徳島藩主蜂須賀家墓所【万年山墓所】
「徳島藩主蜂須賀家墓所」は、別名「万年山墓所」と呼ばれる徳島藩主、蜂須賀氏とその一族の墓所。徳島のシンボル・眉山の山麓に広がる広大な墓所で、山の中に6代の藩主や正室・側室をはじめとする60基を超える墓が点在しています。儒教の様式を取り入れられた墓所は古代文明の遺跡のようにも見える神秘的な場所です。また墓所の最上部にある造営者の10代蜂須賀重喜の墓から望む徳島市内は、遠い場所に来たかのように思える絶景が広がります。
眉山の山麓に広がる広大な徳島藩の墓所
眉山北側の山麓に万年山墓所はあります。住宅街の奥に入口があり、簡易トイレや案内看板が設けられています。駐車場はありませんが、参拝者は路肩に3台ほど縦列駐車が可能となっています。
墓所は山道と階段で山を登りながら巡るようになっています。道は広く歩きやすいので、ハイヒールや厚底靴でなければ気軽に参拝できます。
坂道の途中、所々に平らにされた場所があり、そこが墓所となっています。藩主以外にも側室や子息などの一族の墓もあります。
石が組まれた階段で森の中を登ります。
案内板があるも、蜂須賀家墓所はまるで迷路のように道が分岐しています。立派な石垣が組まれ、山城の跡のように見える場所も多くあります。代々の藩主の墓への道標も多く散策しやすくなっています。
八代藩主・蜂須賀重隆の墓。日本の墓とは明らかに違う様式ら儒教式の墓所です。
十三代藩主・蜂須賀斉裕の墓。
十三代藩主・蜂須賀斉裕側室、三宅巻の墓。藩主の墓のそばに一回り小さいながらもとても立派な規模の墓所が祀られています。
まるで城壁のように組まれた立派な石垣。その上に代々藩主の墓が鎮座しています。とても厳かな雰囲気が感じられます。
藩主の墓だけでなく、近くに控えるように立てられた側室たちの墓があります。藩主ほどの大きさはありませんが、それでも側室の墓としては驚くほども立派です。
ひとつ、またひとつ、藩主の墓をお参りすると、さらに奥に続く道が現れます。誘われるかのように、墓所の最も高い場所へと進んで行きます。
異国情緒や遺跡の雰囲気が漂う蜂須賀重喜の墓
墓所の最上部に近づくと鬱蒼とした森は開け、まるで古代文明の遺跡を思わせる雰囲気が感じられるようになります。
十代藩主・蜂須賀重喜の墓。墓所の最も奥、最も高い場所にある最も立派な墓の主はこの徳島藩主蜂須賀家墓所を造った藩主の墓です。重喜は財政難に苦しむ阿波藩の立て直しのため、様々な政策を強力なリーダーシップで推し進めたそうです。しかしあまりにも急変だったため家老陣と対立して改革は頓挫し、幕府に隠居を申し付けられたそうです。
他の藩主の墓と違い明らかに規模と格が違う蜂須賀重喜の墓。この墓所を造った当人ではあるが、自分だけ一等地に巨大な墓を造ったあたり、ワンマンだったんだろうなという私見を何となく抱いてしまいます。
日本の墓所と違い、石に囲まれた霊廟を思わせる儒学式の墓所です。さすがに財政立て直しの最中に本物の霊廟を造ることは控えたようですが、小さいながらも門とそれを取り囲む門の代わりに石造の柵が設けられています。
囲いの中には蜂須賀重喜の墓石が安置されています。
十代藩主・横須賀重喜の墓の前には側室たちの墓もあります。こちらも他の代の藩主を越える立派な造りで別格の規模となっています。
側室たちの墓からは城下町であった徳島市内を一望することができます。
木々の間からは望む徳島市街地と吉野川は絶景。吉野川の手前には、藩主の居城であった徳島城が鎮座しており、墓所からその姿を望むことができます。
まるで高い山の上にある遺跡のような徳島藩主蜂須賀家墓所。山の上に広がる遺跡のような墓所群は何となく、マチュピチュのような神秘的な雰囲気を思わせてくれます。
八代藩主・横須賀宗鎮の墓
古くも広い石段がつなぐ墓所はまるで古代遺跡のような雰囲気です。
徳島藩主蜂須賀家墓所の一角には、藩主の親戚や子供たちを弔ったエリア。
徳島藩主蜂須賀家墓所のすぐ近くには、徳島市上下水道局・佐古配水場があります。大正15年に造られたレンガ造りの建物で寺社の多い眉山北側では異様な存在です。敷地内には入れませんが、外観は通りがかりに見ることができます。
徳島藩主蜂須賀家墓所(万年山墓所)
場所: 徳島県徳島市南佐古四番町5
営業時間: 見学自由
休業日: 無休
アクセス: 徳島自動車道・徳島ICより約30分
JR高徳線佐古駅より徒歩35分
駐車場: あり(3台・無料)
入場料: 無料
【投稿時最終訪問 2020年5月】