東洋のマチュピチュ【別子銅山・東平】
愛媛県新居浜市。ここは、大企業、「住友」が大きく発展した礎の地である。その「礎」となったのが日本三大銅山のひとつ、『別子銅山』である。
別子銅山の歴史は長く、1691年(江戸時代後期)から1973年(昭和48年)まで283年にわたり採鉱された。住友は開坑から閉坑まで永きに渡ってこの鉱山を経営した。このような一企業で300年近く採鉱を続けられた鉱山は世界的に見ても例がない。
マイントピア別子東平ゾーンが東洋のマチュピチュ
別子銅山で人気のエリア「東洋のマチュピチュ」こと東平(とうなる)は深い山の上にある。東平にたどり着くには、新居浜市街から県道47号線を道の駅「マイントピア別子」を越えてさらに南下。「清滝トンネル」を越えてすぐ、左手へ細い道がある。「銅山の里自然の家」や「東平」の看板がある。1車線の細い山道で、離合できる場所も少ない道。最近の人気でここに入る車が増え、なんとマイクロバスが連なって入ったりもする。運転には注意が必要だ。道を登り切ると、今までの細い道からは想像できない立派な駐車場や施設がある。マイントピア別子の東平ゾーンとして整備されており、レストランや売店はないが、自販機・トイレ・資料館・体験工房が整備されている。
さて、車を駐車場に置いたが、肝心の「東洋のマチュピチュ」はすぐには見当たらない。しかし、「灯台もと暗し」とはよく言ったもの。実はこの駐車場は「マチュピチュ」の真上にあるのだ。
今は深い森に包まれる遺跡。見上げると、その大きさには圧倒される。石造りの巨大な建物の跡は、確かにインカやマヤを思わせる、神秘的なものだ。しかし、この建物は昭和40年頃まで動いていたロープウェイ。近代科学の遺跡である。
この建物は「索道場」といい、貯鉱庫・選鉱場・索道基地からなりたつ。索道場の役割は、別子銅山で採掘した鉱石やを索道場へ集め、新居浜の端出場(現在の道の駅「マイントピア別子」へ搬出するものだった。また、生活物資や坑内に使用する資材を端出場から搬入する為にも利用された。
この索道場ができたのは明治38年。動力は使わず、鉱石を下ろす重さで索道を動かし、同時に山の下から生活物資や資材を運びあげていた。動力を使っていないとはいえ、標高約800mの山の上から、はるか下の下界まで、ロープウェイ(索道)が明治時代につくられていたのだ。
まるで古代遺跡のような貯鉱庫と索道場跡
昭和43年に索道場が閉鎖になり、索道は取り外されたが、索道基地や貯鉱庫は、当時のままの姿で残っている。しかし、上部から眺めると、建物は朽ち果てつつあるのがわかる。年月は、大規模な索道を支えた堅固な建物さえも無に還しつつある。
下にうっすらと見える広がりが新居浜市。その上には瀬戸内海が広がる。新居浜市内からここまでは、深い谷を車で走り、ダム湖を越え、さらに深い森を貫くつづら折の細い道を通り抜けてこなければならない。高く深い山の奥に、こんな大規模な遺跡がのこっている事が、マチュピチュと呼ばれる所以だろう。
ここからはるか下まで、ワイヤーを伝って鉱石が運び下ろされていた。本物のマチュピチュと違うのは、積極的に下界とつながりを持っていたことだろう。
索道場跡があるのは標高750mの「東平(とうなる)」地区。明治35年に「第3通洞」が開通して以来、昭和43年頃まで最盛期には3700人を超える人が住んでいた場所。山の上の斜面に段々畑のように建てられた社宅。閉山と同時に姿を消した多くの人々。そしてインカ遺跡を思わせる建物跡。確かに、「マチュピチュ」と形容するにはぴったりの場所だろう。
マチュピチュを見るには階段を降りて行く必要がある。駐車場から車で来た道を少しだけ戻ると、立派で長い階段が設けられている。この階段も実は産業遺跡で、「インクライン」跡。銅山が操業していた頃、物資の運搬のためのケーブルカーの一種がここに設けられていた。
220段の長い階段を降りるのは、また登り返すことを意味し、ちょっと憂鬱。しかし、50年ほど前まで、この場所を激しく物資が運搬されていたことを考えると、とても不思議な気になる。
立派な石積みが深い山の中に今も眠っている。まさに東洋のマチュピチュというのにふさわしい。深い山の中に突然姿を現す高度文明の跡には驚きを隠せない。事実、当時の最先端を行く技術を惜しみもなく投入された跡が、ここに残っている。
インクライン跡の中ほどまで降りると、マチュピチュの中段に出ることができる。
見上げる貯鉱庫跡。「東洋のマチュピチュ」と称される索道場跡は、貯鉱庫・選鉱場・索道基地からなる。坑道から掘り出した鉱石を選鉱場で選別し、貯鉱庫に貯蔵。そして、先ほど車で通り過ぎた「マイントピア別子」へと索道(運搬リフト)で下ろしていた。
これらの施設ができたのが明治38年。見た目はインカ遺跡そのものだが、今から100年も前に、こんな場所にこんな施設が出来ていたのだから驚きだ。
深い山の中に眠る貯鉱庫跡。何もない山の中に見えるが、当時はこの付近一帯に家と工場が広がり、多くの人々が生活していた。もうもうと鉱山の煙が立ち上がり、山肌には木々少なく、鉄道もここや、さらに山の上に走っていた。
信じられない話だが、朽ち果てていく遺跡が、その時間の経過と過去の真実を今にかろうじてつなぎ止めている。
朽ち果てていく遺跡に芽吹く命。別子銅山は「森になった町」とも称される。300年近い歴史を誇る別子銅山は、山の上部から採掘を始め、少しずつその拠点を山の下へと移していった。採掘を中止した坑道付近に設けた町は、そのたびに撤退することになったが、住友はその町を廃棄せず、植林をして森に還した。そのため、閉山後ほんの半世紀ほどで付近の山は木々に包まれ、豊かな自然へと戻った。今は深い森の中にひっそりと当時を思わせる産業遺跡や人々の生活の跡が人知れず眠っている。この東平にも多くの人々の暮らしが森の中に眠っていて、何もない林の中でかつて産声を上げたという人が、今という時代を生きている。
深い森の中に静かに佇む遺跡。以前はここは大勢の人が住み、鉱山開発を営んだ町が広がっていた。しかし、ちょっとだけ手助けすれば、あっという間にそこには自然が戻る。人と自然の新しい関係を感じることができる場所。そういった意味でもこの銅山跡には貴重な価値がある。
索道場から下界を望む。山の下には新居浜市街と瀬戸内海が広がっている。別子銅山は閉山したが、新居浜市には今も住友関係の大きな工場が軒を連ねる四国でも有数の工業都市に発展した。この山と、この産業遺跡は、眼下の人々の今の暮らしをもたらした確かな証。
積み上げられたレンガが崩れ、中の鉄筋が姿を現している。力強く大量の鉱石をたくわえ、運搬していた建物だが、時の経過には逆らえない。
紅葉に美しく彩られる貯鉱庫跡。何も知らずに見れば、いつの時代のもので、何のためにつくられたのか全く分からない。そんなミステリアスな雰囲気や、石見銀山の世界遺産登録で、この別子銅山も注目を集めているのかもしれない。
驚いたことに、とにかく観光目的で訪れる人がとても多くなっていた。数年前まで、ここにこの時期に訪れる人は、ほとんどが登山者。駐車場に5,6台車が停まっている程度だったのに、この日の駐車場は満車に近かった。多くの人が、この東洋のマチュピチュを観光している。地元のテレビ局であるEAT(愛媛朝日テレビ)のクルーが撮影に来ている程の人気ぶり。最近の人気もあってか、標識などがきれいにリニューアルされていた。
レンガ造りや石造りの遺跡のような景色
索道場の中段を散策したら、さらに下に降りる。ここにも立派な石積みの施設と、レンガ造りの建物の跡が残っている。
いったい何がどうなっていたのか、今では想像もできない建物跡。遺跡と呼ぶにふさわしい、謎に満ちた雰囲気が何とも言えない。
がっちりと組み上げられた石垣とレンガ壁。別子銅山閉山時、植林にあたり建物はすべて撤去されているが、これらの石垣とレンガ壁は壊すのに手間がかかったようだ。付近の山の中を歩くと、この石垣とレンガ壁の遺構を方々で見ることができる。
「遺跡」の内部を覗くと、このように何かを通したと思われる穴や搬送路も確認できる。以前はどのようにこの施設が使われていたのだろう。何のためにこの穴があいているのだろう。太古の歴史に思いを馳せるように「遺跡」の細部まで見て回るととても面白い。実際に、この施設は50年ほど前まで稼働していたので、当時の写真や当時を知る人もいっぱいいる。それなのにこれを「遺跡」として思えてしまうのが、何とも不思議だ。
別子銅山の施設は閉山後、放棄され、深い緑の中に飲み込まれていった。今でもこの周辺には、森の中にレンガ造りの遺跡が多く眠っている。この索道場跡は公園として整備されている。それでも、少しずつ、少しずつ、自然の中に飲み込まれ、眠りから目覚める様子はない。森の中で眠りについた、近代工業の栄華の跡。それはまるで、太古の昔から眠り続ける、謎の遺跡のようだった。
石積みの壁にレンガ造りの建物の一部。まるで広場に祭壇が設けられているようで、インカやマヤ文明を彷彿させる風景だ。
索道場跡は、危険箇所や段差には柵がされ、芝生が敷き詰められてきれいに整備されている。220段の階段を上り下りできる人なら、安全に普段着で散策できる。この付近にはや病院・娯楽場跡や再現された昔の社宅跡もある。また、10分弱歩けば「第3通洞」や「第3変電所跡」といった産業遺跡も見ることができる。時間があれば一緒に見学しておきたい。
東平の見学できるその他産業遺産
ここには「東平歴史資料館」がある。入館無料で、在りし日の東平の写真や別子銅山の概要を見る事ができる。東平に訪れたのならば、ぜひ見ておきたい。
東平の別子銅山産業遺産
別子銅山観光に便利なホテル
別子銅山・東平 (東洋のマチュピチュ)
場所:愛媛県 新居浜市
交通:新居浜市内から県道47号線を旧別子方面へ、「マイントピア別子」が目印
「清滝」を越えてすぐ、左手への細い道へ、「銅山の里自然の家」が目印
1車線で離合難の場所も多いが、交通量は少ない
新居浜から約50分で、「東平(とうなる)歴史資料館」へ到着する
資料館駐車場が貯鉱庫の真上にあたる
駐車場から下に下りる階段があり、そこで見学が可能
料金:無料
駐車場:約50台
付帯施設:東平歴史資料館・マイン工房・銅山の里自然の家・第3通洞跡
近隣の観光施設:マイントピア別子
【投稿時最終訪問 2014年5月】