小笠原ビジターセンター【父島観光情報】

絶海の孤島、小笠原・父島。ネットが発達した今日では様々の情報を事前に調べられるが、やはり現地でリアルタイムで手に入れられる情報は貴重。そんな小笠原の情報が気軽に手に入れらるのが、フェリー乗り場から歩いて行ける「小笠原ビジターセンター」が便利。父島に入ってから、パンフレットなどの情報が手に入れられそうなところは、旅客ターミナルの観光案内所、通りの一番奥にある商工会館(B-しっぷ)、そしてこの「小笠原ビジターセンター」だ。ビジターセンターでは、観光情報だけでなく、小笠原の歴史と自然を知ることができる。

まず立ち寄りたい小笠原ビジターセンター

小笠原ビジターセンター

小笠原ビジターセンターは、大村海岸に面した芝生公園の一角にある。おがさわら丸乗船場から歩いておおよそ10分の場所にあり、入館料は無料。誰でも気軽に入れる。また、おがさわら丸入港日などは、無料の周辺の案内ツアーも催行している時がある。入口から建物の中に走ると、ロビーには小笠原の伝統的なカヌーが展示している。その他にも、小笠原の入植初期の家の再現や、小笠原諸島の生い立ち、貴重な自然や動植物を解説したパネル、ビデオ紹介など。小笠原を知るいろいろな展示があり、とても興味深い。図書室もあり、小笠原に関する本や文献が備え付けられていて、閲覧することもできる。
特にこれら展示の中でも目を引いたものは、自然環境保全と、小笠原の歴史。小笠原諸島は今まで一度も大陸と陸続きになったことのない海洋島。火山活動でできたこの島には、風や流木に乗って渡って来た動植物たちのが独自に進化した特異な生態系を持つ。しかし、最近の人間の渡航による外来種の流入、家畜の野性化は、競争に弱い小笠原の生態系を破壊しつつある。そのために外来種の駆除や、固有種の保護が島を上げて取り組まれている様子が紹介されている。
また、小笠原諸島は太平洋戦争時代に米軍との戦闘があり、1967年まではアメリカに占領されていた場所。その特異な歴史の紹介もされており、アメリカ占領時代の小笠原の写真も多く飾られている。期間限定だと思うが、ちょうど「硫黄島」のビデオが流されていた。映画「硫黄島からの手紙」に出てきた、日本軍が全滅するまで戦ったあの硫黄島は、この小笠原諸島の南部に属する。映画に使われた悲しげなピアノの音楽が流れ、硫黄島の紹介が流れる。
硫黄島は、現在は自衛隊の施設があるが、一般人は行くことができない。しかし、戦前は多くの1000人前後の人が住んでおり、戦火が激しくなるにつれ、本土に強制疎開させられた。小笠原諸島返還後も硫黄島への帰還は許可されず、今も多くの元硫黄島島民がこの父島で暮らしているそうだ。元硫黄島島民や硫黄島戦没者遺族のみ慰霊訪問での上陸が許可されている。島には多くのトーチカや砲台、地下壕が残り、慰霊碑も多く立てられている。あの映画で見た戦場が、そのまま残っている。そして、硫黄島に残っている戦跡は、この父島にもいたる所に残っている。そう、今僕がいるこの父島は戦場だったのだ。今でも魚雷に攻撃され漂流した軍事貨物船が父島の海の浅瀬に打ち上げられている。そして今も錆びついた機関銃や砲台が、いるはずもない的に向けられてジャングルの中で眠っている。驚いたことに、アメリカの41代大統領、ジョージ・ブッシュもこの父島で、乗っていた戦闘機を地上からの砲撃で撃墜されている。

ビジターセンターの裏の大村海岸はエメラルドグリーンの海

大村海岸

思わずその特異な自然と歴史に釘づけになり、長居をしてしまった。南国の日差しも大分傾いてきた。ビジターセンターの裏庭からも、大村海岸のエメラルドグリーンの海が眺められる。若い旅人がここに座り、美しいビーチをいつまでも楽しんでいた。
美しい稀有な小笠原の自然は、悲しく悲惨な戦争の跡を優しく包み隠していた。

小笠原・父島の宿泊情報

■ 父島の街の中心で便利なリゾートステイ

■ 小笠原を代表するリゾートホテル

小笠原ビジターセンター

場所:東京都小笠原村父島西町
電話:04998-2-3001
時間:8:30~17:00(12:00~13:30は休憩)
    8:30~21:00(繁忙期、休憩12:00~13:30)
休館日:土・日(おがさわら丸の入港日と繁忙期はオープン)
利用金:無料
交通:二見港(フェリーターミナル)より徒歩10分

【投稿時最終訪問 2008年1月】

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