乙姫大明神【源平合戦と浦島太郎伝説】

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六甲山系が海に沈む須磨灘。かつては源義経が平家を奇襲した一の谷の戦いの古戦場跡で、六甲山を擁する神戸市においても最も海と山が近い場所です。源義経が断崖絶壁を駆け下って平家を奇襲した場所と推測されている鉄拐山へと続いていた古道沿いにある「乙姫大明神」は平清盛が創建したとされる神社で、浦島太郎の伝説が残り、海の安全にご利益があります。

森に覆われた谷へと下る不思議な神社

須磨と明石を結ぶ山あいを縫うように走る幹線道路わきに突然現れる鳥居。ここが「乙姫大明神」の参道入口です。鳥居には龍宮城と記されており、まるでどこかの異世界へ通じているかのように感じられる不思議な神社の入口です。

鳥居の先にはたくさんの木々に覆われた深い森が広がっています。海の中に潜っていくかのごとく、高速道路が頭上を走る場所から深い樹海の中へと下っていきます。

鳥居をくぐり下っていく道は、六甲山が海に沈む場所に流れ込む塩屋谷川の谷底へと続ています。参道を下って参拝するのは海辺にある神社によくみられ、山の中にありながら海の神を祀る神社にはふさわしいシチュエーションです。

平清盛が創建した海の神を祀る山の中の神社

階段を下り切ると、谷底に神社と工場があります。この神社が「乙姫大明神」です。一説によると、三草山の戦いに勝利した源義経は、塩屋谷川の河口の塩屋にあった西の木戸口に向けて進む軍と別れてこの地より鉄拐山への山道へと入りました。頂上付近より一の谷の平家の陣へ断崖絶壁を駆け下りた奇襲、逆落としをしかけたといわれています。ともすればここは、歴史的な攻撃を行った義経が通った道なのかもしれないのです。なお、現在の鉄拐山も神戸市内や須磨浦を一望する絶景スポット。乙姫大明神からの古道は住宅街の開発で失われてしまいましたが、六甲山全山縦走路として頂上に至る登山道は今も多くの登山者で賑わいます。

「乙姫大明神」は現在の神戸に京都から遷都を行った平清盛が建立したと伝えられています。山中にありながらも海に近いこと、また、平清盛が日宋貿易を推奨していたため、航海安全にご利益のある神社とされています。

さざれ石として御神体とされている巨岩の前に2つの社があります。右側が乙姫大明神の本社。下畑大歳神社とも呼ばれており、豊玉姫神が祀られています。豊玉姫神は海神の娘で竜宮に住むとされる女神。左側は天高稲荷神社となっています。

なお、この地には釣り上げた鯛を助けて竜宮城に招待された浦島太郎が、巨岩の上で100年ぶりに目を覚ましたという竜宮城伝説が地元で語り継がれています。

川を遡りトンネルをくぐる帰り道

来た道とは別に帰り道が用意されています。来た道を戻ってもいいのですが、わざわざ用意された帰り道にどのような不思議な世界があるのか気になるので誘われることにします。

すぐに帰り道はトンネルの中に消えていきます。鳥居があった道路の下をくぐるトンネルですが、ここから見ると別世界への入口にも見えます。行きはよいよい帰りはこわい?

トンネルから流れ出しているのは塩屋谷川。六甲山系の最西端を流れる小さな川です。この先住宅地を抜けて一の谷の戦いで西側の攻防が繰り広げられた塩屋で海に流れ込みます。

橋の下をくぐる塩屋谷川ぞいに通路が造られており、橋の向こう側に抜けることができます。まるで地下水路のような通路を進むのはちょっとした冒険気分です。

最後はラブホテルというとても俗っぽい場所の横を通り過ぎて車道に出ます。出た車道を反対側に少し登ると、先ほどくぐった橋の上にでます。橋を渡ると乙姫大明神の入口の鳥居に戻ることが出来ます。

乙姫大明神

場所: 神戸市垂水区下畑町字神の脇437
電話: 078-707-0188(海神社)
営業時間: 24時間(社務所なし)
休業日: 無休
料金: 無料
交通: 第二神明道路・名谷ICより約3分
駐車場: なし

【投稿時最終訪問 2021年5月】

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