石ヶ山丈貯水池 【別子銅山端出場水力発電】

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愛媛県の別子銅山跡には標高1000m近い山の上には、端出場水力発電所へ、当時東洋一の落差で水を落とした「石ヶ山丈貯水池」が当時のまま森の中に埋もれています。

「東洋のマチュピチュ」として、最近、脚光を浴びる別子銅山。江戸時代から昭和48年まで、300年近く銅の採鉱が行われた日本三大銅山のひとつ。
山の上に眠る産業遺産群は、確かにマチュピチュと呼ぶにはぴったりの雰囲気がある。しかし本家のマチュピチュと違い、別子銅山は明治時代には標高1000mの山の上に鉄道を走らせているなど、とても近代的なものだった。その鉄道が走っていた廃線跡を歩き、終着駅の「石ヶ山丈停車場」からさらに山の中を行くと、当時の最高峰の技術が遺産として眠っている。それが「石ヶ山丈貯水池」だ。
貯水池というと、どこが産業遺産だと思うかもしれないが、この貯水池、半端な遺産ではない。別子銅山の最深部。多くのエリアが紹介されるようになりながらも、まだ紹介されずひっそりと森の中に埋もれる、当時の「東洋一」を支えた遺産だ。

貯水池跡へは山岳鉄道終着駅から徒歩10分

貯水池に向かうには、「石ヶ山丈停車場」のプラットホーム跡を一番奥まで進む。ここに錆びて文字が読めなくなった道標が立っている。直進・登り・下りの三差路。ここを下っていく。下り口は道が崩れているように見えるが、よく見れば道が下に続いているのがわかる。

石ヶ山丈停車場を造る石垣の下に降りて、道はどんどん下っていく。道は完全な登山道になる。別子銅山の道は多くの人が行き交っていたので広く歩きやすいが、ここは細い本当の山道だ。登山地図には載っていないので、国土地理院の地図を頼りに歩く。所々に打たれている赤いペグが目印になる。
しばらく下ると「魔戸の滝」と書かれた分岐点に出会う。この分岐点から、先ほど歩いた廃線跡に平行するように道が国土地理院の地図に描かれている。おそらくこの道が貯水池に水を引いた水路跡であろうと思い、分岐点で魔戸の滝と逆方向への道を探す。浅い藪の向こうに道が見つかったので、そちらに進む事にした。
しかし幅は広く、石垣などでしっかりと組まれた道だが、相当に荒れている。道の途中には木々が生え、100mも進まないうちに崩落現場に出くわす。おそらくこの道は水路跡ではなく、別子銅山現役時の道なのだろう。途中で水路と合流する可能性は考えられるが、ここは引き返すことにする。
その途中、道の下にレンガ造りの遺構が確認できたので、もう少し元の道を下る事にした。結論を言うと、赤いペグに沿って道なりに降りていくと、「貯水池」に辿りつける。

細い道は気づくと、細いコンクリート造りの遺構になっていた。左側は窪地、右側は急斜面になっている。木々が生い茂っていて、実際に目の前に遺構が現れるまで気づかなかった。ついに「貯水池」に到着だ。停車場からの下りはおおよそ10分だった。

山の中に眠るかつての発電施設の貯水池跡

貯水池跡の壁を歩いていく。左側が水を貯めていた池の部分だ。どちらにか落ちても危険だが、壁の幅は50㎝ほどある。よろめいて転落するような狭さはなく、人ひとりはゆっくりと歩けるので怖くは無い。
これだけの水を保つためには相当頑丈なものにしなくてはならなかったのだろう。分厚い壁はしっかりしていて、とてもしっかりしている。明治時代に造られた構造物がこんなにしっかりとした形で残っているのには驚きだ。

少し壁の上を歩いていくと、突然目の前に機械が現れる。これが貯水池の水門だ。
この石ヶ山丈貯水池は、山の真下にある端出場水力発電所の発電用の水を貯水するために明治45年に造られた。ここから水門を開けると、落差596mを流れ落ち、端出場水力発電所のタービンを回すのだ。この596mの落差は当時東洋一。鉱山開発の電力供給を担った、重要な設備だった。

水門を開くと、ここから一気に水が山を流れ落ちる。水路の奥には穴があいていて、ここからパイプを通して水が流れ落ちる仕組みだ。当時の最新技術が今も原形をほぼとどめて残っているのがすごい。

レンガ造りの構造物があるが、何に使っていたのだろう。苔むしていくその姿が時代を感じさせる。その奥には、朽ち果てた作業小屋が残っている。

ここから一気に鉄パイプの導水管をつたい、水が発電所めがけて落ちていく。この煙突のようなものは、導水管に空気を取り入れて水が流れやすくしていたのだろうか。
今は導水管は残っていないが、石造りの階段が山の下に向かって続いている。おそらく当時の保守道で、この道を下っていけば発電所にたどり着くはずだ。途中にはまるでトーチカのような巨大なコンクリートの支柱や、一部巨大な導水管が残っていると聞く。
水が落ちる先は、今朝車を置いて出発した「道の駅マイントピア別子」にある、端出場発水力電所跡だ。今も堅牢なレンガ造りの建物の内部には当初の発電機器がそのまま置かれている。ここから落とされた水は当時東洋一を誇った597mの落差を流れ落ちて、水力発電のタービンを勢いよく回していた。残念ながら発電所は非公開だが、時々見学できるイベントがあるようだ。
そして、この導水路跡。登り口は登山の出発の時に確認できたので、今度は一度、マイントピア別子からここまで直接登ってみたい。

森の中に立つ、電柱の跡。前時代の遺跡のようにも見えるが、電気が通っていた近代文明の産業遺産であることを強烈に物語る。

水門を調整する機械。クランクを回せば、今でもギアが動いて水門を上下させそうだ。

貯水池の付近は、そこに水が満たされ、流れていたことすら思えないほど木々に覆われている。端出場発電所は昭和45年まで稼働していた。ということは、この施設も50年ほどまえまでは現役だったのだ。昭和の産業の跡は、もう半世紀後には森に飲み込まれている。

貯水池の施設には水門が幾つもある。水の重圧を支え、銅山開発の重責を背負った施設は堅牢そのもので、森に飲み込まれても当時の姿そのままの息遣いを感じさせる。

森に覆われている事もあるが、貯水池の施設は複雑な造りだ。高さがある所、踏み抜きそうな場所もある。こんな辺鄙で人が来ない場所で落下事故でもすれば一大事だ。散策には十分注意したい。

水路の下にも水路があり、水門から水を落とせるようになっている。その先には穴があり、水が流れていくようだ。

森の中を、万里の長城のように線を引く貯水池。当時は左は池、右は裸地だったはずだろう。時の流れは長いようで短い。あっという間に人の営みは自然に飲み込まれていく。

山向こうからトンネルで水を集めた大規模な施設

貯水池の奥の水路ほ進むと、水門に出る。水は奥から流れてきて、左に行けば貯水池内部に、右に行けば先ほどの下の水路に流れるようになっている。発電量に応じて、水をストックするか、発電所に落とす水に加えて勢いを増すか、2つの水門で調整していたのだろう。

水路はずっと、はるか森の中へと続いていく。この水路、実は延長10kmはあり、山の「向こう側」から水を引いている。
別子銅山の北側は急斜面で一気に瀬戸内海に山が沈むため、水の確保が難しい。逆に山の南側は「銅山川」が付近の山の水を集め、東に向かって流れていて、水の確保がしやすい。そのため、この発電所の水資源確保には、銅山川の水が使われた。銅山川の水を全長4000mの第三通洞・日浦通洞を通し、さらに山の中をコンクリートや鉄製の橋、暗渠を通してここまで水を運んできたのだ。明治時代にこんな離れ業をやってのけたのはとにかく凄い。この貯水池は、そんな苦労と努力と技術の集大成として、森に眠っている。
別子銅山の巨大な産業遺構としては最も深い場所にあり、誰にも誰にも知られておらず、最も保存状態が良いものだろう。今回の目的地としては文句なしの、感動すら感じる産業遺産だった。しかし今度はこの水路跡歩いてみたい。何度奥に入っても何度探索しても、別子銅山はまだまだ発見の連続である。

別子銅山散策に便利なホテル

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