興禅寺【春日局生誕地】
「興禅寺」(こうぜんじ)は、兵庫県丹波市にある寺院。明智光秀が織田信長の命を受けて丹波に攻め入った際、当地の領主であった赤井直正に敗れて一時撤退を余儀なくされています。その赤井直正の居城であった黒井城の屋敷跡に建てられたのが興禅寺です。一度は明智光秀を退けた黒井城ですがその後落城。明智光秀の重臣であった斎藤利三の所領となった際、この領主屋敷で生まれて3歳まで育ったのが春日局。3代将軍徳川家光の乳母となり、大奥の基礎をつくったとされる女性の生誕の地となっています。
城郭と濠に守られたお城のような興禅寺
興禅寺の外観は独特。水を湛えた濠と立派な石垣を備えており、見た目は城郭のようです。実際に興禅寺はその背後にそびえる標高356mの城山頂上にあった黒井城の下館跡に建てられたお寺。建物は当時のものではありませんが、堀や石垣は当時のものをそのまま利用されていると考えられています。
山門に向かって右側は水郷の幅が少し狭まっています。鐘楼などのお寺の建物を見ることが出来ます。
高石垣と水濠は長さ約80mに渡って続いています。堀は前面のみにあるので、もしかすると黒井城が廃城になった後に一部埋め立てられたのかもしれません。それでも突然現れる立派な城郭のような寺社風景には見入ってしまいます。しかもここは、歴史上でも有名な女性、春日局が生まれた場所でもあるのです。
歴史ある立派な興禅寺の楼門
城壁を思わせる石垣の真ん中には立派な楼門が建ちます。白色の城壁に映える朱色で巨大な門は、寺院でありながら城としての防御力も兼ね備えているような威風を感じます。
楼門は京都府宮津市にある智源寺から移築されたそうです。いつ建てられたかは不明ですが、1690年頃に現存していたという記録が残っており、築300年以上の貴重な建築物となっています。
門の中はまるで建物の1階のように広くなっている楼門。美しく品格のある朱色に塗られた空間はとても神々しく思います。黒井城に登るために目の前にある観光駐車場に車を停めた時に目がついたお寺でしたが、その美しさと歴史は予想以上のものでした。
庭が美しい春日局が生まれた黒井城跡の興禅寺
楼門をくぐると大きくて立派な本堂。とても丁寧に手入れされた庭が美しく見事なお寺です。本堂は閉ざされており、檀家でないとお参りできないようです。地域密着のお寺のようで勝手に入っていいのか少し戸惑ってしまいますが、史跡として紹介されているので静かに見学するには問題なさそうです。
春日局は明智光秀の重臣、斎藤利三の娘、斎藤福としてこの場所で生まれました。ここで3歳まで暮らした後、江戸幕府三代将軍徳川家光の乳母となり、大奥で権勢をふるった歴史的な人物です。
本堂右手には鐘楼があります。元々黒井城城主、赤井直正の息子が先祖供養のために建てられたと言われており、現在の鐘楼は大正2年改築されたそうです。築100年以上の歴史的な建造物です。
本堂の左手に「お福腰かけ石」があります。春日局ことお福が腰をかけて遊んだと伝わる大きな石です。また春日局が産湯に使ったとされる「お福産湯の井戸」もあり、見学することが出来ます。
江戸幕府の女傑の歴史を偲んだ後は、ぜひ戦国時代に明智光秀と戦った丹波の赤鬼こと赤井直正の黒井城へと登ってみましょう。
興禅寺
場所: 庫県丹波市春日町黒井2263
電話: 0795-74-0019
休業日: 無休
料金: 無料
交通: JR黒井駅より徒歩15分
舞鶴若狭自動車道・春日ICより約5分
駐車場: あり(無料・22台)
【投稿時最終訪問 2021年10月】