三光神社と陸軍墓地【真田丸跡】
2016年の大河ドラマの題名ともなった「真田丸」は徳川と豊臣が決戦した大阪冬の陣において、真田幸村が大阪城防衛のためには造った出城で、多勢の徳川勢を退けたことでも知られています。壮絶な戦いから400年経った現在、真田丸の跡地とされる場所には三光神社と陸軍墓地、有名私立高校があります。散策をすると、かつての戦国時代の争乱から近代における戦争の歴史を感じることが出来るスポットです。
■伝説の抜け穴が残る勝利のパワースポット
真田丸の跡地といわれている場所の一角には「三光神社」があります。 玉造駅から歩いておおよそ5分。平坦な街中に突然森に囲まれた小山が現れます。ここが真田丸の跡地であるといわれると、確かに納得する地形です。
真田丸は大阪城の弱点とされた東南方面の防御を固めるために真田幸村が築いた出城です。大坂冬の陣では真田幸村が陣頭指揮を取り、襲い掛かる徳川勢を退けた激戦の地です。位置的にはここ三光神社から西へ宰相山公園、真田山陸軍墓地、明星学園の敷地にまたがって真田丸があったと推測されています。
真田幸村が圧倒的に劣勢でありながらも徳川軍に大勝した史実より、勝利の神様として人気の神社となっています。
三光神社の境内には、鎧姿の真田幸村の銅像があります。真田幸村の鎧は特徴的で、真田の赤備えと言われる真っ赤な鎧に、旗印である六文銭と鹿の角を備えた兜姿。色こそわかりませんが立派な姿の銅像は1987年に建立されたもので、上田市にある真田家の菩提寺から取り寄せた石を台座に用いているそうです。
そのすぐ後ろには、大阪城の地下に通じていると伝えられている「真田の抜け穴」があります。
「真田の抜け穴」は中に入ることはできませんが、六門銭の真田の家紋がつけられた鉄格子からその内部をうががうことができます。夏でもひんやりとした空気が流れ出す地下通路はここから電車で2駅ほどの距離が離れている大阪城までつながっているかどうかはわかりませんが、歴史ロマンを感じられます。
■多くの兵が眠る広大な陸軍墓地
三光神社に隣接する宰相山公園の中の階段を登ります。平地の中に小山のようになった場所は確かに真田丸の城跡があったにふさわしい場所だと思っていると、突然森が開けて広い空間に出ます。そこには年月を重ねた墓石が幾つもの整然と並んでいます。ここは明治4年に設置された「真田山陸軍墓地」で、日本最古の陸軍墓地といわれています。西南、日清、日露戦争といった明治時代の戦争から、最後の戦争である太平洋戦争まで、戦死した陸軍の兵の墓所となっています。
墓石の数は5000以上あると言われています。戦争て志半ばだ亡くなった方々の眠りは、決して安らかなものではないでしょう。しかもこの地はかつて、何万人もの死者を出した大阪冬の陣の激戦地、真田丸の跡。墓石が立ち並ぶ陸軍墓地は静かながらもどこか物悲しい雰囲気が漂っています。
実はこの陸軍墓地のすぐそばにかつて祖父母の家があり、よく子供の頃にここで遊んだものです。しかし、ここで悪さをすると祟られると祖父母にきつく言われました。太平洋戦争を生き抜いた祖父母の言葉には今思うと、様々な思いがあったのだと感じます。
陸軍墓地の西側には一際大きな墓がいくつかあります。墓石には中佐と記されており、一部の将校の墓はひときわ大きなものになっています。この先には大阪での有名私立高校、明星学園があり、校内には真田丸の顕彰碑が設置されています。
今の平和の世に至るまで何度も繰り返されていた戦争。その歴史的な激戦区に多くの戦死者が眠る場所。歴史ロマンと戦争の鎮魂に思いを馳せて訪れたい場所です。
■大阪城近くのオススメホテル
三光神社
場所: 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90
電話: 06-6761-0372
営業時間: 10:00~16:00
休業日: 無休
料金: 無料
交通: JR環状線 玉造駅から徒歩5分
駐車場: なし
【投稿時最終訪問 2018年7月】