本能寺跡【京都・本能寺の変】

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歴史上の大事件の舞台として名を残し、誰もが知る寺院の名前である「本能寺」。織田信長が家臣の明智光秀に討たれた場所です。現在も京都には本能寺があり、法華宗本門流の大本山として大きなお寺となっています。本能寺は京都市役所の前、修学旅行での宿泊先として有名なホテル本能寺の背後にありますが、織田信長が討たれた本能寺は違う場所にありました。本能寺の変の後、豊臣秀吉の命によって今の場所に移転しました。

油小路通にある本能寺跡石碑

本能寺跡

織田信長が討たれたかつての本能寺跡は現在の本能寺より約1kmほど離れた場所にありました。令和の今となっては当時の大事件の痕跡は何も残っていません。現在は堀川高校の本能寺校舎と老人福祉施設がその跡地にあります。

かつては本能寺小学校がありましたが、廃校後に現施設を建築する際、当時の遺構や屋根瓦が発掘されたそうです。

本能寺跡石碑

堀川高校の校門横の油小路通に本能寺跡を示す石碑が立っています。ここが歴史的な大事件が起きた場所だったことを示す唯一のものです。

石碑には本能寺の創建から移築までの変遷について記されています。本能寺の変については織田信長とともに消失したと一文のみ。その後に本能寺の変で焼失した本能寺を再建した上棟式の日に豊臣秀吉より現在の本能寺の場所に移築するように命令されたというなんとも悲しくなるようなエピソードが記されています。

蛸薬師通にも残る古い石碑

本能寺跡

石碑を通りすぎた角を右折し、本能寺跡をに沿って蛸薬師通を歩くと、老人福祉施設の北東側の角にももうひとつ、本能寺跡の石碑があります。

本能寺跡石碑

「此付近 本能寺址」と記された、年代を感じる石碑。こちらの石碑の方が昔から建っていたようです。

付近はマンションや住宅が建ち並び、敷地跡にはモダンな校舎や立派な施設となった京都でも近代的な住宅地の中にある本能寺跡には、歴史の転換点となった本能寺の変を思わせるものは何も残っていません。わずかに当時のことを今に伝える石碑を頼りに、日本史上、最も衝撃的な出来事のひとつである本能寺の変に思いわ馳せてみるのも京都ならではの歴史探訪です。

本能寺跡

場所:京都府京都市中京区元本能寺南町
電話:075-231-5335
営業時間:24時間
休業日:なし
入園料:無料
交通:阪急電車・大宮駅より徒歩10分
駐車場:なし
     
【投稿時最終訪問2021年8月】

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