別子銅山・東延の遺構と東延斜坑跡

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日本三大銅山のひとつで、住友の発展の礎となった愛媛県の別子銅山。昭和48年に閉山しているが、銅山跡は住友によって徹底して森に還さた。当時の鉱山跡の石組や基礎だけが森の中にまるで古代遺跡のように眠っており、その神秘的な姿が近年人気を博している。
江戸時代から明治時代の別子銅山は、山脈の北側にあった。今は完全に森に還り、当時の石組などが古代遺跡のように眠っている。そんな別子銅山初期の遺構で、大規模な遺跡となって眠っているのが、かつて採鉱本部が置かれた「東延」だ。

深い山の中に突然現れる石垣と地下トンネル

別子銅山日浦登山口から60分、「第一通洞」から銅山峰へのメインルートを外れ、谷沿いに山道を登り始める。
ものの10分ほど進むと、突然目の前に現れる石垣とトンネル。標高1000mの山の中に、突然現れるその不釣り合いな巨大な施設には度胆を抜かれる。
レトロ、巨大、遺跡・・・
どう表現したらよいのかわからないくらい、センセーショナルな衝撃をこの施設を見た時には誰もが感じるだろう。
ここは「東延」(とうえん)という、かつて採鉱本部が置かれた銅山の中心部だった場所。なんと、明治18年に谷を埋め立てて2000坪の土地を造成して完成した、当時の最先端の工業地帯だったのだ。埋め立てた谷に流れていた川は、暗渠という形で、この東延の下を流れるようになった。何も知らずにここに来れば、謎の古代遺跡を発見したと勘違いしそうだ。明治時代の最先端技術が、今は見放されても堅牢に今も生き続けている。

このトンネルを見るといつも思う。穴があるから入りたい!!
登山道から接近するのかなり難しい。方法としては、谷を登っていくしかなさそうだ。いつか、あの中に探検と称して突撃してみたい・・・

登山道をさらに進んでいくと、水道管らしき遺構が放置されているのが見える。おそらく、東延の谷の川の水を採取し、方々に送っていたのだろう。森の中に目を凝らすと、当時の生活や工業の先端技術がゆっくりと眠っているのがわかる。

来た道を振り返る。写真下中央に見える、上下に伸びる赤い一筋が、この東延の暗渠を抜けた水が流れる川。第一通洞の前まで川沿いに歩くが、それがあの川だ。今は緑に覆われた山々も、100年前には大勢の人が住み、煙を上げる一大工業地帯だったのだ。

森の中に眠る神秘的な東延の遺構

東延に到着。造成された平坦な場所には、様々な古代文明と見まがうばかりの産業遺産が眠っている。まるで祭壇のように見えるこのレンガ造りの構造物。3つほど一直線に並んでいる。おそらく、ここにワイヤーなどを通した巻き取りのローラーなどがあったのではないかと思える。
はじめて東延を訪れたのは6年ほど前。当時は足元に穴が開いていたり、登山道が崩れていたりして、とても危険な場所だった。しかし、別子銅山が脚光をあびるにつれ、いろんな場所が整備されるようになったが、ここにも整備の手が入っている。危険と思われる場所は埋められたり、ロープを張られたりしている。登山道もしっかり固められていて、特に危険と思う場所は無かった。それでも、ほかの遺跡と違い、まだまだ緑に覆われたままの、手つかずの場所だ。かつての栄華がそのままの姿で朽ちていく、儚さを感じられる場所。

そしてこれが近代化の象徴とされる「東延斜坑」
日本で初めてはまだ使われていなかったダイナマイトを利用して明治28年に完成した全長526m、49度の傾斜をもった坑道。フランスの鉱山技師を破格の待遇で雇い入れて完成した近代的な大規模坑道は、その生産性を桁違いに向上させた。
そんな日本の近代化を支えた坑道は今は固く封をされている。地獄の底まで落ちていきそうな深い穴。今までは、周りを簡単に乗り越えられる柵で囲まれただけで、茂みの中にぽっかりと穴が開いていた東延斜坑。クライミングの装備があれば、その中に潜っていけそうな感じでもあった。
進みつつある別子銅山の整備のおかげで、周りの藪が払われ、その斜抗の姿を見る事ができるようになった。急な斜面には木々が敷き詰められ、その上をレールが敷かれていたようだ。ここに鉱石を満載したトロッコをレールに乗せて引き揚げていたのだろう。鉄格子の先、朽ち果てた木製の支保坑が見える。その先には男たちのロマンと、見果てぬ夢を求めた地下の世界が広がっている。今は静かに、山の中に眠っている。

東延斜坑より少し下っていくと、巨大なレンガ造りの遺構が姿を現す。朽ち果て、まるで中世の遺跡のように外壁だけが残っている。木々のざわめきと鳥のさえずりの中、深い緑をさらに進んでいく。

姿を現したのは、朽ち果てたレンガ造りの建物の廃墟。これは、「東延機械場跡」
ここになんと、明治時代に蒸気機関の巻き上げ機が備え付けられていて、東延斜坑の中から鉱石を乗せた台車を引き上げていた。今は森の中に佇む忘れられた過去の遺跡。しかし、当時はここから白煙をあげ、鉱石を地下から引き揚げ続ける、まさに別子銅山の心臓だったのだ。

残された壁をくぐり、機械場の内部へと潜入する。かつてはここでおおきな機械が唸りを上げていたはずだが、今は天井は崩れ落ち、もしくは撤去され、自然に飲み込まれつつある。

機械場の内部。ここは建物の中なのか、外なのか。わからなくなるまでに緑に飲み込まれていく。内部に根付いた木々が、この建物が本来の役目を解かれてから、どれだけの年月がたっているか物語っている。

おそらくここに巻き取りの蒸気機関が設置されてていたのだろう。不自然に形が整った水たまりがあり、その向こう側の壁が何かを通すように空いている。ここに巨大な機械が設置され、壁に開けられた穴をとおしてワイヤーを巻き上げていたのだろう。壁の向こうに見える斜面を登れば、そこは東延斜坑だ。
当時の面影を推測してみるが、何も考えなければ、ここはミステリーな世界。廃墟だ。そして、ここに広がるのは「毒の沼地」。ドラゴンクエストの世界に迷い込んだかのように思える。

機械場の廃屋の前には、頑丈な基礎が残っている。苔に覆われた古い基礎部分には鉄筋が通されていて、ここに堅牢な建物が立っいた事が推測される。
昔の東延の写真を見ると、ここは2階建ての立派な洋館があったと思われる。おそらく、鉱山の責任者が執務して、外部からの接客を行っていたような荘厳な建物。それがいまや、木々に覆われた森の中。時の流れとは時に残酷にも感じる。
この付近にはロープが何か所か張られている。ここは明治時代に人工的に埋め立てた土地の上。石垣やレンガで地面を支えているので、これらが老朽していけば、この土地は崩れてしまう。そんな崩れ出した場所が不自然にへこんでおり、そこには立ち入られないようにロープが張られていた。この基礎の向こうは、埋め立て地を支える石垣の断崖絶壁になっている。そして、谷をつたうように道が続いていた。どこに行くのかわからなかったので、この時は進まなかったが、よく考えると、東延の石垣は2段になっている。この道をすすめば、この石垣の下の下段の造成地に進めるに違いない。次の初冬にもう一度、訪れてこの下にあるものを確かめてみたい。

まだまだ探検すれば遺構が見つかる東延

さて、東延斜坑までもどり、今度は東側に進むと、あるはずのものをついに発見した。先ほど「穴があったら入りたい」と言っていた、暗渠の上部の入口だ。しかも、水路に下りるための階段までつけられていて、まさに据え膳状態。ようし、突入だ~!!
・・・と思ったが、やはり怖い。真っ暗などこまで続くかわからない空間。それだけでも十分に怖いのだが、ここは100数十年前の明治時代にレンガを組み上げて作られた、レトロな遺跡だ。しかもその上部には谷を埋め立てた大量の土が乗っている。さすがにこの暗渠が崩壊すれば、この川が氾濫するので、補修やメンテナンスはされているようだ。水路を流れる水の量を減らすために、上流の水を集めてパイプで流しているのはそのためだろう。ハシゴや暗渠内に足場が作られているのも、点検や補修のためだろう。
おそらく大分安全なのだろうが、やはり身の危険を感じる。こういう場所に潜入するスキルや経験を持っていれば別だが、どうしても足が前に進まなかった。あれだけ探検したいと言っていたのに、いざ目の前にして怖気づくこの様・・・
魅惑の地下トンネルを前にして、スゴスゴと退散する。

代わりに暗渠に流れ込む川の上部を探検する。川は石垣とコンクリートで完全に護岸されている。この付近一帯が、もともとの自然の流れではなく、人工的に作られた土地である事を如実に物語っている。自然の川なら石や段差があるものだが、埋め立てられたこの場所ではまるで道のように一直線の流れ。かつては、この川の両側にはいろんな施設が立ち並んだにぎやかな場所だったはずだ。

しばらく進むと、護岸された水路はなくなり、本来の川の姿に戻る。ここが本来の地面。埋め立てられた東延との境目になるのだろう。
この先にはそうめん滝や水道管跡があるようだ。他にも東延に面する山の斜面には、閉塞されたとはいえ、坑道の跡がいくつかある。探検してみたいが、苔むした川の流れは滑りやすく(実際に水路で1回派手にこけた)、下草やクモの巣が行く手を阻む。この先も次回の初冬の時かな。
さて、寄り道はこれまで。今回の登山の本命、「ツガザクラ」を見に、銅山峰へと急ぐ。

別子銅山探索に便利な宿

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