ロシア兵墓地【坂の上の雲・日露戦争の舞台・松山】

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日露戦争を舞台とした司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」主人公の秋山好古、秋山真之、正岡子規は松山出身の軍人と俳人。明治維新を経て、列強入りしようとする明治の日本を克明に綴った作品だ。偶然か必然か。日露戦争を日本の勝利に導いた有能な軍人である秋山兄弟の出身地の松山は、日露戦争時、ロシア軍にはもっとも知られた日本の地名だったらしい。彼らが投降する際、「マツヤマ」と叫んだそうだ。投降=マツヤマ。ロシア軍人にそう言わせたのは、松山には日本で初めての捕虜収容所がつくられ、その待遇の良さが広く敵国にも知れ渡っていたからだ。松山では捕虜はとても手厚く扱われ、外出は自由で道後温泉入浴や観劇も楽しめたそうだ。市民との交流もあり、捕虜の為に多くの病棟も準備された。松山に送られた捕虜は約6千人。当時の松山の人口が3万人だったので、明治の松山は相当な国際色豊かな都市だったに違いない。明治時代の日本は各国に認められようと、国際法を非常に遵守したそうで、捕虜の扱いに関してとても寛大だったそうだ。しかし、そんな捕虜の中にも病気や戦傷で98名がこの松山で亡くなった。ここで亡くなったロシア兵を葬ったのが「ロシア兵墓地」だ。

ロシア兵墓地

ロシア兵墓地は、松山大学の御幸キャンパスに隣接した、静かな高台にある。当初、弁天山という海にほど近い山の麓に埋葬されたが、この場所に移されている。静かな墓地でひときわ目をひくのが、ワシリー・ボイスマン大佐の大きな墓石と胸像。ボイスマン大佐は士官であったこと、負傷兵であったことが理由でロシアへの帰国が認められた。しかし、彼は帰国せず、部下と日本に残る事を望み、この地で病没した。そんな彼を称えて、胸像が設置されている。そして彼の墓に付き従うように、多くのロシア兵が祖国のある北を向いて眠っている。

ロシア兵墓地

ロシア兵墓地といえ、見た目は日本風の墓地。墓石が整然とずらりと並んでいる。墓地は綺麗に清掃・手入れされていて、とても美しい。今の世になっても、ボランティアや地元の方の手により、美しくあり続けている。墓石に刻まれた名前は聞きなれない異国の名前。そして墓にはロシア語の表記のパネルがそえられ、十字架も刻まれている。見た目は普通のお墓だが、すべてのお墓に眠るのは遠い異国の昔の兵士。平和で静かな高台だが、かつてこの国で戦争があった。そう思い出させる風景だ。遠い異国の地で家族と別れて眠るのは決して本意ではないだろうか、ここが彼らにとって安らぐ場所であってほしい。そう願いたくなる場所だった。日本の近代化と戦争への突入。激動の明治という時代を体感できる場所。是非、同じ松山市内にある「坂の上の雲ミュージアム」と併せて訪れて頂きたい場所だ。

松山の観光と宿泊情報

松山の宿泊といえばやはり道後温泉ですね。四国を代表する温泉街で、老舗からモダンな旅館まで多くの宿があり、歴史ある温泉風情を楽しめます。また、松山にはシティホテルが多くあります。中には温泉を引いている場所もいくつかあります。予算や目的によって豊富な宿が選択できる松山の宿泊は、愛媛の旅にはオススメです。

ロシア兵墓地

場所: 愛媛県松山市御幸1
電話: 089-911-1863
営業時間: 見学自由
休業日: 無休
アクセス: 松山自動車道・松山ICより約25分
駐車場: あり(無料/開放時間9:00~17:00)
入場料: 無料

【投稿時最終訪問 2011年10月】

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