富岡製糸場【国宝の産業遺産】

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「富岡製糸場」は維新後間もない明治5年に開業した日本初の本格的な機械製糸工場。日本の近代化の礎となった工場で、その規模や技術は当時の日本としては規格外なものばかり。昭和62年まで操業されながらも、100年以上前の建物の多くが使用されながら残されており、工場施設としては珍しく国宝に指定されています。時代を重ねたレトロな雰囲気と、日本の近代化を支えた歴史を感じられる産業遺産です。

国宝のレトロで神秘的な置繭倉庫

富岡製糸場

富岡製糸場の顔である東置繭所。正門をくぐると正面にあり、1階にはアーチ状の通路が設けられています。ここをくぐると富岡製糸場の内庭へと通じています。長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m。まだ開国したばかりの明治5年に造られた巨大な洋式の建物です。1階は事務所や作業所、2階が乾燥させた繭を貯蔵する倉庫として使用されていました。明治以降の工場施設としては唯一国宝に指定されているとても貴重な建造物です。

富岡製糸場赤ポスト

正門横のレンガ壁には丸ポスト。あふれ出すレトロ感を感じられます。

富岡製糸場東置繭所入口

東置繭所アーチ状入口の内部。富岡製糸場の内部に入る通路でもあり、東置繭所の1階に入るエントランスにもなっています。レトロな雰囲気が濃厚に漂っています。

富岡製糸場東置繭所展示室

東置繭所1階は展示室になっています。広い空間にゆったりとした感覚ながらもたくさんの解説パネルや模型・映像が展示されており、神秘的なレトロな倉庫の中で富岡製糸場について知ることができます。

富岡製糸場東置繭所土産店

展示室にはレトロな窓があり、その中は売店になっています。定番のお土産はもちろん、製糸場らしく本物の繭玉やシルクなどの珍しいもの、名産品も販売されており、見ているだけでもとても楽しい品揃えです。

富岡製糸場東置繭所2階

繭倉庫として使われてた東置繭所2階。長さ104mもある奥行に柱と窓が規則正しくずらりと並ぶ風景は幻想的です。かつてはここに絹の原料となる乾燥させた繭が大量に保管されていたそうです。

富岡製糸場東置繭所内部

東置繭所は鉄骨ではなく骨組みがすべて木で作られており、壁をレンガで組んで漆黒を塗った木骨煉瓦造という工法で造られています。和と洋、近代と日本伝統の技術が組み合わされた空間はとても神秘的です。国宝に指定されるのも納得できる重厚で壮大な眺めです。

富岡製糸場東置繭所昇降機

2階の一角には鉄骨が組まれており、昇降機が設置されています。静まり返った神秘的な空間の下には、展示やお土産をみる大勢の観光客の賑わいが見えます。建設から後年に造られたものだと思いますが、それでもとてもレトロさを感じます。

富岡製糸場西置繭所

富岡製糸場のもうひとつの繭倉庫である「西置繭所」。東置繭所とほぼ同じサイズでその姿は双子のようでどちらがどちらか区別がつきません。こちらも明治5年に完成しており、東置繭所と同じく国宝に指定されています。煉瓦という西洋の素材と屋根は日本の伝統的な瓦で葺くなど、東洋と西洋の技術がこの繭倉庫には有ります。

富岡製糸場西置繭所

訪問した時は内部は保存工事中でしたが、現在は内部見学ができるようになっています。繭倉庫はレンガ壁に屋根瓦を乗せた近代の日本の西洋建築の代表的な見た目になっています。レンガはすべて日本で焼かれ、その他の原料も日本で用意されていますが鉄枠の窓や観音開きのドアの蝶番いなどはフランスから輸入されたものです。

今も残る富岡製糸場の暮らしと産業

富岡製糸場レンガ倉庫

富岡製糸場の東西置繭所に囲まれた内庭にも様々な施設があります。古い倉庫や碑石など、歴史を感じます。

富岡製糸場桑畑

工場などのレトロな建物に囲まれた中庭には桑畑があります。蚕のエサとなる植物で、現在も蚕が施設内で育てられているのでそのために植えられているのかと思います。近くで桑畑を見る機会は少ないので、この植物の行き着く先がシルクになるとはとても不思議に感じます。

富岡製糸場ブリュナエンジン

敷地内ガラス張りの建物には「ブリュナエンジン」が展示されています。これは富岡製糸場の建設を指導したフランス人技術者ポール・ブリュナがフランスから輸入した巨大な蒸気機関であったことから名づけられたそうです。本物ではなくレプリカですが、精巧に復元されており、土日祝日には実際にこのエンジンが稼働している様子を見ることができます。

富岡製糸場一軒家社宅

かつて富岡製糸場で働いていた人の社宅もいくつか残されています。ここは立派な一軒家なので、それなりの地位についた方が暮らしていたのでしょう。

富岡製糸場高級社宅内部

一軒家の社宅の内部を窓の外から伺えます。広い縁側と8畳間の和室、その奥にはもうひとつの和室と台所か便所のような場所が見えます。2階やその他にも部屋がありそうなのでかなり裕福な暮らしがあったと思います。

富岡製糸場暮らしのギャラリー

大正8年に建築された木造平屋建ての4戸が1棟になった連棟の社宅のひとつが「暮らしのギャラリー」として観光用に開放されています。1戸が当時の暮らしを再現した施設、残りが体験スペースとなっています。当時の社宅を再現した家は入ると縁側と和室が2間続いており、当時使われていたレトロな家具や写真が展示されています。

富岡製糸場社宅居間

家の中心にある6畳間の居間では昭和30~40年代の暮らしを再現しています。実際に富岡製糸場の社宅で使われていた家具や家電を集めて再現した居間はタイムスリップしたかのようにリアルな空間。実際にちゃぶ台に座って昭和レトロな雰囲気の中、当時の資料を見てくつろぐことができます。

富岡製糸場社宅

桐ダンスやミシンなど、当時の暮らしに使われていたレトロな家具が展示されています。大正時代に建てられた一般家庭用の社宅ですが、意外に広くて快適です。観光客も畳の上に座って、おばあちゃんの家に訪れたかのようにくつろいでいました。

富岡製糸場社宅便所

トイレは縁側の一角にあります。今ではない構造ですが、日本の昔を感じられる施設です。

富岡製糸場社宅台所

今でも使えそうなレトロな造りの台所。一口ガスコンロと水道だけのシンプルな造り。電子レンジなどなく、ここでお母さんが家族の食事をつくるのも現代と比べると大変手間だったと思います。

富岡製糸場体験スペース

その他の社宅の住戸は体験スペースとなっており、蚕繭から生糸を取り出す昔ながらの手作業の工程を実際に見ることが出来ます。社宅の壁を取り払ってフローリングにした開放的な空間ですが、ふすまや台所など、所々に当時の面影が残っています。

食事中の蚕

積み上げられた桑の葉の中では蚕が食事中でした。虫が苦手な方には衝撃的な光景ですが、貴重な絹を生み出してくれるお蚕様として昔から養蚕家には大切にされてきました。

生糸を紡ぐ

実演コーナーでは職員の方が実際に蚕繭から生糸を紡ぎ出す手作業を見せてくれます。

蚕繭

熱湯が入った鍋に入れられたいくつもの蚕繭から同時にスルスルと生糸がほどかれていきます。生糸は1本の糸に紡がれて巻き取られていきます。その見事な作業にはついつい見入ってしまいます。

多くの女工が日本の未来を紡いだ国宝の操糸所

富岡製糸場繰糸所

富岡製糸場の最も重要な施設といえる「繰糸所」(そうししょ)。先程体験コーナーで見学した繭から生糸を取る作業を無数の大型機械で行うことで大量生産を行っていた施設です。施設は置繭所と同じく明治5年に建設され、その長さは140mも巨大な工場。工場としては極めて異例ですが、この建物も東西置繭所と同じく国宝に指定されています。

富岡製糸場繰糸所

国宝の繰糸所の中は見学することができます。明治5年に造られた工場はその当時、世界最大規模を誇る器械製糸工場で300人もの女工が作業できたそうです。まだ照明が不十分だった当時に作業がしやすいよう、壁一面にガラス窓が設けられており、天井照明を使わなくてもとても明るい空間になっています。

長さ141.8m、巾12.6m、高さ11.8m、木骨煉瓦造の操糸場の内部は橋が見えないほどの巨大なもの。明治維新直後に造られた様式建造物としては異次元の規模だったと思います。新1万円札の肖像となる渋沢栄一が建設の担当を担っていました。

富岡製糸場繰糸所の機械

建物の奥まで同じ機械がズラリと並ぶ眺めは圧巻。富岡製糸場が創業停止となった状態の時のまま、今もそのまま保存がされているようです。機械はすべて止まっていますが、時間も止まったままの空間がとても美しく感じます。

富岡製糸場繰糸所ニッサン

富岡製糸場は昭和62年まで稼働していました。現在の施設は昭和40年台前半に更新されたそうです。しかもそのメーカは「ニッサン」と記されています。トヨタ同様、日産も自動織機から発展したようです。創業当時の機会ではありませんが、昭和レトロな大型マシンが細部のディテールまで見学できるのはとても貴重です。

富岡製糸場繰糸所の設備

頭上にはレールが渡されており、リフトのようにコンテナが動いていたようです。おそらく昭和に入ってからの設備だと思いますが、熱湯で煮られた繭が次々に運ばれ、機械にセットされていたそうです。

富岡製糸場繰糸所天井

天井のレールは広い工場の隅々にまで渡されており、所々で方向を変えたりして縦横無尽に流れています。その行方を見ているだけでも楽しめます。

富岡製糸場繰糸所

歴史的な明治初期の建築構造とレトロな機械が織りなす空間はとても幻想的。広くて高い空間には後から様々な機械を取り付けて、時代が建ってもアップデートできるようになっていました。国宝でありながら時間とともに常に進化する工場の本質も感じられます。

富岡製糸場を支えた女工たちの暮らし

富岡製糸場女工館

女工館(じょこうかん)は招聘された4人のフランス人女性教師の宿舎として明治6年に建設された建物です。海外に建てられたヨーロッパ建築の代表的なコロニアル洋式が採用されており、大正時代になると食堂と会議室として使われたそうです。女工館の横には診療所の立派な建物があり、福利厚生もしっかりとしていたことを感じます。女工館・診療所ともに内部見学はできません。

富岡製糸場首長館

まるで寺院の本堂や古い学校のような大きな建物である「首長館」(ブリュナ館)

製糸場建設の指導者ポール・ブリュナが家族の居宅として明治6年に建てられたコロニアル洋式の洋館。工場の南側に建てられた床面積は320坪の超豪邸です。ブリュナが帰任後、ブリュナ館は工女に読み書きや裁縫を教える学校として活用されるようになりました。

富岡製糸場ブリュナ館教室

ブリュナ館内は非公開ですが、外から中の様子を伺うことができます。後年は働く工女たちの学び舎となったブリュナ館はまさにレトロな校舎となっています。

富岡製糸場ブリュナ館渡り廊下

渡り廊下。かつては多くの工女がここを行き交っていたのでしょう。

富岡製糸場榛名寮の部屋

ブリュナ館の横には女工たちの寄宿舎だった「榛名寮」が残っています。大正7年に建てられた歴史ある建造物です。こちらも多くの社宅と同様中には入れませんが、外からその内部の様子を伺えます。多くの独身女性の寮ということもあり、大部屋に何人かが一緒に暮らしていたかのようです。

富岡製糸場妙義寮と浅間寮

寄宿舎は他にも「妙義寮」と「浅間寮」が残っています。レトロな雰囲気の中に当時の工女さんたちの暮らしを想うと、なんとなく賑やかで明るい声が聞こえてきそうです。

富岡製糸場寄宿舎の広場

寄宿舎の横には広いグラウンドのような庭があります。かつてはここで女工たちが運動していたのかもしれません。

富岡製糸場のレトロな風景

富岡製糸場の一角には、まるでタイムスリップしたかのようなレトロな風景が残っています。工場だけに建築当時の姿のままではありませんが、それでも日本という国がここまで発展してきたその歴史を感じられる物語の中に入り込んだかのような風景です。

富岡製糸場からの鏑川

ブリュナ館の奥は周囲の風景が眺められる展望スポットになっています。特に富岡製糸場の横を流れる鏑川の眺めは見事。工場には大量の水が必要だったはずなので、この川に流れる水が富岡製糸場には必要だったことが今でも想像できます。

富岡製糸場

住所: 群馬県富岡市富岡1−1
電話: 0274-67-0075
営業時間: 9:00~17:00(入場は16:30迄)
休業日: 12/29~12/31
料金: 大人1000円、大学生・高校生250円、小中学生150円
交通: 上信越自動車道・富岡ICより車で約5分
駐車場: 320台(徒歩10分・100円30分/徒歩20分・無料)

【投稿時最終訪問 2019年9月】

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