維新の門【坂本龍馬の脱藩群像】

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高知県梼原(ゆすはら)町。愛媛県との県境に位置する町。
愛媛と高知の間には、四国の屋根とも言われる険しく高く、そして深い山が連なる。 日本三大カルストのひとつ、「四国カルスト」の麓に、この梼原町は広がっている。

四国カルストや四万十川の源流域などの豊かな自然や、神楽などの伝統文化で有名なこの町だが、実は幕末の歴史でも大きな転換となった場所だ。それは、高い志をもって、土佐(高知)から伊予(愛媛)に深い山を越えていった坂本龍馬が脱藩をした場所なのだ。
この梼原には、坂本龍馬が脱藩をした「韮ケ峠」があり、付近には「坂本龍馬・脱藩の道」が整備されている。そんな梼原に土佐を抜けて日本へ旅経った維新の志士たちの姿を感じられる場所が「維新の門」だ。

坂本龍馬をはじめ8人の維新志士の群像

「維新の門」には坂本龍馬をはじめとする、志を持ってこの梼原から土佐を飛び出した8人の維新志士たちの群像が立ち並んでいる。
写真の中央にいる人物は坂本龍馬ではなく、掛橋和泉という人物。掛橋和泉は、この梼原村の神主の家の養子であった。
家が裕福であったため、自らと志を同じくする脱藩する志士を家財を費やして援助していた人物。
まさに、この和泉の後ろ盾で、多くの志士たちが走りだしたように、群像は配されている。
残念ながら掛橋和泉は、脱藩の後ろ盾していた事を養母に知られることになり、家族、脱藩志士たちに責めが及ばぬようにと自刃する。
享年27歳。

右側にあるのが、坂本龍馬を中心とした、この梼原から脱藩する志士たちを描いた群像。
左より、沢村惣之丞、坂本龍馬、那須俊平。

沢村惣之丞は1862年、坂本龍馬とともに脱藩し、勝海舟の神戸海軍塾に学んだ盟友。
亀山社中、海援隊にも加わり、坂本龍馬の片腕となった人物。
龍馬の死後、長崎で友好関係にあった薩摩藩士を警備中に誤殺。
その責を追って自刃。
享年26歳。

坂本龍馬。言わずと知れた有名人。
脱藩後、勝海舟の神戸海軍塾に学んだ後、海援隊を設立。
薩長同盟や薩土同盟などの締結に尽力し、大政奉還の立役者となった。
大政奉還後、盟友中岡慎太郎と共に、京都の近江屋で暗殺される。
享年33歳。

那須俊平。槍術に長じ、「土佐一の槍の達人」と称された人物。
脱藩する坂本龍馬と沢村惣之丞を自邸に宿泊させ、その後国境の韮ヶ峠まで、養子の那須信吾と共に警護・案内した人物。
その後、自身も脱藩し、1864年の「禁門の変」で戦死する。
享年57歳。

左側の群像は、土佐を抜け、各地の戦いに身を投じた若者たちの姿を描いた群像。

左より、那須信吾、那須に隠れているが、その後ろに前田繁馬、吉村虎太郎、中平龍之助。

先陣を切るのが那須信吾。
坂本龍馬・沢村惣之丞を韮ヶ峠まで案内し、彼らの脱藩を手助けした人物。
その後、土佐藩の参政である吉田東洋を斬り、その足で脱藩。
吉村虎太郎らと天誅組を組織して挙兵したが、奈良にて戦死。
享年34歳。

前田繁馬。
那須信吾の養父、那須俊平に剣を学ぶ。
吉村虎太郎の天誅組の挙兵に参加するが、奈良にて戦死する。
享年28歳。

吉村虎太郎。
武市半平太らと土佐勤王党を結成するが脱藩。
寺田屋事件で捕えられ、土佐に身柄を引き渡された上、一時投獄される。
釈放後、天誅組を那須信吾らと組織し挙兵するも、奈良にて戦死。
享年26歳。

中平龍之助。
前田繁馬と同様に那須俊平に剣を学ぶ。
脱藩後は長州忠勇隊に入り、禁門の変にて重傷を負い、その後自決。
享年22歳。

リアルな群像に感じる幕末の歴史ロマン

那須信吾の横顔が、城をモチーフにした建物をバックにとても凛々しい。
土佐藩の重役を暗殺し、倒幕の挙兵をするなど、時代の急先鋒を走り続けた人物。
完全武装で真っ先を突き進む彼の姿は、幕末の激流の中に自ら身を投じた、彼の生き方そのもの。 そして、迫力ある銅像は、今にも走り出しそうなほどの躍動感が伝わってくる。

城をバックに走り抜ける維新志士たちの姿。
これらが銅像だとわかっていながらも、幕末に来てしまったかのような迫力を感じる。
彼らは幕末の動乱に身を投じ、若くして壮絶な戦死を遂げていく。
そう知ると、今にも動き出しそうな躍動感あふれる在りし日の姿には、どこか尊敬の念すら覚える。

坂本龍馬らの銅像は、土佐と伊予の国境である「韮ケ峠」を見つめている。
歴史に「もし」は存在しないが、もし、坂本龍馬がこの国境を越えなかったら今の日本はどうなっていたのだろう。
彼らの目にするこの四国の山深い峠の先には、どんな日本の明日が映っていたのだろうか。
リアルな群像たちに雄大な歴史ロマンを感じる場所だ。

さて、この「維新の門」だが、まだまだ知られていないスポットで、観光ガイドにも大々的には載っていない。
ただ、近年訪れる人が急増したので、梼原町の中心部には案内の誘導看板も立てられている。
しかし目印は、群像の後ろにある「城」
城を模した建物は「梼原町川西路地区構造改善センター」であるが、この横の広場に維新の門がある。 「城」は町の中に入ると見えるので、ちょうど良い目印になる。

梼原町役場からは徒歩5分。
川を渡り、行き止まりの道を左折して細い道を進む。
やがて左へ急な登り道があり、ここを上がると維新の門にたどり着く。

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維新の門

住所: 高知県高岡郡梼原町川西路
営業時間: 見学自由
休業日: なし
交通: 高知自動車道・須崎東ICより約30分(国道197号線)
料金: 無料
駐車場: あり(15台・無料)
施設: トイレ・自販機 

【投稿時最終訪問 2010年9月】

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