくりと流れているはずの島の1時間はなぜかとても短かった。約束の時間。出港の時。母島に別れを告げ、僕たちを乗せたクルーザーは母島の地を後にした。
わずか1時間の母島の滞在。しかしそれは本当に、忘れられないくらい、美しい時間。今度はあの「ははじま丸」でやってきて、この美しい時間の中で時間を忘れてのんびりとしてみたい。

母島を後にして父島へ向かう

母島出港

僕たちを乗せたクルーザーはゆっくりと絶海の孤島、小笠原諸島の「母島」をゆっくりと離れ始めた。昼食を取るだけの、ほんのわずかな間、陸という揺れない場所での休息。再び北風に時化る大海原へ旅立って行く。この時だけは、大航海時代の船乗が陸を見つけた時の嬉しさはこんなものなんだろうなぁと、実感することができた。
先ほどのははじま丸の出港の時ほどではないが、船を所有するツアー会社の知人が何人か、港の先まで僕たちを見送ってくれた。日本本土から1000km以上離れ、周囲には全く人の住む島が無い母島。忘れられたかの様な場所にあった人の暮らしは、とても素朴で美しいものだった。これからこの母島をもう半周し、イルカやクジラを探しながら僕たちは、50km離れたこの母島以外に唯一人が住む小笠原諸島の島である父島へと帰路に就く。

母島出航

港湾から離脱すると、海の色は絵具を溶かしたように真っ青に変わる。それと同時に波は高くなり、見える景色も人の作為は消え荒々しい原始の大自然と化していく。

海からの母島

気が遠くなるくらい深い青い海。そして、荒々しい断崖絶壁の上をびっしりと覆う深い緑。これが小笠原の風景。絶海の孤島にふさわしい、本土では絶対にない荒々しい風景。

母島の奇岩

何百メートルも海から一気に切り立つ母島の断崖絶壁。そして、奇岩が護衛兵のようにいくつもの海岸付近に打ちつける波に耐えながら海岸に近い海の中に立っている。船は見事に岩の間をすり抜け、荒れる青い海を切り裂きながら、先に先に進んでいく。

母島の絶壁

小笠原の冬の太陽は、やはり傾くのは早い。斜光となり、母島をゆっくりと真横から照らし始める。船が切り裂いた真っ白な波に時折、少し色褪せた虹が輝く。間もなく、母島の北端の岬に近づきつつある。一番最初に母島にたどり着いたとき、イルカと遭遇したあの海域が近い。まだあの群れはいるのだろうか。ツアーの参加者がかすかな期待を抱き始めている事に気づくには、時間はそんなにかからなかった。

母島ドルフィンスイム

そんなみんなの期待に応えるように、再びイルカの群れが姿を現した。狂喜乱舞する参加者。我先にと荒れ狂う青く深い海に飛び込んでいく。
僕も今度は行ってみようかと思ったが、距離が遠い。1回目の遭遇の時よりイルカとの距離は縮められない。残念だが、今回も船の上からイルカが海に戯れるのを眺めることにする。イルカと遊ぶときは停船しているので一眼レフが使える。海洋カメラマンになった気分で映すが、しょせん200mmでは大迫力のイルカの姿はとらえられず・・・
しかし、残念がっているのは船上の僕だけではない。必死にイルカにアプローチしようとする海に入った参加者もどんなに泳いでもイルカに近づけない。イルカの後を必死に一列になって泳ぐ参加者の姿は船上から見ていると滑稽にも見えるが、当の本人たち相当必死だ。どうやら今回遭遇したのも、午前中に出会ったのと同じ群れのようだ。小さな子供を連れているので人間に対して相当警戒している様子。本日2度目のアプローチということもあり、全く相手にしてもらえないようだ。
しかし、これが野生動物というもの。野生動物が気が向いただけ人間と遊んでくれる。こういう場面は、イルカなどの海洋哺乳類には多いが、それだけでもとても素晴らしいことだと思う。

母島ドルフィンスイム

間もなく船長から船に戻るようにと海に入った参加者にマイクで呼びかけられる。参加者も残念に思いながら船のタラップへと戻ってくる。
しかし、その中に1人、必死の形相で船に近づいてくる。「カメラを落とした。取りに行くからウエイトを取ってくれ!!」そう船上のスタッフに言っている。どうやらその人はカメラを海底に落としてしまったようだ。今はやりの防水カメラは浮力がないので、フロートをつけていないと手放すと見事に沈んでしまう。しかし海底までの水深はどれくらいあるのだろうか。海を覗き込むが、海底ははっきりと見えない。水深は裕に20mは超えているだろう。
このツアーの参加者はダイビングなどに通じ、相当の潜水能力を備えているのは、東港で一緒にシュノーケリングをした時に知った。しかし、素潜りでそんなにも潜れるのだろうか。海面からは海底に落ちたカメラは目視できるようで、取りに行けるとカメラを落とした人は言っている。イルカに接近した人のカメラを見せてもらったが、見事に海中でのイルカの姿をとらえた人が多かった。イルカだけでなく、小笠原の青い海、イルカの前に出会ったクジラ、そして美しい母島の緑。この旅の思い出が詰まったカメラがまだ手の届きそうな場所にある。カメラの限界水深を超えているので、早く機械内部に浸水する前に回収して思い出を救い出したい。そんな気持ちは痛々しいほどに僕にもわかる。しかし船長は許さなかった。
「だめだ。行くな!!」
怒号のよう声で船長はマイクで潜水を制止する。「水深は30mを超えている。万一、鼓膜が両方破れたら三半規管に海水が入り、平衡感覚を全て失う。どちらが上か下かもわからなくなり、浮上できずそのまま溺死するぞ!」
船長の必死の呼びかけに、全員そのまま船に上がった。確かに大切な思い出を失うのはつらい。しかしその思い出のために命を失うのはもっと悲劇だ。
「自分も一度潜水中で鼓膜を破いた。片方の鼓膜だけだったので何とか九死に一生を得ることができた」
船長はその後自分の経験を参加者に静かに語った。海の本当の怖さを身をもって知っている海の男だからこそ、下せる何の迷いもない判断。大切なものを失っただろうが、これがまた美しい思い出になってくれればいいのではないか。僕はそう思いながら、ゆっくりと動き始めた船の上、沈んだカメラがあるであろう青い海を眺めていた。
もちろん、自分のカメラは絶対落とさないように、ギュッと握りしめたまま。

母島

イルカの群れ達に別れを告げ、ゆっくりと離れていく「母島」。海の上に切り立つ断崖絶壁。ここが母島の北端の岬。すっかり斜めに傾いた太陽の色づいた光に照らされる岩肌の赤茶けた色が、海と空の青さの中異様な存在となって際立つ。人が暮らす、太平洋のど真ん中。絶海の孤島に、ゆっくりと僕たちを乗せた船は別れを告げて北上を開始した。

母島

小さくなっていく母島の島影。巨大な要塞のような母島を護衛するかのように、大小無数の岩塊が海の上に突き出している。母島の周辺には何十キロは島がない。陸地に至っては1000km以上も離れている。そんな深い深い太平洋のど真ん中に現れた断崖絶壁と岩の塊。それは海底火山の噴火でてきた小笠原の島々の独特な光景。地球の息吹と悠久の営みが感じられる、不思議な光景だった。

小笠原サンセットとグリーンフラッシュ

小笠原の夕日

船は母島から父島へと進みながら、クジラを探していた。僚船がソナーでクジラの姿を探索しながら、何キロか先を先行している。
大海原。2km先にいるという船の姿まではっきり見えるのだから陸地ではちょっと考えられない向かってくる北風を切り裂きながら進むのは楽ではない。クルーザーの2階デッキを陣取ったのは良いが、吹きつける風は強く、水しぶきが2階まで吹き上がってくる。南国小笠原の冬は暖かく、寒くはない。とはいえ、やはり1月。日が傾くと気温は一気に下がり、温んだ海水でも体にかかると北風に一気に体温を奪われる。凍えるほどではないが、徐々に体力を削り取られていくのがわかる。周りにいる海に慣れたツアーの参加者でさえも同様で、皆口数は少なく、防寒具を羽織って小さくなっている。
美しい茜色に染まる大海原の風景がせめてもの慰めだった。クジラは見たいが、遠くにちょろっと見えるくらいならもういい。早く陸に上がってゆっくりしたい。そう思えるくらい、太陽を失った南国の冬の海はつらいものだった。

小笠原の夕景

やがて父島の影が見えてきた。母島から50km。父島まで戻ってきたが、クジラの姿はついに見ることができなかった。ソナーで海の中のクジラの声を探しながら進んでいたのだが、クジラは水深1000m以上の深海に平気で1時間近く潜水する。なかなか大海原で見つけるのは容易ではなさそうだ。
「残念ながらクジラは見つけられませんでしたので探索は中止します」
船長からアナウンスがあった。よかった、これで帰れる。残念なのにちょっとした安堵感もそこにはあった。しかし、このあと船長から嬉しい提案が。
「このまま南島の付近でサンセットクルーズを楽しもう」
折れそうだった心に再び火が灯った。小笠原の海に沈む夕日を船から眺められるなんてめったにある機会ではない。しかも僕の大好きな「南島」の海域から。喜び勇む僕の心のように、船は荒波の上を飛び渡るように南島を目指した。先ほどまで苦痛だった船の揺れは、なんだか心地よいリズムのように思えはじめた。

小笠原の日没

船はゆっくりと南島の付近に停泊した。色を失い真黒な塊と化した南島は、まるで冷たい無機質の要塞のように思えた。しかしその南島が北風と波を防いでくれている海域は、嘘のように穏やか。エンジンを停めた船は、ゆっくりと穏やかな波に揺れながら太陽が海に吸い込まれるのを待つ。

小笠原のサンセット

ゆっくりと水平線に近づいて行く太陽。ただの日没ではない。ここでは期待できる自然現象が2つある。それは「だるま夕日」と「グリーンフラッシュ」だ。
美しい太陽が織りなす神秘をカメラに収めようと、揺れる中カメラを必死に設定する。

小笠原サンセット

まず現れるであろう現象は「だるま夕日」
海面と空気の温度差で鏡像の蜃気楼が水平線に発生し、まるで太陽がダルマのように見える現象だ。
そしてもう一つの現象、それが「グリーンフラッシュ」(緑閃光)
まだそれは、僕は見たことがない現象だ。太陽が完全に沈む直前のそのほんの一瞬、水平線に緑色の光が走る。そしてその光を見たものは幸せになれる。本当に稀な現象だが、ここ小笠原では比較的見やすいそうだ。
そして何より、その現象を教えてくれたばっぷさんが住む小笠原で狙う自然の神秘。

父島サンセット

南島を取り囲む島の断片の横に太陽は落ちていく。水平線までの距離は限りなくゼロ。さあ、今から自然の神秘が始まる。
目を離すな。美しい時間は一瞬で終わる。

父島のだるま夕日

太陽が水平線に近づく。蜃気楼が水平線の上に太陽の鏡像を作り出した。その鏡像が太陽と合体。見事に「だるま夕日」が出現した。
澄んだ小笠原の美しい空気と、暖かな南国の海が作り出す神秘の現象だ。

小笠原のだるま夕日

溶けるように水平線に落ちていく太陽。大自然の織りなすとても美しく、幻想的な光景。空を渡る風も、船を揺らす波の音も、融けていく夕日に吸い込まれ、あたりは不思議なくらいの静寂。
まさに神々と同席しながら、人間には到底作り上げることのできない、壮大で神秘的なアートを観賞しているような気になる。小笠原の大海原の中、一瞬の時間はまるで永遠に続くかの様に思われた。

小笠原サンセットクルーズ

そして、太陽はどんどん沈む。すでに「だるま夕日」の形は崩れ、もう頭の先だけを残すのみ。
さあ、次の神秘は「グリーンフラッシュ」だ。果たして見れるのだろうか。
それ以前に、僕はグリーンフラッシュというものがどのようなものか全く分からない。カメラよりもビデオ。ビデオよりも肉眼。そう、どこかのネットで見たことがある。あまりにも一瞬の出来事なので、カメラでは捉えられないようだ。
そこで日没の寸前、カメラの連写機能と残りメモリーをフル回転させ、その一瞬をとらえる作戦に僕は出た。それと同時に、フィルター越しに、自分の肉眼でも神秘の一瞬をとらえられるように太陽の姿をじっくりと眺めた。光を失いつつある太陽。望遠レンズ越しにでも、すでに直視が可能になっている。

グリーンフラッシュ

もうすぐ沈む。僕はカメラの連写を開始した。1回目の連写の限界。いったんカメラは停止し、そして2回目の連写を開始しようとしたその時だ。ふっと太陽の光は水平線に消えた。
その瞬間はカメラは捕らえられなかったが、僕の目はしっかりと見ていた。が、よくわからない。確かに太陽の光が緑がかっているような気がするが、眩しく輝きはしなかった。グリーンフラッシュは見えなかった・・・
と思っていると、ツアー客の一部が「見えた!」と歓声を上げた。え?全然わからなかったけど・・・
船長の話によると、すごく眩しい光が地平線に走るのではなく、太陽の上部の光が一瞬緑色になる。その一瞬の色の変化をわかるには、「慣れ」が必要だよ、と。確かにその現象を見たのだが、見たのかどうか気付かなかった。
本当に稀な「グリーンフラッシュ」
それを見るには雲が少なく澄み切った空、そして広い水平線や地平線がある稀な条件、そしてその一瞬を切り取れるフル回転の五感。全ての条件が重なり合って見えるのだろう。今回は見えたのかどうだかわからなかったので、帰りのフェリーからもう一度挑戦してみよう。そう思いながら夕日を見送った。
小笠原の最後の夕日は、とても神秘的なものだった。

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