境浦と濱江丸【小笠原の青い海と戦跡】

ついに小笠原滞在の最後の朝が訪れた。3泊お世話になった宿をチェックアウト。荷物は東京に向かう「おがさわら丸」の出港前に、宿のオーナーがフェリーターミナルまで持ってきてくれる。

フェリーの出航は昼過ぎ。それまで、宿の自転車を借りて、父島のサイクリングを少しだけ楽しむことにした。目指すは美しい「境浦海岸」だ。

深い緑に埋もれる戦跡と青い海をサイクリング

二見漁港の奥にある宿を出発し、「小笠原海洋センター」の脇をかすめるように、車道ではなく遊歩道を自転車で走る。海岸沿いの森の中に、小笠原の深い緑に飲み込まれていく遺構を見つけた。小笠原は太平洋戦争時、旧日本軍の要塞があり、実際に米軍と戦闘があった地域だ。小笠原の南端に位置する「硫黄島」でのその壮絶な戦いは、ハリウッド映画にもなっている。父島にもこのような戦跡は普通の生活の中にも多数存在する。悲しい記憶は長い時間とともに、島の自然の中に飲み込まれ、姿を失っていく。消えてしまう事は仕方がない。しかし二度とこのような施設がこの島に現れないなら、朽ち果てていく傷痕には静かに眠っていてほしいと思う。

小笠原に到着して5日目。最終日にして、やっと天気に恵まれた。昨日までの強い風は嘘のように止まり、海は静まり、美しいそのエメラルドグリーンの色を青空の下に思いっきり広げてくれた。海の底まではっきりとわかる、吸い込まれそうなくらいの透明感。太平洋のど真ん中。絶海の孤島の父島の海は常に大海に洗われ続けている。宝石のように深く輝く青さ。これが「ボニン・ブルー」の海の本当の青さだ。「ボニン」ととは小笠原諸島の英語名みに由来する。「小笠原の青」、びっくりするくらいの青さ、それがボニンブルーだ。

この日は1月だが、晴れ渡った小笠原はもう初夏を思わせる陽気だ。穏やかな日差しの中、さわやかな風を切り裂き走るサイクリングはとても気持ちがいい。しかし、小笠原諸島は火山の島。ビーチはとても少なく、山が海まで迫り、断崖絶壁も多い。変速機なしのママチャリは、何度も現れる上り坂にはなかなか苦労する。もちろん宿のサービスで無料で借りられているので、変速機がないことには文句は言わない。それどころか、1000円も2000円もするレンタサイクルを借りなくても済んだので、とてもありがたい。

 真っ青な海と濃厚な森に覆われた「境浦」

坂を登り、そして坂を下り、トンネルを抜けて・・・深い緑と、その中に埋もれている戦跡と思われる遺構に目を奪われながら、自転車を走らせていく。さほど時間はかからず、目の前に真っ青な海岸が現れた。ここが目指していた「境浦」だ。島を覆い尽くす緑と、一面に広がるエメラルドグリーンの海が眩しい、大自然の織りなす風景。そして、穏やかな太陽に照らされた光景。もうそれは、絶景と言うしかない。
ところで海岸の沖合に岩の塊のようなものが見える。しかし、何か変だ。目を凝らしてみると、岩というよりも無機質な機械の部品に見える。実は写真中央、海に沈んでいるのは座礁した貨物船だ。しかもその船は今から65年も前の太平洋戦争中、アメリカ軍の魚雷を受けて座礁したという。美しい青い海の中に不似合いな人工物。しかし、その沈没船も悲しい戦争の傷跡。陸地の緑に飲み込まれていく戦跡同様、海の青さに飲み込まれ、少しずつ消えていこうとしている。
美しい海岸と悲しい歴史。人の手も及ばない大自然と、人が犯す悲しい過ち。目の前に広がる境浦は、ありとあらゆるものを織り込んで、静かにそこで渚の音を奏でていた。
小笠原・父島、青い空、緑の森、そしてエメラルドグリーンの海に挟まれた快適なサイクリング。もうすぐ目的地の「境浦」に到着する。

目の前に、真っ青な海が広がる内湾を見下ろす山肌に道路は通りかかった。美しい水を湛えたこの場所が「境浦」境浦のシンボルとも言えるのが、座礁しているあの貨物船。大自然の中に飲み込まれ朽ち果てていく人工物。それは太平洋戦争時に要塞化された父島では至る所にある風景。

谷を渡る橋を過ぎると、「境浦海岸」のバス停がある。バス停の脇に自転車を止めさせてもらい、眼下に広がる境浦を見下ろす。火山活動でできた父島は、海の近くまで山や崖が押し出す荒々しい原始の姿の島。この境浦は父島でも数少ないビーチのひとつ。深い森と青い海との間、ごくわずかな場所に一本の線のように弧を描く白いビーチがとても眩しい。

境浦に沈んでゆく戦跡、魚雷で座礁した「濱江丸」

座礁した貨物船。とはいえ、もう船の原型は残っておらず、エンジンらしき部分がわずかに海面に顔を出しているのみ。この船は「濱江丸」といい、太平洋戦争中の昭和19年、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、この父島に漂着・座礁したそうだ。現地には漂着間もない時の写真パネルがあったが、この湾の入口半分を埋めるほど大きな船体だった。船の形をそのまま残し、船体の上には巨大なマストも立っていた。しかし、65年もの月日はその巨体を朽ちさせ、荒波を立てる海の中にどんどんと飲み込んでいった。やがてこの船のわずかに残るかけらも、間もなく青い海の中に完全に消え去ってしまうだろう。

境浦のビーチで親しむ小笠原の青すぎる海

バス停の脇からビーチに降りる道がある。ゆっくりと青い海に向かって下りていく。海を背に、花を咲かせる緑がとても気持ちいい。訪れたのは1月にも関わらず、晴れた小笠原の冬は、本土の初夏を思わせるような陽気だ。

ビーチに降りてきた。砂浜というよりも、砂利が敷き詰められたようなビーチ。砂利は角はないので、素足でも気持ちがいい。ゴミ一つ落ちてなく、どこまでも透き通るエメラルドグリーンの海。こんなところで海水浴出来るのは、小笠原の自然がなせる贅沢の一つだ。

ビーチから眺める座礁船。もう船というよりも、意図的に作られたオブジェのように見える。悲しい戦争の記憶が、平和な平成の世の美しい自然の中にひっそりと眠る。これも小笠原の不思議な風景だ。海の上に残っているのは、形からしてエンジンなどの機関部のようだ。やはり高熱に耐え激しく動き続ける部品なので、他のパーツと比べて耐久性が高いので、今でもその姿を残せているのだろうか。

美しいビーチを洗うさざ波。それは宝石と呼ぶにふさわしい、美しく透明なエメラルド色の海の輝き。小笠原の海は、どこまでも美しい。

静かに海の中に佇む濱江丸。とても静かで穏やかな海の風景に見えるが、ここにたどり着くまでにくぐってきた修羅場は半端ではない。戦争中、陸軍に徴用され、南方への物資運搬の最中、何度もアメリカ軍に襲撃されている。魚雷の直撃を受け、航行不能になりながら、何とかこの父島まで流れ着いた。こんな平和な美しい海に、銃撃、爆撃、魚雷攻撃を受けた船が目の前にあるのだ。戦争を知らない僕にはかなりショッキングだ。出来ればあの船に近づき、海の中に隠れたその傷跡や姿も見てみたかったが、あいにくもう今日は時間も装備もない。

穏やかな青い海。青い空。深い緑。そして今も癒えきらない戦争の傷跡。ここは小笠原を凝縮したとても美しい場所だと感じた。
もう、この小笠原を去る時間が迫りつつある。もうこの美しい楽園に居れるのは、ほんの数時間。最後の美しい時間を楽しむかのように、僕たち夫婦はこの海岸に腰を下ろし、美しい海を何も言わずにじっと眺めていた。

シーカヤックに乗った人が、座礁船の近くを通り過ぎていく。地元の中学生が海に入り、座礁船の近くでシュノーケルを楽しんでいる。何とも穏やかで、静かな風景。戦争の傷跡の脇で、のんびりと海を楽しむ人々。平和の象徴。この風景がいつまでも続いてほしいと願わずにはいられない。

ビーチにはベンチのある東屋とトイレがある。父島の特徴として、たいていのビーチには綺麗な東屋とトイレが整備されている。シャワーのあるビーチは限られているが、それでも快適な海遊びを楽しむ事ができる。このビーチで持ってきたジュースを飲んでひと休憩。さあ、もう時間だ。残念だが、僕たちを現実世界に戻してくれる「おがさわら丸」に戻ることにしよう。置いてきた自転車で宿まで、小笠原の風を感じながら一直線に駆け戻った。

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