足尾銅山観光【トロッコに乗って坑道探検】
栃木県の日光市にある「足尾銅山」は愛媛県で住友グループの礎である「別子銅山」、茨城県で日立製作所の元となった「日立鉱山」と並ぶ日本三大銅山のひとつで、富士通などの企業を中心とする古河グループの発展の礎です。かつては日本の銅の40%を産出する大鉱山として栄えましたが、田中正造が明治天皇に直訴をしようとしたことで大きな問題となった足尾鉱毒事件は日本初の公害事件として歴史の教科書にも載っており、マイナスのイメージがどうしても強い場所です。昭和48年、銅の枯渇のために足尾銅山は閉山しますが、その跡地に銅山の歴史を伝える施設として昭和55年にオープンしたのが「足尾銅山観光」です。楽しく鉱山開発の様子を楽しく学べる施設です。
当時の作業員と同じくトロッコ列車に乗って入坑
江戸時代から昭和48年まで400年に渡り銅を産出した足尾銅山の中心部に「足尾銅山観光」があります。付近は鉱山町として大いに栄えていましたが、現在は廃墟や社宅が取り壊された跡などが残る静かな山の中の町になっています。実際に使われてた坑道には採掘の様子が再現されており、そのほかにも資料館や展示スペースが充実しており、江戸時代の寛永通宝の鋳造から始まり、長きにわたって日本の経済発展を支えた足尾銅山の歴史や仕組みを知ることが出来ます。
入場券を購入して早速坑道に入るのかと思いきや、そこはまるで駅舎。作業をする坑夫を地下に運んだトロッコ列車に乗って、観光客も坑道へ入るようになっています。トロッコに乗る前には在りし日の足尾銅山の展示がありますので、トロッコの出発まで時間があれば見学してから乗りましょう。トロッコに乗るとまるで遊園地のように敷地内をゆっくりと5分ほど走ります。ちょっとしたアトラクションで周囲の渡良瀬川が山々が織りなす自然や鉱山施設を見ながら先に進みます。
やがてトロッコはぽっかりと口を開けた坑道の中に入っていきます。かつては多くの坑夫が同じようにトロッコにのって坑道作業に向かったことでしょう。往時のことを偲びながらも、地下世界の大冒険が始まるアトラクションのように少しワクワクしながら暗闇の中に入っていきます。
坑道に入りしばらく進むと、トロッコの下り場に着きます。坑道内のトロッコでの走行はあっという間で少し残念です。ホームのようになっている場所に下りたなら、ここから歩いて坑道内の見学です。
見学に行く前に見ていただきたいのはトロッコの軌道の続く先です。まだまだ行動は鉱山奥深くまで続いていますが、残念ながらが堅く鉄格子で閉ざされています。この先には総延長1200kmを超える坑道が地下世界に張り巡らされています。ライトをあてて、その先の様子を覗くことができますが、あまりにも深くて全くその先が見えません。閉山から半世紀近く経過しているため内部では崩落などがあり、保守をしていない深部へ到達することはもうできないでしょう。在りし日にはこの先へ多くの坑夫がトロッコに乗って進んで行った世界に思いを馳せます。
本物の坑道の中に再現された足尾銅山の採掘
トロッコを降りると全長700mの坑道を歩いて進みます。中には地下水が天井や壁から滲みだしており、ここが本物の坑道であったことを感じられます。坑道の中は当時の様子が再現されおり、鉱山が開かれた江戸時代から閉山した昭和時代へと作業の様子の移り変わりがリアルな人形で展示されています。
はじめの江戸時代では手作業だったものが時代が建つごとにどんどん装備や道具も近代化していき、作業効率が上がっていくことを展示で実感します。最初は死と隣り合わせの重労働だったものが、昭和の時代には危険と隣合わせとはいえ作業をする坑夫の顔には余裕があるように思えます。
また各エリアにあるボタンを押すと、人形が作業中の会話を再現してくれます。動きながら話すので当時の作業の様子をリアルに知ることが出来ます。
坑道内には木や鉄骨で支保工が設けられています。天井を支えることで坑道が崩落することを防ぐ施設です。坑道の中には安全に作業ができるよう様々な工夫や施設が設けられています。
中に入れませんが、支坑にトロッコで鉱石を運ぶ人形が展示されています。かつては重い鉱石をトロッコが走る本坑までこのように人力で押して運び出していたのでしょう。このような細いトンネルが蟻の巣のように地下に幾重にも張り巡らされています。そんな場所からの鉱石の運搬は、機械化が進んでも多くの作業が人力で行われる過酷なもので、日本の発展がここで働く人々に支えられてきたのだと実感します。
観光坑道の天井には、青い色の岩盤が露出している「岩肌青色地帯」という場所があります。これは緑青(ろくしょう)と呼ばれる銅が酸化して生成される青緑色の錆です。雨風にさらされたような古い10円玉が時々こんな色になっているのを見たことがあるかと思います。美しくも少し毒々しい青い色は、ここが鉱山であることを静かに語っており、こういう成分が溶け出して流れると確かに公害などが発生してしまうと感じてしまいます。
所々、当時のままの坑道の様子を残したような場所があります。観光坑道は歩きやすく地面が整備されていますが、本来はこのように歩きにくい場所も多く残っていたと思います。また、小さな神社の祠も設けられており、作業の無事を地下に潜る鉱夫たちの信仰を集めていたのでしょう。
食事中の坑夫たち。地下に潜るとどれくらいかはわかりませんがすぐには地上には戻れないはず。深く暗い、地熱と湿気のこもった地下で食事をすることも日常茶飯事だったのでしょう。過酷な環境の中でもくつろぎの一時です。
坑道の中にある資料館で学ぶ足尾銅山の秘密
坑道を進むと、坑道の中に「銅(あかがね)資料館」があります。今までの薄暗い坑道の中とは雰囲気が違い外に出たような気になりますが、坑道の中にあった広い施設跡に造られたようです。
資料館の中に展示されているトロッコ。採掘した鉱石やそれらを採掘する人員や物質を深い地下に運び、作業効率を飛躍的にアップさせた近代施設のひとつです。足尾銅山では明治26年頃にトロッコをの動力を電力化しました。深い地下の中で煙や排気ガスを出さない電気鉄道は坑道作業にこそ必要なもので、日本初の電気鉄道の実用化がこの足尾銅山で行われたのです。
足尾銅山の地形や坑道図が展示されており、その坑道の深さや長さがよくわかります。鉱毒事件を起こしたことでブラックなイメージのある足尾銅山ですが、「安全専一」と書かれた昔の標識を坑道内や資料館内で目にします。これは、今の工場には必ずある「安全第一」の標語の元となっており、坑道の至るところに掲示していた足尾銅山は作業現場の安全管理の先駆けとなっていました。
銅資料館からは再び坑道の中を進みます。やがて出口にたどり着きます。坑道探検は長いようであっという間に終わったと感じるくらい、見所がいっぱいでした。
通洞坑前広場でも楽しめる様々な展示
坑道から出ると「通洞坑前広場」となっており、 そこにも展示があります。まず目につくのは、坑道内でもマネキンが使っていた削岩機。当然本物ではありませんが、手にしてスイッチを入れると爆音と振動を立てて硬い岩盤を崩す様子を再現してくれます。
江戸時代の精錬風景を再現した作業場。男性が地下から削り出した鉱石を女性が選鉱して選り分けていました。
通洞坑前広場の展示を見たら、先ほど乗ってきたトロッコの軌道を渡って、駐車場へと歩いて戻ります。
途中、乗ってきたトロッコを間近に見ます。通洞坑近くにはかつての駅舎の跡があります。以前はここからトロッコに乗車していたそうですが、アトラクションとしてトロッコ列車を活用するために入場してすぐの場所からトロッコに乗れるようにしたそうです。
戻る途中に否応なしに目に付くのが、江戸時代にこの足尾でも鋳造されていた貨幣である寛永通宝の巨大なオブジェが飾られた「鋳銭座」です。中には足尾銅山での貨幣鋳造の様子やお金の歴史について楽しく展示されています。見応えのある資料館なので是非立ち寄りましょう。
以前使用していたトロッコ乗り場の脇を階段で登っていきます。ホームには年表などが掲示されています。
昭和レトロたっぷりのお土産屋やレストラン
坑道観光からの戻り道には「レストハウス足尾」を通ります。中には飲食店と土産屋があるのですが、昭和の時代そのままで営業している隠れたレトロスポットです。
昭和の観光地そのものの土産屋のレトロな雰囲気はアラフィフ以上の方には懐かしく、それ以下の世代にはとても新鮮に思えるでしょう。店内には各種お土産はもちろん銅製品の販売もあり、普通の土産店とは違うラインナップは興味津々です。また「銅もありがとう また銅ぞ」と書かれている看板も、レトロなセンスでついついにやりとしてしまいます。
レストハウス足尾内には、昭和そのもので、まるでドラマのセットのような「ヒロ2世」という食堂があります。メニューの種類は少ないですが、足尾銅山が稼働していたレトロな昭和時代にに思いを馳せる食事ができるお店です。
レストハウスの近くには「通洞鉱山神社」があります。足尾銅山の本山坑、小滝坑、通洞坑の三山にそれぞれ祀られていた山神社を、大正9年に鉱業所がこの地に移設された時に合祀して造営されました。今はひっそりと鉱山跡地に鎮座していますが、地域の氏神として今も信仰を集めているようです。
付近に残る足尾銅山を支えたかつての鉱山施設
駐車場の奥から坂道を登ると「銅街道」と呼ばれる県道142号線へ出ることが出来ます。観光施設はありませんが、かつての足尾銅山の鉱山施設が廃墟として残っています。すぐの場所にあるので、一緒に見ておきましょう。
道に出て最初にあるのは「新梨子油力発電所」(しんなしゆりょくはつでんしょ)です。大正4年に建設された発電所で昭和29年まで稼働していました。当時としては最大規模の発電量を誇り、足尾銅山の開発の支えとなりました。役目を終えて50年以上経ち現在は廃墟のようになっていますが、発電施設としての堅牢な鉄筋コンクリートの建物は今もその姿を留めています。
隣接して「通洞動力所」があります。レンガ造りの洋館ですが、すでに朽ち果てて廃墟になっています。当時の一大工業施設がゆっくりと崩れていく姿には、はかなくも美しい時間の流れを感じます。通洞動力所は坑道を掘り進めるための削岩機の動力源である圧縮空気をコンプレッサーにて作っていた施設です。ここから坑道内に圧縮空気を送っていたため、その下には坑道があります。場所的にこの廃墟の下には先ほど見学した観光通洞があると思われます。今も残る観光施設の上には役目を終えて眠る工業施設があり、足尾銅山の今を感じる場所です。
一番奥には古河日光発電所の通洞変電所があります。足尾銅山稼働時からある古い建物で、一見使われていない廃墟に見えますが、現役の施設として稼働しています。よく見ると窓からは中に機械が設置されているのが見えます。付近ではまだ鉱山施設がリサイクル施設としていくつか稼働しており、それらに電力を送電しているようです。
足尾銅山はかつては鉱山の町だったために山の中に開かれており、アクセスには時間がかかる場所です。日光観光の後、ドライブがてら桐生・大谷抜けるのが良いでしょう。日光を正午くらいに出発すれば観光して夕方には桐生にたどり着けるかと思います。
■日光駅周辺のオススメホテル
足尾銅山観光
住所: 栃木県日光市足尾町通洞9-2
電話: 0288-93-3240
営業時間: 9:00~17:00(入場は16:15迄)
休業日: 無休
料金: 大人830円、小・中学生410円
交通: 日光宇都宮道路・清滝ICより約25分
駐車場: 約200台
【投稿時最終訪問 2018年9月】