原田二郎旧宅【松阪城の武家屋敷】

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松阪牛で有名な三重県松阪市。江戸時代は大坂商人、近江商人とならぶ日本三大商人のひとつ、伊勢商人を輩出した町です。紀州藩が治めていた松阪城の城下町には多くの武士が住み、今も多くの武家屋敷や豪商の屋敷が残っています。そんな武家屋敷のひとつで、松阪を代表する実業家である原田二郎氏の屋敷が平成24年から一般公開されており、当時の江戸末期から明治、大正時代に使用されていた屋敷を見学することができます。

幕末から昭和を生きた実業家の屋敷

原田二郎は21歳のときに松阪藩の勤王志士として京都に登り、明治維新となると東京で英語と医術を勉強。その後大蔵省に勤め、31歳で第74銀行(横浜銀行の前身)の頭取に就任。34歳に一度この松阪に戻りますが、54歳には井上馨の要請を受け、大阪の鴻池銀行(三和銀行の前身)の再建に取り組みました。昭和5年に82歳で没しています。その経歴や活躍した期間は日本資本主義の父といわれる渋沢栄一とよく似いています。

原田二郎旧宅は、殿町同心町と呼ばれる武家屋敷が集まっていた場所に残る江戸時代末期の武家屋敷。敷地内には松阪城の堀跡もあり、まさに城の間近で守りを固めていた武士の居宅です。

当時の様子を色濃く感じられる武家屋敷

原田二郎旧宅は松阪市の景観重要建造物の第一号に指定されています。間取りが「田」の字になっている代表的な武家屋敷の間取り。6畳間をメインに8畳間、3畳間などが棚田のように障子やふすまで区切られていおり、明治から大正にかけての武家屋敷の様子をそのままに感じることができます。

6畳の居間の向こうは8畳の客間。この居間には式台という板敷が庭に面して造られいます。主人や来訪者が地面に下りることなく籠に乗り降りができるようになっており、武家屋敷の特徴のひとつとなっています。天井には照明はつけられておらず、行燈のような明かりがとても雰囲気を感じる落ち着いた空間です。

縁側の向こうには庭。とても静かで素朴ながらも満たされた和の空間になっています。

ちなみに旧宅の前の道はかつて武家屋敷が並んでいた道。現在も手入れされた垣根がずらりと並ぶ美しい道になっています。ぜひ見学と同時に散策を楽しみたい、見ごたえのある散策コースです。

かつての土間には原田二郎の足跡が展示されています。大蔵省と2つの銀行の運営に携わり、晩年は私財を投じて慈善事業に専念するなど、近代日本の発展に力を注いだ偉業が紹介されています。2021年の大河ドラマ「青天を衝け」で主人公となった同時期の実業家、渋沢栄一と同じ志を感じられます。明治や大正の激動期、このような高い志を持って働いたていた方が日本には多くいたのだと改めて感じます。

2階は心静まる落ち着いた書斎

急な勾配の階段があり、2階に登ることができます。這うようにして気をつけて登ります。

2階に登ると縁側のような廊下があり、そこに面してはとても落ち着いた八畳間がひとつあります。ここは原田二郎が34歳で松阪に戻ってきた際、書斎として増築された場所です。

当時原田二郎が使用していたと思われる和レトロな机が部屋に置かれています。この前に座ると、風情ある丸窓とその先に見える庭の緑でとても心が穏やかになります。病気療養のために松阪に戻ってき原田氏ですが、療養しながらも勉学や経営の腕をここで磨いていたのでしょう。

大隈重信から送られた座布団が展示されていました。大蔵省に勤務し、井上馨とも親交があった原田二郎。おそらく年齢的には大蔵省に勤務した時には渋沢栄一はすでに退官しているので同時期に在籍はしていないと思われます。しかし渋沢栄一とはビジネスで何度も顔を合わせていたに違いないでしょう。
当時のままの武家屋敷と近代化の日本を助けた実業家の足跡に思いを馳せられる原田二郎旧宅。どのような人物か知らなくても、松阪城周辺の美しい和の風景が楽しめるスポットなので、ぜひ一緒に訪問したい場所です。

原田二郎旧宅

住所: 松阪市殿町1290
電話: 0598-23-1656
営業時間: 9:00~17:00 (入館は16:30まで)
休業日: 月曜日(祝日の場合はその翌日)・年末年始
料金: 無料
交通: JR・近鉄松坂駅より徒歩13分
   伊勢自動車道・松阪ICより約10分
駐車場: なし

【投稿時最終訪問 2017年10月】

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