神子畑選鉱所跡
兵庫県の鉱山跡といえば「生野銀山」が有名ですが、近くに大規模な鉱山跡が2ヵ所も残っています。それが明延鉱山跡と神子畑(みこばた)選鉱所跡です。まず生野銀山から近い「神子畑選鉱所跡」に訪れました。
不夜城と呼ばれた神子畑選鉱所
神子畑選鉱所は明治時代には神子畑鉱山として栄えていましたが、採掘していた銀が枯渇し休山。大正時代に山向こうの「明延鉱山」で新たな鉱脈が発見されたため、巨大な選鉱所が建設されたのです。
1987年に明延鉱山の閉山にあわせて神子畑選鉱所も閉鎖されました。現在は選鉱所の堅牢な土台とその上下を往き来したインクラインのレールとその操作室だけが残っています。
かつてはコンクリート土台の上に工場が立ち並んでいましたが、2004年に全て解体されており、その中にあったであろう巨大な機械も一切残っていません。
今も残る巨大なシックナーは大迫力
内部に立ち入ることはできませんが、間近から選鉱所跡の姿を見ることができます。
時代の流れのままに風化していく巨大な施設跡。こういった役目を終えて静かに眠る産業遺産には何か感じるものがあります。
シックナーの下には、かつてその大掛かりな装置を作動させたであろう機械が今も残っています。
送電線はありませんが、かつての送電設備もいくつか残っています。その大きさから大規模な施設であったことが今でもうかがえます。
天井には鉄の足場が錆び付きながらも残っています。配管の足場だったのか、施設のメンテナンスに使ったのでしょうか?
過去の栄華は忘れ去られ、時間にその身を削られて朽ちていく巨大な体躯。哀愁をどことなく感じる風景です。
当時の機械部品やトロッコも、忘れ去られたかのように一部が残っています。
裸電球がぶら下がる朽ちゆくコンクリートの天井。錆びた鉄筋。レトロ感が濃厚に漂います。
今にも動き出しそうなモーター。巨大なシックナーという傘の下にあるのでまるで現役当時のままの姿で残っています。奥にある洋館は、かつて外国人鉱山技師が住んでいた「ムーセ旧居」です。
外国人技師が住んだ高級住宅「ムーセ旧宅」
フランス人技師のムーセ氏の居宅だったの「ムーセ旧居」明治時代、鉱山の近代化を図るために多くの外国人鉱山技師が日本に招聘されていました。コロニアル・スタイルと呼ばれる様式で、建物の四方をベランダが取り囲んでおり、鉱山町の中ではとても優雅な住まいだったのでしょう。訪問したときは外壁の補修工事中でした。
ムーセ旧居は神子畑選鉱所跡の資料館として開放されています。選鉱所の当時の様子や写真が展示されており、オリジナルグッズの販売もあります。シンプルながらも落ち着いた洋館の内部も見所です。
神子畑選鉱所の全景
神子畑選鉱所の全貌の写真を見たことがあります。展望台でもあるのかと思いましたが見当たりませんり。仕方なく対岸の山の道なき森よじ登り、木々の間からなんとか全貌を見ることができました。危なすぎるのでオススメできません。しかしこの目で見る選鉱所の全貌は大迫力。どこに何があったのかいろいろ探してしまいます。転げ落ちないように木に掴まりながらですが・・・
選鉱所上部から「明神電車」が明延鉱山に向けて運行されていました。当初は明延鉱山で産出した鉱石の運搬が専らでしたが、旅客車両も連結されるようになり、山向こうまで気軽に出掛けられるようになったそうです。
シックナーとは、微細な個体粒子が混じった液体から水分と個体を分離させて個体を取り出す装置。ここで鉱石から精鉱を回収していました。
先ほど見学したシックナー。上部はすり鉢状になっていて、当時はこの中に水を入れて、撹拌して鉱石の成分を取り出していました。
かつては巨大な建物が建ち並んだ選鉱所も今はコンクリートの土台を残すのみ。その大きさは幅110m、長さ165m。高低差は75mにもおよび、その規模は東洋一だったそうです。最盛期は昼夜問わずフル稼働しており、不夜城と呼ばれていました。
見下ろすムーセ旧居。シックナーと比べても立派な豪邸だったことがわかります。
山向こうまで鉱石と人を運んだ「一円電車」
再び選鉱所に戻って来ました。選鉱所には小さな電車が保管されています。鉱山列車「明神電車」で、明延鉱山の鉱石を神子畑選鉱場に効率的に運ぶため、昭和4年に開通しました。その全長は約6km。当初は鉱石運搬用運でしたが、昭和24年からは客車を連結して一般客も乗車できるようになりました。乗車客の人数を把握しやすくするために運賃を1円としたため、「一円電車」の愛称がついています。
1円電車の中には入ることができます。トロッコ軌道を走っていたため車内はとてもせまく、身を屈めて膝をつきあわせて座ります。この中で裸電球の灯りだけで暗い坑道を何kmも走っていたのです。
栄華の跡、神子畑小学校の廃校跡
選鉱所より上流側にはかつての鉱山街跡が残っています。この付近には民間はもうありませんが、廃校があります。広い公園のように見えますが、そこは確かにかつての校庭。今も遊具が残っていますが、遊ぶ子供の姿はありません。
神子畑が完全に閉山したのは1987年。30年前には多くの子供がここで学んでいたのでしょう。現在、廃校跡には体育館と蔵が残るだけですが、この体育館プレコン工法で建てられており、現存するものとしては珍しいのだとか。
近くには「神子畑鋳鉄橋」も残り、かつての栄華を今に伝える神子畑選鉱所跡。見学の後は、ここに鉱石を運んでいた「明延鉱山跡」へと車で向かいます。また、雲海で有名な「竹田城」もすぐ近くなので、一緒に観光したいところです。
神子畑選鉱所の観光・宿泊情報
神子畑選鉱所は「明延鉱山」「生野銀山」「竹田城」と一緒に巡るのがお勧め。 宿泊は、少し車を走らせると関西屈指の温泉「城崎温泉」があります。
せっかくなので、城崎温泉で上質な温泉と美味しい料理を楽しみたいですね。
神子畑選鉱所跡
住所: 兵庫県朝来市佐嚢1826番地1
電話: 079-677-2111(あさご観光協会)
料金: 無料
休み: 年中無休(ムーセ旧居は土日祝のみ、12/29〜2月末は休館)
営業時間: 10:00~17:00(ムーセ旧居)
交通: 播但連絡有料道路・朝来ICより自動車で約15分
駐車場:約25台(無料)
【投稿時最終訪問 2017年4月】