おがさわら丸の見送り【小笠原諸島・父島】

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父島を代表する展望台「ウェザーステーション」でレンブラントの光差し込む小笠原の青い海を楽しんだら、町へと向かって自転車で駆け降りる。必死に自転車を押してきた道。帰りはとても快適だ。いや、快適というよりも怖い。急坂を下る自転車は断末魔のようなブレーキ音をジャングルの中に響かせる。しかし、その甲高いブレーキ音を切り裂いて響く太く低い音が島中に響き渡った。それは何かすぐにわかった。「おがさわら丸」の汽笛だ。東京から僕たちを父島に連れてきてくれて、昨日の宿になったおがさわら丸。そのおがさわら丸が今日、東京に向けて出発するのだ。
小笠原では本土に向けて出港するおがさわら丸を島をあげて盛大に見送る。その風景を見ようと、父島の港を見下ろせるポイントへと急いだ。

父島名物、壮大なおがさわら丸の見送り

おがさわら丸出航

父島の町を見下ろせる展望に到着した。間に合った。おがさわら丸はちょうどいま、フェリーターミナルを離れたところだ。

おがさわら丸出航

ゆっくりと青い海へと進んでいくおがさわら丸。港からは太鼓をドンドコドンドコ叩く音が聞こえる。小笠原の多くの住民が壮大に出港するおがさわら丸を見送っている。船上からも旅人たちが手を振り、小笠原との別れを惜しんでいるのがここからでもはっきりとわかる。多くの島の人たちが見送りに来てくれるのだ。これは、おがさわら丸が本渡を結ぶほぼ唯一の船であり、島民の大切なパイプであるからだろう。そして何より、この船が運ぶ観光客は、観光産業が大きな収入源である島にとって大切な存在なのだろう。

おがさわら丸出航

また島に来てほしい。そう旅人たちに望む熱い気持ちは、感動の姿になって伝わる。巨大なおがさわら丸の周りを取り囲むのは港湾関係のタグボートや警備船ではない。これはすべて、ツアー会社が所有する船だ。
おがさわらに訪れる旅人の多くはダイビングやホエールウォッチングでツアー会社の船にお世話になる。そして、ツアーに参加した人を、ツアー会社は船を出して、港の外まで並走して見送るのだ。そのため、小笠原のツアーの予定表を見ると、おがさわら丸の出港日の午後(出港時刻)にはツアーは開催されない。この見送りにツアー会社が船を使うからなのだろう。

おがさわら丸出航

ツアー会社の船の上ではスタッフや居残りの常連さんなどが大きく手をふりながらおがさわら丸を追いかけていく。船の上では陽気な若者ががさまざまなパフォーマンスを楽しませてくれている。
こうして、険しい山に囲まれて青い水をたたえる天然の良港の二見港からおがさわら丸はゆっくりと姿を消した。これが小笠原旅行の醍醐味のひとつ。島を出る時は本当に感動で、また来たくなるらしい。
数日後、東京から戻ってきたこの船の姿を見るときは、今度は僕があの船に乗る番。その時はどんなドラマが待っているのだろう。まだ帰りたくはないが、その時が楽しみにすら思える、南の島の感動のシーンだった。

小笠原最後の感動イベント、島の見送り

おがさわら丸乗船

さて、その数日後、今度は僕たちが本土に戻る日となった。ついに父島から東京へ戻る船である「おがさわら丸」の乗船が開始された。早く整理券を交換しただけあって、復路も窓がある二等客室に入ることができた。しかし、日程の都合などもあり、復路は往路に比べてとても混んでいる。自分の寝床を確保したら、急いでデッキへと上がる。
これから「島」ならではの旅人の見送りが始まる。そのセレモニーを見るために、続々と旅人がデッキに集まってくる。荷物も積み込み、乗客の乗船も完了した。出港の時間は、もうすぐだ。

おがさわら丸見送り

港では、太鼓の演奏が始まる。法被を着た地元の青年が力強く太鼓を打ち鳴らし、旅立つ人を見送ってくれる。そして旅立つ人に手を振る残る人々。
その中に、シーカヤックのツアーでお世話になった「ブルースカイビックホース」のスタッフの姿を見つけた。スタッフもこちらの方を見て手を振ってくれる。僕たちも大きく手を振ってこたえる。

おがさわら丸見送り

ゆっくりと港からクルーザーなどの船がおがさわら丸に寄ってくる。そして近くでおがさわら丸の出港を待機。静かだった小笠原の風景がにわかにざわめき始めたようだ。

おがさわら丸見送り

船は低く唸るようなエンジンの音を響かせる。少し油臭い煙が船のファンネルから吐き出される。眠りから覚めたかの様に、おがさわら丸はゆっくりと岩壁から離れていく。
地元の観光業に携わる人が世話をした旅人をいっぱいに手をふって見送る。まだ小笠原に残る旅人が、知り合った旅人を精一杯のパフォーマンスで見送る。人情味あふれ、とても温かな風景。これは「離島」独特の「船の見送り」の風景だ。
僕がこの「離島」の風景に初めて会ったのは北海道の「利尻島」と「礼文島」。ここでも同じようにフェリーで島を離れる旅人を、地元の人や同じ旅人が見送ってくれる。ユースホステルに宿泊する若者が派手にギターを弾き、歌い、時には海に飛び込む。あの見送りは、旅人にとってはとてもうれしいもの。それから僕は、離島を旅することが大好きになった。
この小笠原にもそんな島の風景が確かにあった。しかし、太平洋の絶海に浮かび、週に1回か2回しかない見送り。小笠原の「島の見送り」のスケールは実は半端ではない。これで終わりではない。

父島二見港

少しずつ離れていく父島の中心地である「大村地区」。とても穏やかな場所だが、ここは店や旅館が集まる小笠原の中心地だ。船の動きに合わせて、ゆっくりと港に停泊していた船が動き始める。

おがさわら丸見送り

おがさわら丸を追うように、何隻も船が後に続く。どの船の上にも、人が多く乗っている。
そう、ここ小笠原の「見送り」は陸上だけでは終わらない。船で伴走しながら、海の上からの見送りが続く。

おがさわら丸見送り

おがさわら丸の船の左右をいっぱいの船が取り囲みながら青い海に進んでいく。その数は10隻近い。
船はこの父島でダイビングやドルフィンスイムのツアーを営むツアー会社の船。そして、その船に乗っているのは、ツアー会社に参加している人たち。父島でツアーに参加しようとすると、「おがさわら丸出港」の時間帯のツアーは休止になっている事がほとんどだ。休止の理由はまさにこれ。島を去る旅人を見送るために、多くのツアー会社が船を出すからだ。まさに、島をあげて旅人を見送ってくれている。

離れ行く父島の景色と思い起こされる旅の記憶

父島大神山神社

山の上に立つのは「大神山神社」。あの神社へ初詣で参拝したのは小笠原に到着した次の日。その右上に立つのは、旧日本軍の要塞跡に建てられた展望台。展望台から見下ろす小笠原の海と町並みはとても美しかった。

父島堺浦

少し南に目をやると、先ほどサイクリングで訪れた「境浦」が遠望できる。左側の美しいビーチで最後の小笠原の時間を過ごしていた。右側、海の中に見える赤錆びた物体が、戦争時に魚雷で座礁した「福江丸」の残骸だ。

おがさわら丸見送り

おがさわら丸はゆっくり二見湾の外へと進んでいく。そのおがさわら丸の右側に飛び跳ねるようにクルーザーが1隻踊り出す。あれは僕たちを母島と南島まで連れて行ってくれた「PAPAYA」のクルーザーだ。

おがさわら丸見送り

港湾の外に出たおがさわら丸はゆっくりとスピードを上げていく。伴走するポートやクルーザーもスピードを上げ、ぴったりとおがさわら丸の脇を固める。船の上では海に慣れたスタッフや旅人が見事なパフォーマンス。飛び跳ねる船の上で、しっかり両足だけで踏ん張って、ずっと両手を振り続ける見事なバランス感覚を披露してくれる人もいる。

父島ウェザーステーション

海の上にそびえる父島の断崖絶壁。その上に見える屋根のある小さな建物がウェザーステーション。あそこまで自転車でヒィヒィ言いながら登ったのがずいぶん前のように思える。残念ながら訪れた日の天気はイマイチだったが、今日なら素晴らしい風景を望めるだろう。
写真では見づらいが展望台の右下に、岩肌にぽっかり空いた穴がいくつかある。おそらく旧日本軍のトーチカだ。ここから父島に近づく米軍の艦船を狙っていたのだろうが、あんな絶壁によく作ったものだと感心すら覚える。尾根の裏側は旧日本軍の要塞がつくられており、地下壕などの遺構がたくさん残っていた。おそらくあのトーチカは、山肌を尾根の裏側から掘り抜いてトンネルのようにつくられたものだろう。

スタッフやリピーターの大パフォーマンス

おがさわら丸見送り

いきなりおがさわら丸の近くで水しぶきが上がる。何かと思うと、伴走する一隻の船から乗っていた人が一斉に海に飛び込んだ。飛び込んだ乗っていた船は停船。海の中からみんな手を振って、離れていくおがさわら丸を見送ってくれている。伴走を終了した船は、最後にこのような最高のパフォーマンスを披露してくれる。

おがさわら丸見送り

いっぱいの船団に護送されるように大海原に繰り出していくおがさわら丸。これだけ多くの船が集団を形成して走る場面はめったに見られない。しかも全部の船が僕たちを見送ってくれているのだ。大自然の青い海で繰り広げられる、感動のシーン。

おがさわら丸見送り

PAPAYAの船が近づいてきた。白い船体が反射する光を、青い海が受け止めてキラキラと輝く。昨日はあの船に乗ってイルカとクジラに出会った。そして、ずっと行きたかった「南島」に上陸し、「母島」までのクルージングを楽しんだ。とても大きなクルーザーだと思っていたが、大海原で見るとずいぶんと小さく見える。

おがさわら丸見送り

続々と船は伴走を停止していく。そして乗っている人は青い海に飛び込む。船上から、海上から離れていく旅人を見送り、手を振ってくれる。そのたび、おがさわら丸の乗客から歓声と拍手が上がる。

おがさわら丸見送り

伴走してくれる船もごくわずかになってきた。もうすでにおがさわら丸は外海に出た。巨大な船体はスピードを上げ、波も高くなってくる。おがさわら丸を追うようになった船は白く激しい波しぶきを高々に上げる。

おがさわら丸見送り

一度飛び込んで見送りを終了したかに見えた「FISE EYE」のボートが再び猛スピードで追ってきた。これには乗客も拍手で迎えた。

兄島瀬戸

おがさわら丸はついに父島の北端を通過した。右側の島が「父島」、左側の島が「兄島」。その間の海が「兄島瀬戸」だ。ここは小笠原到着した次の日に自転車で訪れた「宮之浜」がある海域。あの日は波が高くて天気も悪く泳げなかったが、今日はとても美しい海がここには広がっていそうだ。

小笠原クルージング

最後までおがさわら丸に伴走してくれたのは「PAPAYA」だった。ゆっくりとスピードを落とし、エンジンを停止した。そして、見えなくなるまで手を振ってくれた。自分がお世話になったツアー会社がここまで見送ってくれたのはとてもうれしい。「PAPAYA」はリピーターがとても多いツアー会社と聞くが、その理由の一つがこれかもしれない。どんどんPAPAYAの船が小さくなっていく。

感動の見送りの後の静かな小笠原諸島の眺め

小笠原父島

最後の一隻だったPAPAYAの船もゆっくり方向転換して、父島へと引き返し始めた。ここからは「おがさわら丸」一隻の航海。東京まで1000km。太平洋を渡る厳しく長い航海が今から始まる。それはとてもドラマチックのようでもあるが、楽しかった旅の終焉でもある。思い出がいっぱい詰まった絶海の楽園が、水平線の向こうへと沈むまで僕たちはその美しい姿を見送り続けた。

聟島

「父島」を盛大な見送りを受けて約1時間。その余韻が冷めないうちに、ついに小笠原諸島最北の島、すなわち最後の島である「聟島」(ケータ島)の横をおがさわら丸はさしかかった。
「聟島」(ケータ島)は戦前は人が入植していたそうだが、今は無人島。人が連れてきたヤギが野生化し、島の緑を食べつくし、深刻な植生被害が生じている。その為、ヤギの駆逐が進められてたそうだ。今ではカツオドリなどの野鳥の宝庫になっているそうだが、美しい島影に悲しい歴史を感じる。この島には、父島からのツアーが出ており、上陸することもできるそうだ。

媒島

「媒島」
聟島の南側に位置する。断崖絶壁の岩の要塞。この島も火山島である小笠原諸島共通の荒々しい姿をしている。
しかし、これが最後。ここから先は小笠原の海域を離れ、伊豆諸島の海域へと向かう。離れていく最後の小笠原、名残惜しくてたまらない。

太平洋のど真ん中で最後のサンセット

おがさわら丸カフェ

さて、おがさわら丸の最上階Aデッキには「スナックコーナー」がある。ジュースや軽食が楽しめるが、船内のレストランに比べ、小さく席数も極端に少ないのでいつも満員。しかし「おが丸パック」で申し込むと、割引券がついているので時々様子を見に来ていた。夕方の海と空が美しい時間帯にちょうど空きができた。
オーダーしたのはアイスコーヒーとホットケーキ。大海原の上、多少は揺れるが、時化ていた往路と比べたら全くたいしたことのない揺れ。美しい夕暮れ時の海を眺めながら、大海原でのティータイム。とても贅沢な時間。
ずっとここでゆっくりしたいところだったが、夕暮れはやはりデッキから見たい。食べ終わって少ししたら、デッキへと出ることにした。

おがさわら丸サンセット

夕暮れ時のデッキに立つ。随分と海を渡る風が冷たくなってきた。夜が近づいたせいもあるが、南国からどんどん北上している。向かう東京は、まだ雪が舞う冬の国だ。
海でシュノーケルを楽しんだ小笠原から、スキーシーズンを迎える本土へ。長い船旅は、季節をめぐる旅でもある。

おがさわら丸夕日

見渡す限り何もない。360度水平線に囲まれた絶海の上で迎える日没。地球の丸さと、太陽の暖かさを感じる、壮大なシアター。

おがさわら丸日没

小笠原滞在時、グリーンフラッシュを見ることができなかった。今日も昨日と同じように船上から水平線に沈む太陽を眺められる。天気も良く、空気もとても澄んでいる。条件的には申し分ない。

おがさわら丸サンセット

しかし、無情にも、水平線に雲が広がってしまった。この日の太陽は、水平線でなく、雲の向こうに沈んでしまった。これではグリーンフラッシュだけでなく、だるま夕日すら見ることもできない。残念ながら、またはっきりとグリーンフラッシュを見ることはできなかった。

太平洋の日没

それでも美しいマジックアワーが始まった。海と空と雲しかないどこまでも広がる空間。長い旅をする風の音と、絶海を渡る乗っている船のたくましいエンジンの音だけが、その空間に響いている。船が波を崩す音が、心地よいリズムを奏でる。まるでここは、地球を感じられる巨大なシアター。
大自然の中、僕たちは人間の英知が作り出した鉄の塊にしがみついてないと生きてすらいけないちっぽけな存在。旅の終わり、言葉にできない感動が、太平洋の夕暮れの中の中で広がっていた。明日、この太陽が再び昇る頃、空を渡る風と、海の色は冬色になっているだろう。

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