太山寺 【四国八十八箇所・第52番札所】
白装束と金剛杖、菅笠を身に纏い、四国にある88か所の霊場を弘法大師の足跡を追い求めてめぐる巡礼の旅「お遍路」。全ての巡礼を終えると、「結願」といって、願いをかなえる事が出来る。
さて、愛媛県の県庁所在地、松山市には霊場が8か所もある。52番札所である「太山寺」(たいさんじ)は鎌倉時代に建てられた国宝の本堂が残る古刹で、豊かな自然に囲まれいるためハイキングがてら参拝に訪れる人も多い。
境内へ向かう自然あふれる参道が美しい
車は太山寺の門前町に差し掛かる。細い道の奥には、立派な山門が立つ。山門を迂回して、車道はさらに登っていくが、やがて駐車場が右側にある。トイレ、自販機が用意された駐車場で、大型バスが停められるくらいの広さがあり、そこそこの台数が停められる。ここからは歩いて太山寺へと登っていく。
太山寺への参道は竹林があったり、緑に囲まれていたりと自然豊かだ。そして古くからある家や、屋敷のような立派な和風建築の家が並ぶ。途中、新緑が美しいモミジの木があった。秋の頃に訪れたら、さぞかし紅葉が綺麗に違いない。
太山寺に到着。駐車場から10分弱ほど。出迎えてくれるのは「大日如来」。深い森の中、石仏が立ち並ぶ風景はどこか荘厳な雰囲気に包まれていて、空気が凛としている。
この場所から右に階段があり、その上には山門があるのが見える。階段の上が本堂だろうが、直進した先にも何かお堂があるのが見える。まずはこのまままっすぐ進んでみる。
谷の底になったような場所、まるで山に包まれたような場所に「子安観音堂」がある。安産にご利益がある観音様。谷川の流れの横、堰堤の真下にあり、木々に優しく包まれるようなこの場所はまるで子宮の中を思わせる。
次に階段を上って本堂を目指す。石段の上にそびえるのが三の門と呼ばれる「四天王門」。朝日を浴びて、神々しく輝いている。深い薄暗い森の先に輝いて待つ山門は、まるで希望に満ちた極楽浄土の入口にも思えた。
四天王門に到着した。門の向こう側には本堂が見える。
この四天王門にはミツバチが住み着いているようで、ブンブンと飛びまわっている。注意を促す看板を見ると、随分古く、前々から住み着いているようだ。危険は少ない蜂だが、注意して山門をくぐる。
国宝の本堂を中心にした歴史ある広い境内
四天王門をくぐると真正面に鎮座している巨大な本堂。1305年、鎌倉時代に建てられた本堂はとても歴史があり、国宝とれている。
太山寺は586年に真野長者が一夜にして建てたという言い伝えがある。その後733年、聖武天皇の勅令で、行基によってこの地に本尊の十一面観音を安置したとされている。1000年以上を経た長い歴史。参道の深い森と正反対に開けたこの場所は、時間と歴史が止まる事なく流れ続けているようにも思える。
境内にある鐘楼堂。1383年築の歴史ある建造物で、県の文化財に指定されている。
鐘楼堂の前から望む太山寺の境内。右が本堂、左が四天王門、真正面の一段高いところには太子堂が鎮座する。
山の上に電波塔が建っているが、その右側に小さな建造物が見える。この建造物は、太山寺の本尊でもある十一面観音の立像。標高203mの経ヶ森の山頂に立ち、太山寺の奥の院に当たる。
本日、太山寺に訪れたのは、「奥の院参拝」という名の経ヶ森の登山である。
「大師堂」お遍路が巡る四国八十八箇所には必ずこの「大師堂」が本堂と一緒にセットで存在する。この大師堂にはその名の通り、弘法大師が祭られていて、必ず本堂と一緒に参拝するのが決まり。お遍路さんは本堂と大師堂で般若心経を唱え、納め札を奉納するが、お遍路ではない僕は普通に参拝。
太子堂から見下ろす境内。まだ朝早いこの時間は訪れる人もまばらで、鳥のさえずりだけが静かに響き渡る。心が洗われ、落ち着く。
緑に包まれる楼閣、山門。長い冬を越え、緑萌える季節。どこまでも続く鮮やかな光の森が、長い歴史を刻む寺院を包み込む。昔から変わらず繰り返される季節の営みなのだろうが、やはり薫る緑はどことなく、体の中に元気を植え込んでくれる。
さて、新緑に元気をもらったら、その元気でさらなる自然を求めてみよう。ここから太山寺の奥の院である「経ヶ森」(203m)への登山だ。
松山の観光と宿泊情報
松山の宿泊といえばやはり道後温泉ですね。四国を代表する温泉街で、老舗からモダンな旅館まで多くの宿があり、歴史ある温泉風情を楽しめます。また、松山にはシティホテルが多くあります。中には温泉を引いている場所もいくつかあります。予算や目的によって豊富な宿が選択できる松山の宿泊は、愛媛の旅にはオススメです。
太山寺
住所: 愛媛県松山市太山寺町1730
電話: 089-978-0329
交通: 伊予鉄道高浜線三津駅から伊予鉄バス太山寺行・終点下車
松山自動車道・松山ICより車で約30分
料金: 参拝無料
駐車場: 約50台(無料)
【投稿時最終訪問 2011年5月】