板東俘虜収容所跡【第九日本初演の地】

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「板東俘虜収容所」は徳島県鳴門市にある第一次世界大戦で使用された捕虜収容所。ドイツ軍の将兵約1000人を3年弱収容しました。捕虜に対して非常に人道的な対応だったことでも世界的に有名です。付近の住民とも親交を深め、捕虜たちにより日本で初めてベートーベンの交響曲、第九が演奏された場所として知られています。現在、収容所跡にはいくつかの遺構が残っており、「ドイツ村公園」として開放されています。

静かな公園に残る板東俘虜収容所の跡

板東俘虜収容所跡

「板東俘虜収容所跡」の入口。見た目は市営住宅に隣接する広い公園のようですが、その入口には「第九」日本初演の地と書かれたレトロな門柱が立っている歴史ロマンが詰まった場所なのです。現在はドイツ村公園として開放されており、きれいに整備されています。

ちなみに四国を代表するロマンのひとつ、お遍路さんが出立する「霊山寺」の近くにあります。ドイツ兵捕虜たちもよく訪れていた場所で、ぜひ参拝と一緒に訪問したい場所です。

板東俘虜収容所跡

敷地内で目を引くのが石組の小さな橋。ドイツ人捕虜が収容時にその知識を活かして近くの大麻比古神社の境内に石組の小さな橋を建造し、今もドイツ橋と呼ばれ親しまれています。そのドイツ橋と同じ構造の石橋が残っています。

板東俘虜収容所跡石橋

当時の遺構にしてはあまり機能していない石橋。公園整備時に付近で建造したドイツ橋を模して建造された可能性もあります。しかしながら、ドイツ人捕虜の知識の結晶が収容所跡に残っていることで、なんとなく当時の様子を伺いしれそうな気がします。

ドイツ村公園

収容所の正門から広い通りがありました。今も地面にレンガの遺構があり、道の跡が確認できます。収容所の建物は収容所が閉鎖された後も第二次世界大戦後まで残っており、戦後の引き揚げ者用住宅として転用されました。ここで暮らしていた有名人として元タレントの板東英二氏がいます。

板東俘虜収容所跡遺構

一直線に敷き詰められたレンガ。貴重な大正時代の遺構が今も残っており、普通に公園として使われています。収容所職員や付近の住人と良好な関係を築いた捕虜たちは、1918年に日本で初めてベートベンの第九を合唱しました。そのエピソードは「バルトの楽園」として2006年に映画化もされています。

板東俘虜収容所跡バラック跡

まさに大通りといえる一直線に伸びる広い通りの跡。その両側には幅7.5m、長さ73mもあるバラッケと呼ばれる建物が4棟ずつ、合計8棟が並んでいました。それらのレンガの基礎をが一部残っており、かつての様子をレトロな雰囲気でわずかに伝えてくれています。

板東俘虜収容所跡の公園

木々が木陰を落とす静かな公園。今は団地の公園のようになっており、一番札所・霊山寺の近くという事もありお遍路さんが見学や休憩で訪れる場所です。しかしかつては戦争捕虜の収容や、戦後の引き揚げ者が暮らした戦争の痕跡を残した場所でした。

板東俘虜収容所跡東屋

収容所跡には屋根とベンチがあり、ゆっくりと休憩できる広い東屋があります。おそらくここに建っていた収容施設のバラッケを模して造られたのでしょう。四国八十八箇所霊場の第1番札所である霊山寺すぐの場所で立ち寄るお遍路さんも多いようです。ただし、このベンチでのお遍路さんの寝泊まりは禁止されています。

森の中に眠る捕虜たちの暮らしの跡

板東俘虜収容所跡第二給水施設跡

公園の北側の森の中に、木々の中に紛れるようにして残る遺構が第2給水施設跡。現在残るものは、戦後に建てられた引揚者住宅に利用したもので当時のものではありません。それでもひっそりと残る80年近く前のレトロなライフラインが見られるのはとても貴重です。

板東俘虜収容所跡パン屋跡

収容所内には捕虜のドイツ人が食べるためにパンを製造した建物のがあり、パンを焼いた窯の基礎が今も残っています。パン屋の職についていたり、従軍中にパンを焼いていた捕虜たちが収容所でも本格的なパンを焼いていたそうです。おそらく勤務していた日本人や近隣の方も彼らのつくった本場のパンを口にしたことでしょう。パン窯の建設もドイツ人捕虜たちの手によって行われていました。日本政府もドイツ兵から技術の指導をうけるよう収容所に指示していたこともあり、所内にはドイツ人自身が建築したいくつもの建物や施設がありました。また、彼らが制作したものは近隣住人に販売され、捕虜は監視なく収容所外に外出できるほど収容所と近隣住人との間に良好な関係を築いていました。

板東俘虜収容所跡第一給水跡

第1給水施設の遺構。公園内にあった8棟の兵舎の厨房・浴室への給水施設として使われたていたそうです。

板東俘虜収容所跡第一給水跡

川から引いた水を貯め、地中に埋めた水道管で水をここから送っていたそうです。川や井戸から水汲みせずに水が得られたのは、日々の生活のために重労働を捕虜たちに課せられなかったことです。

板東俘虜収容所酒保附属便所の遺構

酒保附属便所の遺構。酒保と呼ばれる軍事施設内にある日用品、飲食物などの売店にあったトイレ跡です。ここではドイツ人捕虜あてに日本製のビールなども販売されていたそうです。労働で得た賃金でお酒などの嗜好品が買える自由がありました。当時の写真を見ると、売店というよりも立ち飲みのバーのような店内で、陽気な顔をしたドイツ兵がビールやタバコを片手にここで談笑していました。

地元の人に大切にされている慰霊碑

板東俘虜収容所ドイツ兵慰霊碑

公園から少し山側に進むと、ドイツ兵の慰霊碑があります。板東収容所をはじめとする四国の収容所でなくなった11名の捕虜の慰霊のために捕虜自身の手によって建立されたそうです。現在も地元の人の手によって管理されています。

板東俘虜収容所ドイツ兵合同慰霊碑

慰霊碑の横には合同慰霊碑があります。板東俘虜収容所以外の全国の収容所で亡くなった87名のドイツ人捕虜を慰霊するために、昭和51年に建立されました。

■板東俘虜収容所・霊山寺すぐの料理旅館

板東俘虜収容所へのアクセスと付近の情報

板東俘虜収容所上池

慰霊碑の前には池があります。人工のため池ですが、開放的で気持ちの良い景色です。かつての板東俘虜収容所の地図にも上池という名前でその存在を確認できます。

板東俘虜収容所と鳴門西パーキングエリア

この池の上には、高松自動車道の鳴門西パーキングエリア(下り)があります。階段を登れば徒歩でパーキングエリアに出ることができます。淡路島から鳴門海峡を越えて高松に向かう途中、興味があればパーキングエリアに車を停めたまま、徒歩で板東俘虜収容所を見学することができます。

板東俘虜収容所公園

ため池の下には広場があります。かつてはここにも板東俘虜収容所の建物がありました。

板東俘虜収容所ベンチ広場

広場にはベンチが置かれています。今は木々が生い茂っていますが広場の前は下池と呼ばれる池がもうひとつありました。園内にある案内板を見ると、下池のほとりにはビリヤード場と書かれている建物もあります。収容所に娯楽施設があったのは驚きで、かつてのドイツ人捕虜たちもこの付近でゆっくりとしていたのかと思われます。

板東俘虜収容所駐車場

公園の中心部には駐車場があり、車で訪れるのにも便利です。隣接する市営団地の駐車場かと思いましたが、公園利用者専用駐車場と看板があり、もちろん無料で利用できます。

また、近くの道の駅「第九の里」には、かつての収容所の建物が移設されて売店として使われています。歩いても10分ほどの距離なので、この後にぜひ立ち寄りたいスポットです。

板東俘虜収容所(ドイツ村公園)

場所: 徳島県鳴門市大麻町桧丸山
営業時間: 24時間
休業日: 無休
入園料: 無料
交通: JR高徳線・坂東駅より徒歩20分
   高松自動車道・板野ICより約5分
駐車場: 10台 (無料)

【投稿時最終訪問 2020年5月】

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