四国・赤石山系縦走【東赤石山~西赤石山】

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四国のど真ん中を東西に横たわる四国山地。四国という島国にありながら、標高西日本1位の石鎚山と2位の剣山を擁する山脈はとても険しい。そんなダイナミックな四国山地の中でも、指折りの縦走路として名高いのが日本200名山の「東赤石山」(1706m)から「西赤石山」(1626m)の岩稜だ。川、奇岩帯、森の中を歩き、海の展望や銅山の産業遺産など非常にバリエーションに富みむ。

さらには5月中旬から5月末にかけては西赤石山の「アケボノツツジ」や銅山越の「ツガザクラ」が出迎えてくれる花の山旅も楽しめる。

「別子銅山」の登山入口のひとつである愛媛県新居浜市の「日浦登山口」に6時前に到着。ここが「下山口」になるので、車1台をデポする。

単独や少人数での縦走なら、車に自転車を積んでいき、ここにデポしておくことも可能。ここから登山口になる筏津までは5.5km。終始下りなので、自転車に乗っているだけで、殆ど漕がずに筏津に着く。

日浦に車をデポして筏津から東赤石山へ出発!

筏津登山口

日浦登山口に車を1台デポした後、さらに車を走らせて筏津の登山口に到着。登山口は筏津山荘へ下る道の前にあり、トイレ付きの休憩所の建物がある。ただしトイレはボットンで、月に2回しか掃除がされていないようなので、出来れば車をデポした日浦登山口のトイレを使いたい。
(日浦のトイレは小さいながらも水洗)

筏津登山口

登山口の様子。登山口入口から振り返るように写真を撮っている。ちょうど、写真を撮った僕の背中に、登山口入口の道標が立っている。
登山口前の広場は私有地なので駐車禁止。車は筏津山荘の指定する駐車場に停めるようにと、案内図つきの看板が立っている。ちゃんとした駐車場を使わせてもらえるなら、遠慮なく・・・写真左側への道を下り、川を渡ると「筏津山荘」があるので、車をそちらに向かわせる。少し新居浜側に戻った所の路肩が広くなっているので路駐も可能のようだが、駐車禁止区域かは確認していない。
※2020年現在、筏津山荘は廃業し解体されています

筏津駐車場

ここが指定された登山者用の駐車スペース。筏津山荘前の駐車場ではなく、一段上に上がった所にある駐車場を使うように看板が出ている。登山者の方はこちらに車を停めてくださいと誘導看板があるのですぐにわかる。
駐車台数は約10台。もう一つ上にも登山者が停めても良い駐車場があるようなので、駐車台数は20台くらいになるのだろうか。
この駐車場の真上には、落差48mの「大滝」が望める。朝のひんやりとした緑の空気を、滝の音がここまで運んで来てくれ、とても心地が良い。また、駐車場のすぐ下には、パイプでは運ばれてきた清水が噴水のように噴出し、ニジマスを養殖していると思われる池に注ぎ込まれている。水の音が方々から聞こえてくる、とても気持ちの良い場所だ。

かつては夜の街があった鉱山町跡から登山スタート

筏津の産業遺産

筏津山荘を出発すると、目に飛び込んでくるのがコンクリート造りの遺構。おそらく昔の橋の跡。
実はこの筏津山荘のある場所には別子銅山の支坑であった「筏津坑」があった。当時は坑道付近には抗夫たちの住む社宅はもちろん、娯楽場やクラブまでもがあったそうだ。今は深い森だが、当時は大勢の人が住むにぎやかな場所だった。過去の賑わいは今となってはにわかに信じがたいほど、辺りは静寂と清涼な空気に包まれている。
ちなみに駐車場近くにある筏津坑は一部が今も開放されている。当時の坑道をそのまま使い、当時の坑道の様子を再現・展示している。時間があれば、是非見ておきたい。

筏津の銅山川

筏津駐車場前を流れる銅山川の流れ。その名の通り、この付近一帯には、別子銅山開発のための集落と施設がたくさんあった。この筏津の付近でも、森や藪の中を散策すれば、インクラインや索道、弟地坑という坑道など、産業遺産がわんさか発見出来るはずだ。
多くの人が住み、鉱山開発がされていた当時はこんなに澄み切った川では無かったのは容易に想像できる。しかし、この川の美しさから、当時この付近が一大工業地帯だったということは容易には想像できない。植林などの尽力があったとはいえ、自然の回復力というものも、人間の想像を越えたものなのかも知れない。
今はこの澄んだ水は、ダムでの水力発電や、山の向こう側に送られている。山の向こう側には、別子銅山で大きく育った「住友」の重化学工業が軒を連ねる新居浜市、日本を代表する製紙工業の集積地である四国中央市がある。この澄んだ水が、今の日本を豊かにする、様々な製品を生み出す工業の重要な支えになっている。
緑の心地よい空気の中、どこまでも透き通った美しさを見せてくれる銅山川の流れ。しかしこの川は日本の工業の黎明期を目の当たりにし、そして今の日本の工業をしっかりと支えてくれている。見る人の心を癒すだけでなく、見る人の今をどこかで支えている。
美しい水に感謝し、僕たちはゆっくりと登山口に向かった。

緑とマイナスイオンを感じる川沿いの登り

筏津登山道
東赤石岳登山の川

筏津山荘に車を置き、出発したのは朝6時半。ここから標高1706m、日本200名山のひとつ、「東赤石山」へは標高差1000m、約3時間の登りとなる。登り始めは美しい人工林の中を行く。杉が見事に並んだ中を緩やかな登りが続く。急登はなく、ウォーミングアップにはもってこいの道で楽に標高を稼いでいける。
東赤石への登山道は沢沿いの道。途中に何箇所か「渡渉」をしないといけない場所がある。とはいえ、水深はとても浅く、石の上に乗っていけばひょいひょいと渡れてしまう。増水時でも、防水された靴なら水の中を歩いていくことも可能。そのルートの渡渉は難関ではなく、水に親しめ、マイナスイオンを浴びられる心地よいスポット。

八間滝

30分ほど登ると、森の中には清冽な水の音が響き渡る。音の主は「八間滝」登っていく東赤石山の水を集めた背場谷の水を一気に落としている。
残念ながら登山道から見る滝は随分遠くで、深い森の向こうにわずかに見えるだけだ。それでも幾層にも覆いかぶさるような新緑からこぼれる朝日と滝の音。体の奥底まで届けられる自然のリズムは、朝早くからの出発で、どこかまだ眠り眼の体をもすっきりと目覚めさせてくれる。

東赤石岳登山道

八間の滝の音が聞こえる頃には、森は人工林から手つかずの原生林へと変わっている。新緑の色を映した木漏れ日がとても目に鮮やか。朝日と木陰が作りだす、光と影のコントラストの中をゆっくりと進んでいく。道は緩やかな登り。足はまだまだ前に出る。

東赤石岳登山

先ほど爆音を谷間に響かせていた八間の滝の上流部の川に出会う。苔むした川沿いを流れる川はとても美しい。川が山の上から運んでくる風はとても涼しく、せせらぎは癒しをくれる。
なだらかな登りとはいえ、初夏の日射しのこの日、すでに汗はいっぱいに噴き出している。ここで顔を洗ったり、涼をとったりして少しクールダウン。
水辺を楽しんだら、橋を渡って対岸へと向かう。

東赤石岳登山

橋を渡ってすぐに分岐点が現れる。出発からは1時間弱のところだ。左に行くと「赤石山荘」、右に行くと「赤石山」とある。どちらも東赤石山に辿りつける。ネットを見ていると、比較的左のルートを行く人が多い。赤石山荘には水場があるという話なので、あわよくば水を補給出来ればという意図もあり、左へのルートを選択した。(結論を先に書くが、赤石山荘の水場はあてにしない方がよい)

東赤石岳の川

深い渓谷を流れる川沿いを登山道は進んでいく。幾つもの滝と奇岩が連続する風景。同じ別子銅山付近の「遠登志渓谷」にその風景が良く似ていると感じた。深い谷底には光は届かず、水の流れがかき混ぜる谷風がとても涼しく感じる。登りは幾分かきつくなってきたが、おかげで汗が噴き出すような事はまだない。
しかし、川から離れ、再び人工林に入ると雰囲気は一変する。一気に標高を上げる登りは、今までの緩やかな登りと違い、かなりきつい。時間・距離的にはそんなに長くは続かないが、ここで一気に汗だくになる。

東赤石岳沢渡

人工林の中を登りつめると、再び道は緩やかになり、川と再会する。川の上にかけられた、少し頼りなさげな木橋を渡り先に進む。

東赤石岳沢

沢には何度も出会う。本流かそれとも支流かすら分からないくらい、何度も何度も。国土地理院の地図を見ながら行くが、沢から自分のいる場所は読み取れないくらい、出会う沢が多い。
再び、渡渉する大きな流れに出会う。渡渉は川を横切るのではなく、縦に川の一部をさかのぼるように渡渉する。渡渉前にいったんここで顔を洗い、先ほどの人工林の登りで噴き出した汗を洗い落とす。水の冷たさが気持ちよく、そして、その冷たさに随分と上り詰めた事を実感する。
さて、川の中を歩いて行けるくらい浅い場所なので渡渉は問題なし。再び沢沿いに上を目指して歩きだす。

コケ

沢沿いの道は深いコケが見れる。一条の朝日に照らされるコケは、まるでスポットライトを浴びたかのように、美しい。

コケ

もう1枚、苔。その美しさは、部分的に屋久島や北八ヶ岳のそれに匹敵する。こんなに美しいコケの森がここで見れるとは思ってもいなかった。

コケの森

先日までの雨で、コケが自生する岩には水が絶え間なく流れている。どこからこの水は来るのだろう。山肌、岩肌をつたい、水は小さな音を立てて流れ、ここに滴り落ちている。その水の営みは幻想的。木陰の中、朝日を映しこんでまるで宝石のように輝いている。

苔の森

川沿いの森はコケに覆われた原生林。降雨後にはあちらこちらから水が湧き、森を潤している。光と水が遊ぶコケの森は、まるで別世界。
岩の稜線と鉱山の跡を目指す山旅だったのに、こんなに自然あふれる深い水の森のおまけまで楽しめるとは。東赤石山の登山ルートは深い森の中、水が造りだす世界を楽しみながら登れるルート。それぞれの山域ごとに全く違う表情を見せてくれる今回の東赤石山~西赤石山の縦走ルート。序盤からそのバリエーションの豊かさに驚かされる。

やがてもう一度川を渡渉で横切り、その横切った川沿いに標高を上げていく。川幅は縮まり、水量も一気に落ちる。もう、源流域まで近づいている事は明らかで、標高も随分と高くなった。

水の流れがなくなると森林限界を越えたような風景

東赤石山登山

やがて道を覆っていた高木は退き、クマザサと灌木が変わって道を覆うようになった。高山の雰囲気に一気に近づいてきた。東赤石山は、その頂上付近は大小の岩石が幾つも転がる地形になっていて、まるで森林限界を越えたかのような風景が広がる。このように森林限界に近づく植生になってきたということは、頂上も近いということ。
時々、何度か再び森の中に入ったりしながらも、ゆっくりと標高を上げていく。何度か沢を横切るが、もうすでに水は無い沢になっている。

東赤石山登山

何度目かの森を抜けると目の前が突然開ける。そして、目に飛び込んでくるのは今までにはなかった風景。
青空と、岩肌むき出しの荒々しい山の姿。ついに赤石山の主稜線が見えた。
豊かな水に覆われた深い森の中から一転して、空に手が届きそうな岩稜。ここがひとつのエリアの終わり。今からは険しい、稜線歩きへと山旅はステージを変えていく。

東赤石山登山

目の前の風景が開けると同時に、周辺の山の表情は一気に変わった。先ほどの、深い森とせせらぎの中を行く気持ちの良い沢沿いの道が一転、森林限界を越えたアルプスのような険しい岩稜の表情を山は見せる。
登っているのは標高1706mの「東赤石山」東赤石山を登頂した後、西赤石山へ縦走し、別子銅山・日浦へと下るロングトレイルだ。

もしもの時の避難場所・赤石山荘

東赤石山登山

視界が広げ、付近が森林限界を越えたのような様相になってすぐに分岐点が現れる。赤石山荘を経て西赤石へ縦走するルートと、東赤石山頂上に向かうルートだ。もちろん右へ折れて東赤石山へ向かうが、その前に「赤石山荘」がどんなものか見に行く。この分岐から1分ほどの所に山荘はある。

赤石山荘

「赤石山荘」の料金は素泊まり2000円で営業をしていたが残念ながら2019年にて営業は終了。現在は悪天候などでの避難に使えるようにはされているとのこと。さすがに内部を勝手に見るのは気が引けたので確認していないが、当然、電気とガスは無い。万が一の時に山小屋を利用する場合、自炊道具は当然持参が必要。山荘は奥に長く、簡易な建物ではあるが、こういう厳しい山の中にあるのは非常にありがたい。万が一悪天候に見舞われて身動きが取れなくなった時は、この内部に逃げ込むだけで一安心だ。登山口から山荘までの所要時間は2時間50分。ほぼコースタイム通り。途中、写真を撮ったり、沢遊びするなどの寄り道をした事を考えたら、今のところ順調。

赤石山荘水場

さて、山荘の裏に水場があるという情報を得ていたので、チェックをする。持参した水は各々1.5~2リットル。縦走ルートに入れば、水の確保は下山口近くのダイヤモンド水まで皆無。安心のためにここで水を補給出来ればと思っていた。確かに小屋の裏には水場があった。パイプで少し上の沢から水を引いてきて、貯水槽に貯めるような形だ。しかしこの日は水量が少ないのか、それとも誰か先客が水を使ったのか。貯水槽には水は満たされず、流れ出していない。考えればこれだけの岩がむき出しの稜線直下の山小屋の水場だ。水があるだけでも奇跡。状況的にこの生水をゴクゴク飲むには疑問が残る。手洗いや煮炊きに使ったりするのなら良さそうだが、ここでの水の補給はやめておく。小屋の脇から道が続いているが、これは西赤石山に稜線を経由せずに向かう巻き道なので、いったん先ほどの分岐まで戻る。

※赤石山荘閉鎖後の水場の状況は不明です

奇岩地帯を抜けて東赤石山のピークを目指す

東赤石山

見上げる東赤石山系の主稜線。見えているピークは「八巻山」東赤石山は赤茶けた「かんらん岩」がゴロゴロと転がる荒々しい岩肌がむき出しの山容が特徴で、山の名前の由来にもなっている。
また、東赤石山の周辺では「エクロジャイト」という地質学的にも非常に珍しい岩が点在する。日本ではこの東赤石山でしか産出されず、通常地下30kmという高圧の場所で生成される鉱物が、標高1700mの山の上で露出しているのかは学会でも大きな謎だそうだ。確かに、ここまでの登山道でも美しく輝く巨大な雲母石が方々に露出していた。また、付近では「住友」が大企業に育った礎であり、一時世界一の銅の産出量を誇った「別子銅山」が網のように坑道を張り巡らせている。地質学者がよくこの山域を訪れているとも聞く。この別子・赤石山系は鉱石の宝庫であると、改めて感じざるを得ない。

東赤石山登山

目を真上にそびえる稜線から西側に移すと、鮮やかな新緑の森が広がっている。赤石山系は花の山とも呼ばれ、植物の宝庫。また、瀬戸内海側には四国随一の工業地帯が広がっているが、その工業用水を提供してくれるのも、この赤石山系だ。まさに、人間にとっての恵みがいっぱいに詰まった宝の山である。

東赤石山奇岩

東赤石山は奇岩地帯。むき出しのかんらん岩にはまるで化石が含まれているような白い模様が方々に見られる。これは何かはわからないが、他の山域ではまず見ることが出来ない。ここでしか見られない、不思議な岩の表情。

東赤石山奇岩

赤茶けた奇岩が造り出す特異な風景も東赤石山の見どころ。思わずいろいろと名前をつけたくなりそうな巨岩・奇岩が方々に点在する。大きな岩の上に小さな岩が乗っているこの岩、まるで人の手によって置かれたようにも感じる。

東赤石山奇岩

深い緑と赤茶けた奇岩。そしてその上に点在する謎の白い模様。「まるで北アルプスの岩稜地帯を思わせる」とよく形容される東赤石山だが、確かに雰囲気は近いものがある。しかし、北アルプスとは似ても似つかない、不思議な世界がこの東赤石山には広がっている。

東赤石山登山

赤石山荘から東に向かう稜線と平行する水平道を行く事約10分、頂上へ向かう分岐に出会う。直進すれば権現山や、もう一つの東赤石山の登山ルートと合流する。ここを左に折れ、東赤石山に向かう登りにとりかかる。

東赤石山登山

東赤石の稜線への登りは、灌木の生える岩が多い道を登っていく。所々にある巨岩や奇岩に目を奪われながらも、少しずつ近づいてくる主稜線。空ももうすぐ、手が届きそうなほど近くなってくる。

東赤石山道標

おおよそ10分で赤石越に出た。主稜線上に到着だ。ここを右に行くと、東赤石山の頂上だ。
ここから東赤石山までは約10分。赤石越からしばらくは、まるで別の山に来たかのように表情ががらりと変わる。深い笹と、木々に覆われた森の中を登っていく。見上げていた岩稜地帯とはまるで別の山だ。
東赤石山はむき出しの岩で森林限界を超えているが、地形的に鞍部など土が堆積した場所があればそこには森が形成される。めまぐるしく森と岩稜地帯が交互する。それも東赤石山の風景。
頂上に近づくと、さすがにその特徴である赤茶けた岩が多くなってくる。岩肌をよじ登るように道は進み、ついにその頂きが見えてきた。

縦走の起点、メインピークの東赤石山に登頂!

東赤石山頂上

登山口より約3時間半。本日のメインピーク、「東赤石山」(1706m)に到着。残念ながら登頂と同時に瀬戸内海側(北側)からガスが上がってきた。まるで生き物のように、形を変えながらゆっくりと斜面を駆け上がり、南側へとこぼれ落ちては消えていく。北側の完全に視界が遮られたが、晴れていればここから島々をちりばめた瀬戸内海と新居浜や四国中央市の町並みが一望できる。
頂上は岩がむき出しの場所で平坦ではない。10人ちょっとは座って昼食がとれそうな広さはある。ここで少し早目だが、ランチをとってこれからの縦走へ備える。
ちなみにここから5分ほど東に登山道を行くと、眺めの良い三角点があるそうだ。この日は眺めは半分以上ないので、そちらには向かわず。

ランチをとりながら、唯一残された展望で、これから向かう風景を楽しむ。
真正面に見える山が次に目指す「八巻山」その後岩がむき出しの稜線を縦走して、風景の奥に進んでいく。そして最終のピークが、はるかかなた三角形の形をしている「西赤石山」(1625m)激しいアップダウンはないが、険しい岩稜が続くハードな縦走コース。
主稜線まで登ってきたが、まだまだ先は長い。早めの昼食を取り終えたら、縦走の準備へととりかかる。

東赤石山から険しい岩の稜線を縦走

東赤石山山頂

日本200名山、「東赤石山」(1706m)の頂上でランチをとったら、ここからついに西赤石山への縦走に挑む。いったん「赤石越」まで来た道を戻り、ここから赤石山主稜線の岩稜を行く。ここからの稜線は、赤石山の名前の由来となった、酸化して赤茶けたむき出しの露岩地帯を進むハードなルート。心して切り立った岩場に取り付く。

東赤石山岩稜

稜線の岩場は奇岩や巨岩がゴロゴロと転がる。よく北アルプスのような岩場を行くと形容されるこの付近。確かに、四国の中でこれだけ長距離の岩場歩きが出来るところは数少ない。
しかし、北アルプスとは似ても似つかない風景。アルプスの真っ白な岩とは違い、ここは赤茶けた岩。そして、1枚岩やガレ場が多いアルプスとは違い、ここは大きな岩が幾つも積み重なった独特の風景。そして何より、ルートが分かりにくい。
北アルプスの登山ルートは○印や矢印が岩肌の方々にペイントされている。ガレ場も多いので道もはっきりと付いている。
しかし、東赤石の岩場は、とにかく目印となるペイントの数が少ない。積み重なった大きな岩の上を行くので、どこが道かもよくわからない。ここはルートファインディングがとても重要になる。

東赤石山稜線

岩山をよじ登るように稜線を行く。険しい岩肌が続くが、そう危ない場所は多くない。ゆっくり時間をとって、ルートを見極めれば問題ない。
背後を振り返ると、先ほど昼食をとった東赤石山の頂上が見える。今、登っている「八巻山」に比べると緑も多く、岩峰といった雰囲気は比較的少ない。

八牧山

「八巻山」に到着した。赤石越から約30分かかっている。平均タイムよりちょっと少なめだが、それでも随分時間がかかったような気がする。大きな岩を幾つもルートを探して乗り越えていくこの岩稜は、予想以上に体力と時間を削り取っていく。
いくつもの岩山のピークが連続するこの岩稜だが、頂上とされているのはこの八巻山だけ。ピカピカのステンレスの祠が目印。
岩稜の中間にあるだけあって、360度、遮るものない展望が楽しめる。頂上に木がある東赤石山よりも展望は良い。遮るものなく、空に突き出した場所はとても気持ち良く、確かに北アルプスのピークに立ったような気分になれる。
ただし、悪天候の時の登頂はやはり危険な場所。それにこの頂上は雷の的になってしまうようで、避雷針らしきものが設置されている。
背後にはガスが湧きたつ東赤石山がそびえる。

赤石山系縦走

そして、これから進む方向には、まだまだ続く岩稜が、鞍部へと一気に下る荒々しい風景を見せてくれる。どこまでも続く、森林限界を越えたような岩の稜線と、湧きたつ雲。確かに、ここが日本アルプスのどこかだと言われても、信じてしまう人も多いだろう。
ちなみに写真の一番中央に見えている岩峰は地図を見ると「前赤石山」のように見えるが、実は名もなきピーク。左へ続いていく稜線は、縦走する主稜線ではなく単なる尾根。縦走する稜線は、岩と緑が合流する付近から、尾根の裏側へと続いている。

赤石山荘

足元には先ほど休憩をした「赤石山荘」が見える。このように、森に包まれた山小屋の屋根を、はるか上から見下ろすのも、信州の高山ならではの風景。四国でこのような風景を見られる場所も数少ない。

赤石山系縦走

八巻山から鞍部への下りは結構ファンキーだ。見た目だけでは、どこを通っていけばいいのか分からない。わずかに灌木の切れ間に現れるルートや数少ないペイントをあらかじめ見つけ出し、進むべきルートを自ら描く。そして、そのルートを踏み外さないように進んでいく。
急こう配の下り。比較的組み合わさっている岩が多いので足場は確保しやすい。とはいえ、時々巨大な1枚岩の足場の確保に苦しんだり、先行者に岩を落とさないように気をつけたり、間違った方向に降りて行かないように・・・細心の注意を払いながら、描いたジグザグのトレースをゆっくりと慎重に下りて行く。

赤石山系縦走奇岩

鞍部まで降り切ると、巨大な奇岩が姿を現す。この岩稜を縦走した登山者がよくSNSでアップしている岩がこれだ。まるで巨人が道しるべのために置いて行ったかのようで、どうやったら自然にこんなものができるのか、想像もできない。
地図にはルートは描かれていないが、赤石山荘からこの鞍部まで、直登するルートがあり、縦走ルートの分岐点がこの岩の前にある。まだ岩の縦走は続くので、安全確保や時間確保の必要があるときは、ここからいったん赤石山荘へのエスケープもできる。東赤石山荘からの巻き道で西赤石山に向かう方が、半分以下の時間で済み、危険度も断然少ない。

赤石山奇岩

さて、この巨大な岩は顕著すぎるが、この稜線には同じように、岩が幾つも積み重なったような地形になっている。何かあれば、ゴロンと谷底に転がり落ちて行くような岩がいっぱいある。そんな岩にしがみつきながら、断崖絶壁の上を進むルートは、なかなかスリリングでもある。
まるで岩屋のように積み重なった岩や、窓つきの家のような岩の空間。何かを象徴するような彫刻のような岩。先進芸術家が組み立てたオブジェのような岩が幾つも幾つも姿を現す。

赤石山岩稜

岩山のピークはまだまだ続く。地図ではそんなにピークは連続しないように見えるが、複数のピークが短い間隔で並んでいる。等高線を見る限りではなだらかに見えるが、実際は等高線に現しきれないほ どの短感覚で小さなピークが並ぶ、険しい場所だ。

赤石山系縦走

岩のピークを乗り越え、時にはトラバースしながら先に進む。最初は久々の岩稜の縦走、楽しかったが、いい加減うんざりしてきた。何よりルートファインディングと岩のよじ登りや三点確保が連続して必要な場所。容赦なく体力と時間を削り取っていく。先に見える風景は、歩けど歩けど近づいてこない。次第にパーティーの誰もが無口になっていく。

赤石山系縦走

岩稜の縦走から一転、深い森に突然入り、藪コキに近いような道を行く。これも東赤石山稜線の特徴。標高的には森林限界を超えていないので、地形的に土が積もる所があれば、木々が根を下ろせる。岩の上を歩いき、トラバースのためにちょっと稜線から下ろうものならば、突然深い森に入る。そんな繰り返しがあるのは、森林限界を超えている北アルプスの岩稜では味わえない、不思議な感覚だ。
さて、やっと近づいてきた岩稜の終了。この先の稜線は深い森が覆っている。森の中に入れば、もう少し歩きやすいルートになるだろう。疲れてきた岩場が終わり、次のステップへと登山道は変わる。
そう思いながらルートは森の中に入っていった。思惑どうり、道は岩のよじ登りなどなく、どこを歩けばいいかすぐわかる一本道を普通に歩いて行けるルートになった。なんとかこれで、東赤石山の岩稜地帯をクリアする。

赤石山稜線

森林地帯に入る前に振り返る岩稜。よくこんな険しいところを縦走してきたなぁと感心する。一番右奥にあるのが、先ほど祠があった「八巻山」その奥、ガスか八巻山自体の影に、東赤石山は隠れてしまっている。

なかなか前に進めない岩稜地帯の縦走

赤石山系縦走道標

森の中に入ってしばらくすると分岐点がある。ここが「石室越」。赤石山荘からの巻き道との合流地点だ。
が、この分岐点に到着して唖然とする。八巻山の頂上から1時間もかかっている。コースタイムではここまで八巻山から40分なので、初めてコースタイムを大幅にオーバーした。しかも、この森の中に、次に目指すピークの「物住頭」があると思っていただけに、精神的ショックはやや大きい。しかもここから道は一気に下り、方向も変えている。いったん地図とコンパスで現在地、進むルートなど間違っていなかい、パーティーのメンバーで確認する。確認の結果、下りと方向の変更は地図上でも確認できたので、このままルートを進む。下りは思ったよりもすぐに終わった。再び稜線と思われる道を進んでいくと、再び驚愕させられる風景がそこで待っていた。
思った以上に前に進まない、東赤石山から八巻山を経由する岩稜歩き。すでに到達間近と思われた「物住頭」はまだまだ先だった。
赤石山荘を経由する縦走の巻き道との合流点、「石室越」で地図を見て、そのペースダウンに驚かされる。とにかく延々と続く過酷な岩場の通過には時間がかかりすぎた。ただ、岩場は終わり、稜線は森に包まれた。ここからは歩きやすい道が続くはず。少しでも遅れを取り戻さねば。
そう思いながら、稜線を下り、森の中を行く。次に目指す、物住頭のピークを目指して。

赤石山系縦走

だが、森を抜けると、目の前に待ち構えていた巨大なモンスターに驚かされる。険しい断崖絶壁に守られた「前赤石山」だ。やっと抜けた岩場が、さらにグレードアップして、僕たちの目の前に立ちはだかったのだ。いったいどうやったらこの山を乗り越えられるのか、ルートが一目見ただけでは読めない。すぐ後ろに見える森のピークが「物住頭」だろうが、この巨大な岩の怪物は急ぐ僕たちを嘲り笑うように、その行く手を派手に阻む。
地図を見ると、道は頂上を経由せずに巻きながら次の鞍部を目指している。ということは、この岩肌、断崖絶壁の中腹を行く道があるのだろう。確かに道というより、歩いて行けそうな岩場が確認できる。

赤石山系縦走

道というより、岩が積み重なった場所を慎重に歩いていく。断崖絶壁の途中ではあるが、道幅は広いので滑落の危険性は少ない。それでも足を踏み外せば危ない箇所は少なくは無い。
雲が顔をかすめて飛んでいく。頬をするりと雲を乗せた風に撫でられると、神秘的なくらいの高度感が体の中を駆け巡る。岩場の連続に疲れた体に鞭打ち、巨大な要塞を思わせる岩峰をトラバースしていく。
トラバースとはいえ、幾つもの巨大な岩を乗り越えて、下って行くのは体力的にも精神的にもとてもきつい。やっと鞍部にたどり着いた時には、疲労困憊。水分補給と小休止をしたら、「物住頭」への登り道にとりつく。

物住頭からは森の中の稜線でスピードアップ!

物住頭

森の中の道は岩場の道に比べ歩くスピードが格段に早くなり、使う体力も少なくて済む。思っていたよりもかなり早く、そしてキツイ登りとも感じずに「物住頭」(1634m)に到着した。鞍部から10分ほどでの到着にびっくりさせられる。岩場を進み、登る事にどれだけのエネルギーが必要だったかを痛感する。

前赤石山

物住頭から振り返る前赤石山。雲を湧きたち、岩肌のむき出しの険しい山。その奥にも先ほど歩いた険しい岩の稜線があるが、雲の中か山の影になって、もう見えない。

西赤石山

物住頭の頂上でも小休止した後、最後のピーク「西赤石山」へと向かう。見事に三角に見えるピークが西赤石山だ。
ここからの稜線はなだらかで岩場もない。コースタイムでは45分で頂上に到着できる。まだまだ遠くに見えるが、今までとは違い距離が縮まるのは早いはずだ。

四国ではここにしか咲かない高山植物・ツガザクラ

ツガザクラ

意気揚々と西赤石山を目指していたが途中、いきなり足をとめられる。それは、「ツガザクラ」の大群生だ。
ツガザクラは「西赤石山」からさらに先にある「銅山越」の砂礫地帯に咲く高山植物。通常は北アルプスなどの信州などの高山に咲き、7月に花をつけるが、この別子銅山付近では5月末に開花する。銅山越はツガザクラが自生する日本最南の場所。標高1000mそこそこの低山でありながら、特殊な高山性の砂礫地のため、自生が可能になっている。しかも、その自生している場所は、40年ほど前まで銅山開発がされていた地域で、100年前には工場が立ち並び、多くの人や物が行き来していた場所である。
そんな人間が荒らしまくった跡地に高山植物が咲く。僕はそんな奇跡に魅せられて、毎年この時期には別子銅山のツガザクラを見るために登山している。もちろん今年の登山も銅山峰を経由するので、ツガザクラを見るつもりだったが、まさかこんな場所で見れるなんて。そして、こんなにびっしりの密度で、広範囲に咲いている群生は、本家の銅山峰でも見た事が無い。
ツガザクラはロープなどが張られて保護がされているが、近年その花の数や密度が随分少なくなっていると感じる。「東洋のマチュピチュ」として別子銅山が有名になり、登山者が増えた事が原因だろうか。
ただ、この西赤石山から向こうは本格的な登山コースで、時間がかかるために登山者でも入山する人は少ない。この日もこのコースの中で出会った登山者はほんのわずかだ。登山道脇にありながらもこれだけの群生が出来るのは、訪れる人が少ないからであろう。

ツガザクラ

不意を突かれた上に、今までに見た事が無いような大群生。しかもちょうど満開だ。やはりカメラで撮らないわけにはいかない。その小さく可憐な姿の撮影開始。

ツガザクラ

ツガザクラは米粒くらいに花は小さい。これだけ群生していないと、その存在にすら気付けないほどだ。この日は6月4日。通常銅山峰のツガザクラの満開は5月の20日から末頃。標高が高い事と、今年の開花は遅れているために満開の時期に出会えたのだろう。

西赤石山のツガザクラ

ツガザクラは他の植物が根付けない岩のすきまや砂礫地帯に自生する。地形条件的に「花畑」のように群生することは難しいのだろうが、ここでは見事に群生する。これはツガザクラの観察には意外な穴場だ。

ツガザクラの花

ツガザクラはサクラと名前が付きなが全く違う植物。色や形が桜に似ていて、葉はツガに似ていることからこのような名前がつけられたそうだ花は下を向いてぶら下がるように咲き、色は真っ白な柄も花びらのふわりとした感じは桜をイメージするのだろうか。全く別物ながら、どこか桜に通じる事を感じられる点はある。
予想外のツガザクラとの出会いに感謝し、再び西赤石山へと向かう。

物住頭と前赤石山

行く道を振り返る。一番左のピークが先ほど通過した「物住頭」その右側の岩のピークが、苦難のトラバースを強いられた「前赤石山」
岩場はもう無く、緑に覆われた山の道は本当に快適。ガスが少しずつ引いていき、青空が空を覆い始めた。思った以上になだらかな稜線をペース良く登っていく。西赤石山の頂上までもう少しだ。

アカモノ

途中の登山道には途切れる事が無いくらい「アカモノ」が咲いている。先ほどの「ツガザクラ」とよく似ているが全く別の植物。
まず花がツガザクラに比べて大きく、つける数も少ない。花やその付け根はその名の通り赤くなっていて、葉は針葉樹のようなツガザクラと違い、広葉樹のような広い葉を持っている。この花もツガザクラに劣らず綺麗な花だが、どこでも咲くので希少度は小さい。しかも、ツガザクラの生息地を乗っ取っているような感も無くは無い。ツガザクラが必死の思いで砂礫地に根を張った横に、平気な顔をしてアカモノが咲いている場所も多い。

縦走最後のピーク・西赤石山に到着!

西赤石山頂上

「西赤石山」(1626m)の頂上に到着。ツガザクラの写真を撮りながらも、物住頭から40分で到着。今までの歩けど歩けど前に進まない岩稜とは違い、飛ぶような早さだった。そして、コースタイムより随分早く着いたことにもいろんな意味で一安心。
青空と萌える緑に包まれた頂上はとても気持ちがいい。ここで荷物を下ろし、大休止。展望は残念ながら霞んでいて望めないが、あとは良く知ったコースを下っていくのみ。安堵感もあり、見渡す風景と流れる風がとても心地よく思えた。
四国の山のメジャーな「健脚向け」縦走コースである、東赤石山から西赤石山の縦走路。出発から7時間半でなんとか最後のピークぶある「西赤石山」に到着した。予想以上のハードな岩場歩きで、時間は予定以上にかかってしまったが、ここから先は何度も歩いているコース。今から下山を開始しても、ツガザクラと別子銅山の遺跡を見て回ってから、十分日没までには下山できる。標高1626mの西赤石山の頂上で一息ついたら、さっそく下山を開始。

銅山越

西赤石山頂上は広く、頂上の西側の崖の上からは絶景を楽しめる。これから下りて行く銅山峰への稜線はもちろん、天気が良ければ、日本百名山の石鎚山と、その付近に鎮座する名峰の数々の遠望をも楽しめる。実はこの付近には、江戸時代末期から昭和時代まで、日本三大銅山の「別子銅山」があった。言わずとも有名な「住友」の発展の礎となった場所で、当時は松山に次いで2番目の人口を愛媛県で誇っていた。稜線の右下には、日本初の山岳鉄道がなんと明治時代に開通し、物資や鉱物を運んでた。

西赤石山からの兜岩

北側を見下ろすと、ここにも先ほど通ったような露岩むき出しの山がある。「兜岩」である。ここも登山ルートが通っていて、絶好の展望を望める事から、シーズン中にはここで弁当を広げる登山者がとても多い。この日は霞んでいるが、眼下には風光明媚な瀬戸内海と、住友系列の重化学工業が軒を連ねる工業地帯を見下ろす事が出来る。
この兜岩から、100年前に山岳鉄道が走っていた廃線跡を経由して、近年「東洋のマチュピチュ」として人気が出てきた「東平」へと下る事も可能。

西赤石山のツガザクラ

よく見ると、頂上にも「ツガザクラ」がいくつか咲いていた。ツガザクラは「西赤石山」から「銅山越」の砂礫地帯に咲く高山植物。通常は北アルプスなどの信州などの高山に咲き、7月に花をつけるが、この別子銅山付近では5月末に開花する。この付近はツガザクラが自生する日本最南の場所。アルプスに比べると低山でしかも、付近は鉱山開発で荒れ果てていた場所。

新緑の西赤石山

下山を開始した直後、西赤石山山頂を振り返る。気持ちの良い青空に、まだ萌える新緑。西赤石山からの稜線にも岩場はあるが、規模も小さく殆どが歩きやすい土の道だ。ピークを越える小さなアップダウンが何度も繰り返されるが、スピードを上げて、一気に標高を下げて行く。

西赤石山のツガザクラ

途中、大きく南側に崩れている場所を抜けると、ツガザクラの大群生地に出る。緑色のロープが張られていて、「定点観測」と書かれた札が立っているのですぐにわかる。ここで白く米粒のような花をつけているのが、ツガザクラだ。
ここからツガザクラは銅山峰と、銅山峰から西山の方へ少し歩いた砂礫地帯にかけて群生している。通常5月末が花期であり、今年は大雪の影響を考え6月の第一週に訪れたが、ツガザクラの満開は過ぎていた。残念ながら、見応えがある群生は少なかった。

アカモノ

気になったのが、ツガザクラの横に領地を陣取るように咲いている「アカモノ」と言う花。形はツガザクラとそっくりだが、その名の通り、花の付け根が赤く、ややツガザクラよりも大きい。ツガの葉に似ている針葉樹のようなツガザクラの葉と比べ、広葉樹の葉を持つのがアカモノだ。
このアカモノがとにかく多く咲いていた。生息範囲や生命力はツガザクラに比べて断トツに高い。ツガザクラが必死に咲いている砂礫地帯にも平気な顔をして侵入している。今までアカモノの花期に訪れた事は無かったが、これは正常な状態なのだろうか。

住友発展の礎「別子銅山」の跡を巡りながら下山

歓喜坑

しばらく下ると、「歓喜坑」に到着する。江戸時代に初めて掘られた坑道で、この別子銅山の歴史のスタート地点となる。別子銅山は1973年に閉山したが、その後銅山は住友の手によって森の中に還された。今は深い山の中に当時の産業遺構が静かに眠る、まるで古代遺跡のような神秘的な場所だ。

通常の登山道とは別に、この歓喜抗の奥に、もう一つの登山ルートが隠されている。「延喜の鼻」と呼ばれる場所を経由して行く道だ。当然ながら、坑道前には昔、事務所や社宅があったわけなので、この付近は町だった。町には道が何本もある訳なので、今は森となった別子銅山跡には隠されたルートがいっぱいに眠っている。

延喜の鼻のルート入口

木橋を渡って延喜の鼻のルートに入っていく。道はここもきちんと整備されていて歩きやすく、危険な場所は無い。所々、町の跡を見ながら歩く事も出来る。このルートをきちんと道標を立てたり、案内板に乗せないのはちょっと勿体ない気がした。

延喜の鼻からの展望

延喜の鼻に到着。ちょっとした岩場になっていて、その上に立てば、360度、別子銅山を見渡せる。が、今は全部森になっているので、これといったものが見える訳ではない。途中、斜め右に降りて行く道があるが、これを下ると通常の登山ルートへと戻る。

別子銅山跡

下山途中も多くの産業遺跡を見ることが出来る。何もない殺風景な川原に見える場所も、よく見れば岩と岩の間に鉄筋が射し込まれ、暗渠が組まれている。ここには銅を溶かす、溶鉱炉があった。今は何もない、自然豊かな静かな山の中も、100年前は、煤煙と汚水を吐き出す工業地帯だったのだ。

別子銅山跡の川

この日は晴れだが、前日までにまとまった雨が降った。川には山から水が注ぎ込まれている。昔は民家が軒を連ねていた集落。山から流れる水は、集落の間を通された、石垣で護岸された川を流れる。
普段はこの場所には水は流れていない。山から水がでたら、この川に集められて、氾濫したり崩れたりしないように水が流されている。

別子銅山住友病院跡

深く険しい谷だが、よく見ると、写真左下にアーチ式の暗渠がかけられている。向こう岸には城壁のように石垣が組まれている。ここから向こう岸に当時橋がかけられ、病院が立っていたという。

別子銅山を流れる川

足元の渓流には澄み切った流れがある。東赤石山への登りの時にも清流はあり、顔やのどを潤してくれたが、ここの水はその時ほど親しさを感じさせてくれない。まず、深く険しい谷底へは近づくことが出来ず、所々、銅山開発の時に出来た銅のカラミなどが川に突き出している。水はきれいだが、鉱山の成分が含まれているようで、とても固く冷たい雰囲気がする。魚影が一切ない川の水は、美しくも、どこか魔性の危険な雰囲気を強く漂わせていて、近寄りがたい。この水はとてもきれいだが、喉を潤したり、顔を洗ったりする事は、ちょっと無理だ。
それでも銅山があった当時は、絶対にこんな綺麗な水ではなかったはず。工場の排水と生活排水で汚れた水が流れていたはず。今ではこんなに美しい流れになっている事には、素直にびっくりする。

別子銅山跡

当時の町の跡。排水溝や水道管。今は深い森の中に、明治時代に栄えた銅山町が眠る。今は昔の栄華が嘘のように、ただ静かに森として佇む風景だけがある。

別子銅山採鉱課長宅跡

当時の銅山経営の幹部の住居や、要人の接待をした屋敷の跡。今はレンガ造りの重厚な壁しか残っていないが、当時は日本庭園を持ったりっぱな屋敷があった。京都から芸者が呼ばれ、接待がされていたという。ここからはにぎやかな音色や笑い声が聞こえていただろう。100年後の平成の世には、鳥のさえずりだけが聞こえる森の中になるなんて、その頃の誰が想像したであろうか。

別子銅山酒造所煙突

酒造所跡にも尋ねてみた。朽ち果てかけたレンガ造りの煙突が残っているだけだが、当時はここで生産された酒や醤油が、坑夫たちを支え続けた。見た目にも崩壊は時間の問題で、無骨な鉄筋で倒れないように支えられていたのだが、最近の別子銅山人気でついに補強工事が入っていた。剥がれかけているレンガをも補修しているようで、間もなく在りし日の姿が再現されるのかも知れない。

まもなく、別子銅山の南の登山口である「日浦」に到着した。ここで朝にデポをしていたもう1台の車に乗り、登山を開始した筏津山荘に置いていた車の回収に向かう。単独行ではここに自転車をデポし、筏津まで下って車に戻る人も多い。

朝6時半に筏津山荘を出発し、夕方6時過ぎに日浦に下山。ほぼ12時間の縦走。
清流を縫うように登る東赤石山。アルプスを彷彿させる岩稜歩きを楽しみ、その後は緑に覆われた稜線を行く。四国ではここにしか咲かない高山植物のツガザクラ。そして、森に還った町の遺跡の跡を巡りながらの下山。
12時間という時間は長いが、それ以上にめまぐるしく変わる風景は、何回分もの山行を詰め込んだかのようなバリエーション豊かなコースだった。四国有数の長時間の縦走コースながら、ここに挑む人が多い理由が良くわかる。また機会があれば、挑んでみたい場所だった。
なお、長時間の縦走にも関わらず水場は無いので、飲料は多めに持参したい。

赤石山系縦走の前泊・後泊に便利な温泉つきシティホテル

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