別子銅山西山【ツガザクラも見れる人の少ないルート】

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日本三大銅山のひとつ、愛媛県新居浜市の「別子銅山」。標高1300m近くの稜線直下で江戸時代に開発された銅山で、住友グループの発展の礎となっている。50年ほど前に閉山し、1万人近くの人が住んだ鉱山町はいまは遺跡と化している。そんな別子銅山に5月中頃に登ると、ツガザクラという美しい高山植物に出会える。別子銅山のピークである銅山峰からマイナーなピーク「西山」から牛車道へ下山するへのサブルートを歩いた。人が少なく、ツガザクラも観察できる静かな山旅を楽しめるルートだ。

別子銅山西山への登山道

ツガザクラを愛でながら、銅山峰の稜線を西へたどっていく。標高が上がっていくごとに登山者の数は減り、付近に咲き誇るツガザクラも元気な個体が多くなってくる。やがて斜面が急になり、低木が自生するようになってくる。ツガザクラの個体数は減るが、保護されることなく登山道のすぐ脇にも元気に花をつけている。
道は急な斜面の灌木の中に入っていく。今までは1万人を超える人が暮らしていた町の跡、そしてゆるやかな稜線を行く山旅だった。さほど急な斜面ではないのだろうが、これまでの道に比べると、「登山道」らしい道だ。じわりと汗がにじみ始める。そんな登山者を応援するかのように、灌木の下でまだツガザクラがひっそりと花を咲かせている。

西山頂上から南側斜面へ下山

別子銅山西山頂上

やや急な斜面を少し行くと、西山の頂上に到着。標高は1428m。銅山峰を挟んで向かい側にある東山とは違い、展望は全く効かない。二百名山である「笹ヶ峰」への縦走路はこの西山を巻いているので、ここに登る人は本当に少ない。先ほどまで、遠足の小学生が多くいた別子銅山の登山道とは大違いで、不安になるくらいに静かだ。

別子銅山西山からの眺め

特に何もない西山頂上はそのまま通過。このまま笹ヶ峰への縦走路へと下り、銅山峰へと続く牛車道へ戻るルートを進むことにする。西山を越えて、南側へと降りるルートだ。
比較的なだらかな山頂部を横切り、下り道に入る。すると、その下り口から舗装された道が見えた。何度もその体をくねらせ、標高を稼いでいく道路は県道47号線。新居浜の市街地から今回入山した別子銅山の南側の「日浦登山口」へと続く道で、何時間か前に僕自身が車を走らせた道だ。
深い山の中、四国の屋根ともいえる主稜線近くまで登り詰める道。運転していても深い山と頭上に聳える四国らしい笹の稜線の風景を楽しめる。こうやって見下ろしてみると、とてもワイルドな道だ。しかしこの道は、山の向こう側にある旧別子山村へ続く生活道でもある。
別子山村はその名の通り、別子銅山でとても栄えた場所。かつては松山の次ににぎやかな愛媛県の町として栄えたが、採掘エリアの移行と銅山自体の閉山とともに人口は激減。西日本一人口の少ない村となり、今は新居浜市に吸収合併されている。明治や大正に劇場やクラブなど繁華街を擁した当時のにぎやかな町は、令和の世では静かでのどかな山村になっている。

笹ヶ峰への縦走路

ツガザクラもなく、地面もしっかりした土。そして覆うのは森。先ほどまで歩いてきた砂礫地帯で地形的な森林限界を超えていた銅山峰とは全く違う景色。歩く人もなく、果たして道はちゃんと牛車道へと戻れるのか不安にすら思える。しかし、森の奥へと導く道はしっかりと整備されていて、歩く人も少なからずいる事を感じられる。
やがて森の中を下っていく道は、笹ヶ峰へと続く縦走路と合流した。ここから「銅山越」と標識で標された方向へと歩を進める。

別子銅山西山山麓の森

道の分岐から進むと、とても不思議な森が広がる。別子銅山は開発のためにはげ山になっていた。そこから自然回復のため植林をされたのだが、多くは杉などの針葉樹。このように広葉樹がなだらかな斜面にずっと広がるような場所は別子銅山には無い。まだ開発をされなかったエリアなのだろうか。それとも植林をされずに自らの手で自然に戻った森なのだろうか。苔むした倒木や地面。なだらかな森の広がり。まるで別の山に来たかのような感覚に陥りながら、知っている風景を求めて先に進む。

牛車道合流直前の森にも眠る鉱山町の跡

別子銅山西山山麓の社宅跡

ほんの少し森を進むと、がらりとその表情が変わる。見事に立ち並ぶ針葉樹。歩きやすいなだらかな広い道。そして、森の中の地面の広がりは、石垣で区切られて整地されている。明らかに、ここは人の手が入っている場所だとわかる。
かつてはここに住む人のための畑があったのか。それともここまで鉱山で働く人のための社宅があったのか。過去へ思いを描きながら歩く、別子銅山独特の山歩きにいつの間にかに戻っていた。別子銅山エリアへの復帰はもうすぐだ。

別子銅山西山の水路跡

登山道の脇を流れる川。水は流れていないが、明らかに山の水を集めて流れる川だろう。その川には不自然なくらいに石が多くある。よく見るとその石はどれも平らで、人為的に割ったような形になっている。おそらくこの川は石で固められた水路のようになっていたのではないか。やがて道はこの川に下り、川を何度か道として進んでいくようになる。

牛車道

突如として道は開け、知っている風景が目の前に広がる。銅山峰直下の砂礫地帯に戻ってきた。ここから牛車道へと向かうが、砂礫地帯の中の道はやせ細っている。足を踏み外せは、急斜面を加速しながら転がり落ちそうだ。気を付けながら歩を進める。谷底には、先ほど道として歩いた川が流れている。

大和間符付近の分岐

牛車道と合流した。牛車道で銅山峰を目指す時、ここから急な登りを終えた場所がここだ。
この合流場所少し手前に、稜線に上がっていく道がある。その道を少し行ったところに、別子銅山の遺構のひとつ「大和間符」がある。この場所からわずか1分足らずでたどり着けるので、是非立ち寄りたい。

別子銅山西山

牛車道を下って、下山の途につく。正面に見えるきれいな形の山が、先ほど登った西山。西山の頂上から左に伸びる稜線を下り、その鞍部から谷沿いにここまで降りてきた。今は森に見える谷沿いにも、かつての生活の跡がひっそりと広がっていた。

小足谷川上流

先ほど歩いた涸れた川は、牛車道を下り始めると美しい水をたたえ始めた。やがてこの流れは小足谷川となり、かつての小足谷集落の人々の生活を支えた流れに変わる。先ほどの流れ無き川は、小足谷川の源流だったのだ。水が流れ始める山深い源流まで、この山域は人の手が入った場所だった。

別子銅山西山ルート地図

別子銅山登山に便利な宿

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