別子銅山第三変電所跡 【東洋のマチュピチュ】

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東洋のマチュピチュとして脚光を浴びる別子銅山。そのマチュピチュのような風景がある場所が東平(とうなる)だ。
この町はかつて、大正時代の別子銅山の採鉱本部があり、3000人を超える人々が生活していた町だ。人々が住んでいた町よりも上に鉱山鉄道が走り、リフトのような「索道」でこの東平へと物資を運搬していた。今はほとんどの建物は取り壊され、植林がされている。
住友グループがその礎を築いた銅山で、昭和48年に閉山して以降、多くの放棄された建物が深い森の中に眠っている場所だ。多くの建物は、原形をとどめず朽ち果てているが、いくつかの建物は、当時のままの姿を残している。その中でも、ほぼ当時のままの姿を残し、内部にも入れる遺構が東平の奥にある『第3変電所跡』だ。

東洋のマチュピチュに眠るレンガ造りの洋館

第三変電所は明治37年に建設されたレンガ造りの建物だ。当時は水力発電所から送られてきた高圧電流を、鉱山用・家庭用に変電していた施設だ。深い森の中、開けた広場の上に建てられている。この広場は、以前は谷を暗渠で埋め立て、その上に様々な工業施設が建てられていた場所だ。広場は整備されているが、その周辺は深い木々に覆われている。
入口はドアはもうついていない。薄暗い内部の様子が外からでも伺える。この入口は、別の世界へとつながる扉だ。

この東平は最近では「東洋のマチュピチュ」と称され、訪れる人がとても多くなっている。その、「東洋のマチュピチュ」と称される「貯鉱庫」から歩くこと約10分のところにある、東平のもう一つの残された産業遺産が「第三変電所」。
木造住宅である社宅等は鉱山撤退の折、運営する住友に撤去されたが、頑丈なレンガ造りの構造物は撤去されず、そのままに放棄されている。この第三発電所は、別子銅山の産業遺産の廃墟の中、唯一原形をとどめ、かつ、自由に内部まで見学できる施設だ。しかし、この場合の「自由」は「自己責任」ということだ。

第三変電所の入口付近。以前はこの前は藪が生い茂り、その中にはマムシやアオダイショウのヘビや危険なハチが生息していた。そんな藪をこぎ、この建物の中に入っていかなければならなかった。それだけにこの廃墟は、人の手から守られ、ゆっくりとした時間の流れで老朽化していたのだ。
しかし、この施設を管理する住友が、今の「東洋のマチュピチュ」をはじめとする産業遺産ブームに乗っかったのか。この施設へ近づく事を拒み、近づく人間を試していた「藪」を全部刈りはらってしまっていた。今の状態では、誰でもこの第三変電所の中に入れる状態になっている。
これは僕の「エゴ」だが、僕はこの廃屋が大好きだ。人の手を離れ、ゆっくりと自然に飲み込まれていくこの別子銅山の営みを感じられる場所。それだけにいつもこの東平を訪れた時は、ヘビと遭遇しながらもこの廃屋の中に入り、その時間の流れを楽しんでいた。こんな状態になったのなら、心ない人間がこの施設に落書きしたり、多くの人の足跡で不自然に傷んでしまう。確かに、ここの施設を管理する人がしたことなら仕方がないとは思うが、とても残念なことだ。安全面を考えての事ならば、いっその事、端出場にある発電所跡同様、立ち入りを禁止してほしかったくらいだ。しかし、こうなった以上、僕にはどうしようもない。ただ、この施設の中に流れる時間が、踏みにじらなれないよう、祈るばかりだ。

当時の時間が止まったままの変電所の中にも吸い込まれるように入っていく・・・

時間が止まったかのようなレトロな建物内部

入口をくぐり中に入る。薄暗い建物の中に、窓から光が差し込んでいる。所々、壁がはがれ、外装に使われているレンガが姿を見せている。深い森の中に突如として現れた無機質な空間。外とは違う時間がここには流れている。

第三発電所の内部。第三発電所は明治37年に建築され、水力発電所から送られてくる高圧電流家庭用と鉱山用の電気に変圧していた施設だ。変電施設がおかれたレンガ造りの建物はとても堅固。今も雨漏りなどせず、今でも中で生活できるような空間が保たれている。
変電施設が設置されていただろう機械室の他には倉庫。そして、2階には宿直室のような部屋。そしてその下にはカマドが置かれた台所がある。ここの機械を保守しながら、ここで働いていたであろう人々の営みがなんとなくではあるが、思い描かれる。

廃墟と化しているも、そこには時間の流れを感じさせる独特の風景がある。散らばるものの中には、レトロ資料館に並べられてもいいような、昭和を感じさせるピンや缶も転がっている。人が去ったそのときのままの状態が何十年もそのままでいる。
おそらく人が自由に入れるようになったので、もうこの状態は長くは続かないだろう。新しい時の流れが、この時間が止まったままの空間に流れ込んできてしまった。

このレトロな窓から射し込む光。この風景が僕は大好き。5月の16時頃なら、太陽がこの窓から差し込み、レトロな窓の影を床に落としてくれる。
残念ながら、この訪れた日は太陽の光が差し込む角度ではなかった。それでも、そのモザイク状に割れた窓が、まるで芸術のように思える。

光が射し込む時間には、レトロを思わせる3つの窓から、光が降り注ぎ、薄暗い空間の中を照らす。まぶしい光は、この空間をかろうじて、この世につなぎ止めているような気がする。光は暗闇だけでなく、この空間の歴史をも照らし出している。
ここの空間だけ、別の時間が流れている。静かで、ゆっくりとした時間。しかし、それでも時間はこの建物を蝕み続けている。少しずつ、少しずつ、無に還ろうとしている。

静かに流れる時間。過去の時間と今の時間が交錯するような、ふしぎな光景。

2階にある部屋。レンガ造りの建物の中に後から造られた木造の部屋。おそらくここで働いていた人の休憩室や仮眠室などの生活スペースだったと思われる。
先ほどのレトロな形をした窓の上部をうまく利用して、この部屋にも光を差し込んでいる。ぴったりと窓の形に合うように造られた窓枠がとてもいい仕事をしているなぁと感じた。
この部屋の床は薄い木を渡しているだけで、老朽化でいつ踏みぬいてもおかしくない。立ち入ることはやめておきたい。

2階から見下ろす機械室。変電する機械を置くには、強固な建物が必要だったのだろう。レンガの壁は厚く、床もしっかりと造られていて、とても頑丈だ。この頑丈なつくりが幸いして、取り壊しを免れ、そして今も森に飲み込まれず、その姿をとどめている。

2階の部屋の下は、炊事場や倉庫になっている。今も残るかまどが、ここで人が確かに働き、暮らしていたことを物語っている。別子銅山には多くのカマド跡が残っているが、多くは野ざらしで朽ち果てている。建物の中に残されたこのかまどは、今もなお当時の姿のまま残っている。今でも使えそうなくらいで、当時の文化を知るとても貴重なものだ。
かまどの横からは建物の裏に出られる。ここには当時使っていたであろう便所もまだ残っている。さすがに今は使えないが、人々が暮らしていた跡が深い森の中に確かに感じられる。

朽ち果てていく建物の壁。近づいてみると、その歴史が感じられる。割れた窓ガラスから見えるのは、外の深い森。この壁が、この無機質な空間を森に飲み込まれることから守っている。
もし、この壁が崩壊すれば、この特殊な時間を持った静かな場所も、森に飲み込まれ、深い眠りにつく。

歴史を留めるのは建物だけでない。ここには当時を思わせる生活の後も多く残っている。とても不思議だ。30年以上前の物が、そのままの姿でここに残っているのだ。誰に壊されることもなく、誰に持ち去られることもなく、時に身を任せたまま。ふと気付くと、当時の人がこの仕事場に戻ってきそうな気がする。
言葉を失う、不思議な空間。僕がこの別子銅山の中でも、最も好きな光景のひとつだ。
最後に、この建物は今も現存する明治時代のもので、その中での作業・生活の跡も朽ち果てずに残っているとても重要なもの。町の中に残っていれば、確実に保護の対象になるはず。この場所できちんと保管していれば、「登録有形文化財」にも指定されそうなくらいの歴史的遺産。別子銅山の数ある産業遺産の中でも、その形を今に残す数少ない構造物。産業遺産として価値を考えるなら、この建物は絶対に傷つけてはいけない。訪れる方は、落書きなどは当然の事、破損などは絶対にされないよう、気をつけてください。

別子銅山散策に便利なホテル

別子銅山・第三変電所跡

場所:愛媛県 新居浜市

交通:新居浜市内から県道47号線を旧別子方面へ、「マイントピア別子」が目印

   「清滝」を越えてすぐ、左手への細い道へ、「銅山の里自然の家」が目印

   1車線で離合難の場所も多いが、交通量は少ない

   新居浜から約50分で、「東平(とうなる)歴史資料館」へ到着する

   資料館駐車場から第3通洞跡へ約10分

   第3通洞手前、左側のレンガ造りの建物

料金:無料

駐車場:約50台

付帯施設:東平歴史資料館・マイン工房・銅山の里自然の家・第3通洞跡

近隣の観光施設:マイントピア別子

【投稿時の最終訪問 2014年5月】

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