秋山兄弟生誕地【坂の上の雲の主人公】

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秋山好古、秋山真之、正岡子規。松山出身の3人を主人公にした、司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」。数年前、NHKで3年に渡り年末に放送されたスペシャルドラマ。明治時代、列強に追い付けと空の上に浮かぶ雲を目指して駆け上がった明治時代の3人を主人公にした歴史ドラマだ。
その3人の出身地が愛媛県の松山市。ドラマはこの松山から主人公たちが生まれ育ち、日露戦争に勝利するまでが描かれている。正岡子規は松山出身の俳人として有名で、市内にも記念館や所縁の場所がいくつかある。秋山兄弟も主人公となる坂の上の雲に関する見所としては「坂の上の雲ミュージアム」と今回紹介する「秋山兄弟生誕地」がある。

日露戦争の英雄、秋山兄弟の生まれた場所

訪れたのは「秋山兄弟生誕地」。実際に秋山兄弟が生まれた場所である。松山城がある城山のすぐ麓。当時は武家屋敷が並んでいた町並みだが、今は住宅や商業ビルが立ち並ぶ街の中心部。ここだけ在りし日の姿で、時間が止まったままのような場所がある。松山城に登る「松山市のロープウェイ」のすぐ近くなので、松山城観光とあわせて立ち寄りたい。

敷地内に入ってまず出迎えてくれるのが、兄・好古の銅像。日露戦争において、当時世界最強といわれたロシアのコサック騎兵隊を自ら養成した騎兵隊を率いて撃退。「日本騎兵の父」と呼ばれ、陸軍大将で退役。退役後は松山に戻り、北豫中学校(現松山北高等学校)の校長に就任し、後進の育成に努めた。
日本の騎兵育成に大いなる功績を残した人物らしく、軍服を纏い馬に跨るその姿は威厳に満ちている。
ドラマでは阿部寛が演じている。

兄・好古が見つめる先にいるのが、弟・真之。「坂の上の雲」のもう一人の主人公、正岡子規(ドラマでは香川照之が演じている)の親友。日露戦争において、東郷平八郎の作戦参謀となり、ロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で撃退し、日本勝利に貢献した。その際に秋山真之が打電した「本日天気晴朗なれども波高し」という一文は有名でだ。
馬に乗った兄の大迫力の銅像と違い胸像のみではあるが、それでも兄に負けないくらい威風堂々としている。
ドラマでは本木雅弘が演じている。

復元された秋山兄弟の生家で感じる歴史ロマン

復元された秋山家。残念ながら、太平洋戦争中の昭和20年、現存する秋山家は空襲により焼失している。この建物は2005年に、実際に建っていたその場所に復元されたもの。
秋山家は江戸末期の藁屋根に木造平屋建ての典型的な下級武士の家屋として建築された。好古が北豫中学校の校長に就任している間はこの実家に住んでいた。その時も4部屋と土間、台所のみの質素な造りの家をやや改築しただけで好古は住み続けていたそうだ。
当時の家屋の設計図は残っていなかったため、秋山家の子孫やこの家をよく知る人、わずかに残る写真を頼りに復元された。

秋山家内部。入口・土間ではイスに腰掛け、説明ビデオを見ることが出来る。その傍らには、好古・真之を演じた阿部寛さん、本木雅弘さんが、それぞれの演じた人物の銅像前で写った写真が飾られている。阿部寛に至っては、衣装の軍服姿で写っている。ちなみに、小泉純一郎元首相も2004年に訪れたようで、写真が飾られている。建物の北側の庭には、当時より残る、うぶ湯にも使われた井戸も残されいる。
復元された建物ではあるが、ここで明治時代、凄まじいパワーで「日本を坂の上にたなびく一筋の雲」へと押し上げようとした兄弟が生まれたと考えると、なんだか感慨深い。幕末から明治。一気にその姿を変えた日本は、今考えると本当にすごいと思う。そんな激動の時代を生きた人々は、今の人間よりももっと情熱にあふれていたんじゃないのかと思ったりもする。
付近にある「坂の上の雲ミュージアム」や「松山城」も徒歩圏内。松山観光の途中、この場所も是非見ておきたい。

松山の観光と宿泊情報

松山の宿泊といえばやはり道後温泉ですね。四国を代表する温泉街で、老舗からモダンな旅館まで多くの宿があり、歴史ある温泉風情を楽しめます。また、松山にはシティホテルが多くあります。中には温泉を引いている場所もいくつかあります。予算や目的によって豊富な宿が選択できる松山の宿泊は、愛媛の旅にはオススメです。

【道後温泉・松山の宿一覧】

秋山兄弟生誕地

住所: 愛媛県松山市歩行町2-3-6
電話: (089)943-2747
営業時間: 10~17時(入館は16時半まで)
休業日: 月曜日(祝日の場合はその翌日)
交通: 伊予鉄道市内電車「大街道」電停より徒歩3分(路面電車)
料金: 300円(高校生以下無料)
駐車場: なし

【投稿時最終訪問 2010年11月】

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